週末農業。「リーダーの鉄則とは。今は過去の結果。

◎昨日か天気用の通り雨模様。昨日の午後はまだよかttが、今朝から土砂降りの雨。河童をきながら、草取りに朝5時犯から突入。午後までかかる。その間、朝食の用意。部屋の掃除、洗濯、買い物、そして昼食の支度、そして、入浴介助。休む間もなく、疲れた一日である。週末はなんのたmの時間が判らないのが現実である。草取りをしなければよいのだが、母親が気になっており、自分でできないので、(本人はやるつもりであるが、最近は天気が良くても畑作業や草取りをすることはほとんどない。いつもきにしているようだが、)やむなく農業にいそしんでいる、野菜の作付に最近興味を覚えてきたかも。


◎ 私たちには想像できないような危機を乗り越えてきた、エステーの名物社長。その危機の乗り越え方や、アイデア発想法、リーダーシップなどを公開したのが、本『社長は少しバカがいい。~乱世を生き抜くリーダーの鉄則 』。自社の上司のいうことを素直に聞けなくても、この方の話は思わず納得してしまうかも。あるいは、その過激さに「ありえない!自分は逆を行く!」と考えるのも良い。
1. 「成功体験」を捨てろ
 成功体験とは怖いもんだ。これに囚われると命取りになる。当時のエステーがそうだった。
1971年に発売して以来、エアケア市場を開拓してきた芳 香剤・シャルダンは、防虫剤とともに会社の看板ブランドだった。しかし、この成功体験が経営陣の判断を鈍らせていた。競合がいち早く時代の変化をとらえ て、「芳香」から「消臭」へと舵を切るのに完全に遅れをとってしまっていたのだ。だから、僕は思い切ってシャルダンというブランドを捨てることにした。(P.52)
2. 衆知を集めるから、間違える
 かつて、エステーでも社員が集まって、ああだこうだと議論をしてネーミングを決める会議をやっていた。だから、誰に心にも響かない、無難なネーミングしか生まれない。
なぜか?会議をやると、どうしても参加者のバランスをとってしまうからだ。それに、誰だって責任は負いたくない。「あの人が決めたネーミングで商品が売れなかった」と名指しされないために、予防線を張ろうとする。あるいは、他社の売れ筋商品のネーミングをもじったようなものにする。それでは、ナンバーワンの商品など生まれはしない。だから、この会議もやめた。(P.63)
3. 常識をひっくり返せ
 当時、冷蔵庫の脱臭剤市場は、アメリカ資本のキムコやノンスメルでほとんど占められていた。完全に成熟したニッチ市場だった。「成熟市場」というのは面白い。なぜなら、「思い込み」があるからだ。当時の脱臭剤は、日本とヨーロッパは「ヤシガラ活性炭」、アメリカは「重曹」。これが常識だった。しかも、寡占市場だから慢心がある。アイデア一発でひっくり返せる可能性がある。(P.126)
4. 「逆張り」が幸運を引き寄せる
 大切なのは、心意気を胸に行動を起こすこと。もしかしたらバッシングを受けていたかもしれない。しかし、他の会社と横並びで何もしなければ、何も起こらなかったことだけは確かだ。社長は群れちゃダメだ。海外企業のM&Aだ、アジア進出だ、などと一緒になって騒いでるようじゃ話にならん。まとめてお陀仏になるのが関の山。だから、僕はいつだって「逆張り」だ。(P.223)
5. 「自己否定」こそイノベーターの証
 変わらなければ生き残れないーー。これは、僕の経営哲学だ。強い者が生き残るのではない。変わることができる者が生き残るのだ。変わり続けることこそ強さなのだ。変わるためには、自己否定をしなければならない。それまでの成功を捨て去る勇気も必要だ。それこそ、イノベーターたる所以だ。(P.246)

◎ 人生の価値を決定づけるマインドの法則とは、
 人間は、過去、現在、未来という時間の流れがある。大抵の人は、自分は現在に生きていると思い込んでいるが、実際はほぼ過去に生きている。というのは、いまこうしている瞬間は、一秒経てば過去になる。そして、過去の結果が現在である。「一時間先の未来っていうのは、一時間経ったらいまになるんだ」そして、今この瞬間が、まさに、一時間後の今を形成するといことである。頭の回転が速い人や機転の利く人、行動する人はたいてい未来をイメージできている人である。野球で言えば、ボールが飛んでくる瞬間にファインプレーを目指している選手である。これは野球だけに限らず、あらゆる仕事に当てはまる。


(4月21日生まれの偉人)
◆中江 藤樹(なかえ とうじゅ、1608年4月21日(慶長13年3月7日) - 1648年10月11日(慶安元年8月25日))は、近江国滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。郷里である小川村(現在の滋賀県高島市)で、私塾を開く。これが、藤樹書院である。1637年(寛永14年)伊勢亀山藩士・高橋小平太の娘・久と結婚する。藤樹の屋敷に藤の巨木があったことから、門下生から「藤樹先生」と呼ばれるようになる。塾の名は、藤樹書院という。やがて朱子学に傾倒するが次第に陽明学の影響を受け、格物致知論を究明するようになる。その説く所は身分の上下をこえた平等思想に特徴があり、武士だけでなく農民、商人、職人にまで広く浸透し江戸の中期頃から、自然発生的に「近江聖人」と称えられた。代表的な門人として熊沢蕃山、淵岡山、中川謙叔などがいる。
 「清水安三・石ころの生涯」中で、清水安三は、1891年生まれで、同志社に学び神父になり、中国で学校をつくり、米国オベリン大学で学び、町田で桜美林学園を創立し、ついに宿願の大学までのつくることのできた(昭和42年)96年の崇高なる人生。その中で、中江藤樹新島襄賀川豊彦などが登場する。「せん方尽くれども望みを失わず」(98才)。「大学の設立こそは少き日に新島襄の享けし夢かも」。
◆高木 貞治(たかぎ ていじ、1875年(明治8年)4月21日 - 1960年(昭和35年)2月28日)は、日本の数学者。東京帝国大学教授。第1回フィールズ賞選考委員。
◆尾竹 国観(おたけ こっかん、明治13年1880年)4月21日 - 昭和20年(1945年)5月20日)は、明治から昭和期の浮世絵師、日本画家。尾竹越堂、尾竹竹坡の弟で、いわゆる尾竹三兄弟の末弟。

<本の紹介>
賀川豊彦を知っていますか―人と信仰と思想http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4764260271/hatena-ud-22/ref=nosim
伝習録―「陽明学」の真髄 (タチバナ教養文庫)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4886924999/hatena-ud-22/ref=nosim