改めて管理職である自分に問う。「『個力』を生かすチームワーク」とは。

◆『そうか、君は課長になったのか。』(佐々木常夫著・WAVE出版)から
<ポイント>
●絆を大事にする人こそ、出世する
一緒に働いた仲間との「絆」を持つことがえきれば、それは幸せな仕事人生というべきです。そして、こうした「絆」を大事にする人こそ、出世する可能性は高いとおもいます。
●人間の幸せは仕事で得られる
人間の究極の幸せは、人に愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人から必要とされることの4つです。働くことによって、愛以外の3つの幸せは得られるのです。彼らが働こうとするのは、社会で必要とされて、本当の幸せを求める人間の証なのです。
●方針(信念・考え方)を文書化する
方針や考え方は文章にして渡すことを心がけてください。口頭では、人によっては頭の中を素通りしてしまいます。
もし、君にまだ、自分の信念を文書化したものがないなら、ぜひ書いてみてください。文書化することによって、自分の考え方を整理することができますし、自分が何を大切にしているかを発見することにも繋がるでしょう。
●大局観を養いなさい
たとえば、若いうちは、数ある仕事のなかで、何が幹で何が枝葉かわからないものです。だから、生真面目な社員はどんな仕事でも100%の完成度でやり遂げようとします。しかし、これでは多大なムダが発生してしまいます。
●大局観を養うにはどうしたらいいか?
常に、ひとつ上の立場でものを観て、考える癖をつけることです。
●批判精神なき読書は有害
私の経験では、どういうわけか多読家に仕事がデキるひとが少ない。なぜか。私が思うに、あまりに多くの情報をインプットすることで、自分自身の考え方が形成されない恐れがあるからです。少し大げさに言うと、自分の頭で考えるチカラが養われないのです。

◆講演「『個力』を生かすチームワーク」
日本の労働力の高齢化が進む中、シニア世代の人々が経験とスキルをフルに発揮し続けることができる社会が求められています。
 米国では、シニア層は若い起業家たちに欠けている常識や礼儀、社交というスキルを持っているということで、多くのベンチャー企業から引っ張りだこです。日本と米国で何が違うのか、内側にいると意外に気づかない日本のボトルネックを、日米両国の起業市場に詳しい経営コンサルタントの斎藤ウィリアム浩幸さんに鋭く切り込んでいただきます。
 自分の今後のキャリアデザインを考えているミドル&シニアの方々、および組織内のシニア活性化策を検討している企業経営者や人事労務ご担当者のご参加をお待ちしています。

※お申し込みはこちら>> http://mxt.nikkei.co.jp/?4_12231_14389_2

■開催日時: 2013年5月21日(火)19:00〜21:00

■会  場: 日本経済新聞社 10階会議室(東京・大手町)

■募集人数: 80名(応募多数の場合は抽選になります)

■募集対象: 40代、50代のビジネスパーソンおよび企業経営者・人事労務ご担当者

■参加費 : 3,000円
 (当日受付でお支払いただきます。領収書が必要な方はご用意いたします。)

■プログラム:
  18:30     開場

  19:00〜20:00 講演:「『個力』を生かすチームワーク」
         斎藤ウィリアム浩幸氏(インテカー代表取締役社長)

  20:00〜21:00 意見交換・交流会:「ミドル世代から始めるキャリアデザイン」
         司会:斎藤ウィリアム浩幸氏、日本経済新聞編集委員(予定)

■応募締切: 2013年5月10日(金)

