昨日に続き、朝から雨と風、まさに春のアラシ。埼玉勢にとって45年ぶりの優勝

● 朝から春の嵐の如く雨や風が強い。午後3時過ぎぐらいには落ち着く。まさに4月の陽気は安定しないものである。安定はこれからかも。

● 業務報告書の作成・提出に追われ、午後には社員向けの手紙を作成。新年度を迎え、営業成績の向上、キャリアアップ策等について目標に掲げ、そのために仕事の7か条を基本としながら、考え抜く力を発揮するように、常の仕事を掘り下げて欲しい旨を手紙にまとめた。メールで全員に発信。

● 地元埼玉の浦和学院初優勝。大差で勝利!1968年の大宮工以来、埼玉勢にとって45年ぶりの優勝となった。


(4月3日生まれの偉人)
◆北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家国家社会主義者。明治維新の本義は民主主義にあると主張し、明治憲法における天皇制を激しく批判した。
 すなわち、天皇の国民ではなく、国民の天皇であるとした。国家体制は、基本的人権が尊重され、言論の自由が保証され、華族貴族院に見られる階級制度は本来存在せず、また、男女平等社会、男女共同政治参画社会など、これらが明治維新の本質ではなかったのかとして、再度、この達成に向け『維新革命』『国家改造』が必要であると自著で主張した。内務省は、北の考えを”危険思想”とした。後に、北に直接の関与はないが、この主張等に感化された若手将校たちによる二・二六事件で、1937年(昭和12年)8月14日、北は民間人だが、特設軍法会議(一審制)にかけられ、非公開・弁護人なし・上告不可のもと、理論的指導者の内の一人として死刑判決を受け、5日後、銃殺刑に処された。北が、生前にその『維新革命』『国家改造』の実現を見ることはなかったが、8年後、連合国軍が、軍国主義を突き進む日本を武力で倒し、北の主張の多くは、占領政策を実施したGHQ主導による日本の戦後改革で実現されることとなった。
◆徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 1971年8月1日)は、日本の弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。
金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年4月3日 - 2004年5月19日)は、日本の言語学者国語学者。国語辞典などの編纂、方言の研究でよく知られている。文学博士(東京大学、1962年)。父の金田一京助言語学者で東京帝大教授。
「言葉は時代とともに絶えず動いて 変化する」が持論で、ら抜き言葉にも「ら抜き言葉はなくならないし、ら抜きに進んでいくのが自然な流れである」と言っていた。

日本語〈上〉 (岩波新書) http://d.hatena.ne.jp/asin/4004300029