■お申し込みはこちら>> http://mxt.nikkei.co.jp/?4_12231_14389_3

■【お問い合わせ】
 日経シニア・プロジェクト事務局
 E-mail:nikkei-senior-project@nex.nikkei.co.jp

(5月8日生まれの偉人)
◆高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年(昭和9年)5月8日 - 1996年(平成8年)5月15日)は日本の国際政治学者、法学博士、元京都大学法学部教授。現実主義の論客としてもよく知られた。見識が広く日本の歴史書なども著した。専門は、国際政治学、ヨーロッパ外交史。「近代の超克」を唱えた哲学者・高坂正顕の次男。コンパスプロバイダーズL.L.C日本代表、東京都元教育委員並びに経済同友会元幹事で、現在は憲法問題懇談会委員長の高坂節三は実弟
 高坂が一般に知られるようになった契機は、『中央公論』誌上での活躍である。高坂は当時同誌の編集部次長であった粕谷一希の依頼によって、1963年、ハーバード大学留学から帰国した直後に「現実主義者の平和論」を『中央公論』に寄稿し、論壇にデビューする。高坂は同論文において、当時日本外交の進むべき道として論壇の注目を集めていた坂本義和らの「非武装中立論」の道義的な価値を認めながらも、実現可能性の難しさを指摘し、軍事力の裏付けのある外交政策の必要性を主張した。さらに翌1964年に吉田茂を論じた「宰相吉田茂」は、吉田の築き上げた日米基調・経済重視の戦後外交路線をその内外政に即して積極的に高く評価し、否定的な評価が広まっていた吉田に対する評価を一変させ、現在に至る吉田茂への肯定的評価を定着させることとなる(また、同年に寄稿した「海洋国家日本の構想」では、島国の日本が海洋国家として戦略的・平和的発展を目指すべしと論じて、この議論を補強する論を展開している)。これらの論文を契機として、30歳前後にして高坂は現実主義を代表するオピニオン・リーダーとしての地位を確立することとなる。
 高坂は冷戦時代から共産主義国家に対しても、国内の中立主義と同様その理想の持つ魅力・意義を認めながら批判的な態度を取った。以後、時事的な外交評論のみならず、国際政治学、文明論などを含む幅広い分野において切れ味鋭い分析と提言を展開することとなる。その議論は人間の本性に即した権力構造を探求していたと言える。高坂は進歩的文化人が主流だった当時の論壇では貴重なアメリカ重視の論客であったため、オピニオン・リーダーとしての言論活動だけでなく、1960年代以降佐藤栄作大平正芳をはじめとする自民党政権のブレーンとしても長く活動することとなる。とりわけ有識者研究会を幾つも設置し、長期的な政策検討を行なった大平内閣では、その一つである「総合安全保障研究グループ」の幹事として、報告の実質的な取りまとめを行なった。軍事力による安全保障だけでなく、外交政策・経済・エネルギー・食料などを総合して日本の安全保障を追求すべしと論じた同グループの報告書は、高坂が肯定的に評価してきた戦後外交路線の性格を、戦略的なものとして実現しようとする意志の現れであったと評価する研究者もいる。その後、1983年に設置された中曽根康弘首相の私的諮問機関「平和問題研究会」でも座長を務め、防衛費1%枠見直しの提言を行ない、当時の防衛力整備の理論的根拠とされていた基盤的防衛力の見直しを提言した。
 ○久恒啓一氏のブログで次のような紹介があった。佐高信「タレント文化人200人斬り ブラックリスト完全版」から、そうそうたる現代の英雄たちを一刀両断で切り捨てる人物鑑定眼と冴えわたるワザに感服。著者によれば、「タレント文化人」とは、マスコミに踊る政治家や経済人を含めて傍若無人にこの世を壟断する者を指している。こういう人たちに対しては、もっともっと疑い深くなっていいのではないか。日本人を蝕んでいるのは軽信という病だ。以上が著者の主張である。そして信念と勇気を土台にした「毒」が強烈だ。
 その中で「高坂正堯。この現実追随主義者」と切り捨てている。そのほかには、
 五木寛之はヒモノになった。
 橋下徹。人間も軽いベニヤ板みたいだなという印象。
 渡辺恒雄。権力に近づくその無原則ぶりは正力から直伝の世渡り法なのか。
 立花隆。「取材をしないジャーナリストが生存できる時代は終わった」。
 相田みつを。相田にいかれている人間、、疑問を持たないオメデタイ人たちである。
 池上彰。受験勉強的に「わかった」気になりたいという風潮と、NHK的中立幻想がある。
 瀬戸内寂聴。寂聴はいまや、燃えカスである。
 ビートたけし。いまのたけしには芸がないからである。体制を揺るがすような毒はない。
 野田佳彦。姿勢だけは低いこの太ったタヌキに、しかし、多くの人は騙され続けて行くのだろう。
 曽野綾子。「おんな相田みつを」」とも言うべき、、共通するのは「自己責任教」である。
 村上春樹村上春樹の小説には「種」、つまり、民族や国家の問題が登場しない。政治や社会と言い換えてもいい。
 舛添要一。自身があまりにノータリンなのである。
 沢木耕太郎。「遠足作家」もしくは「遠足ライター」
 山本夏彦。毒舌と言われる山本の毒は自己消毒されたドクだということだ。
 桜井よしこ。あのわかったようなしたり顔にはたまらなくなる。
 田原総一郎。もっと重心を低くせよ。チョーチン屋総一郎の面目躍如である。
 栗本慎一郎。大学の改革もできないで、それよりスゴイ妖怪たちのいる政界の改革などできるのか。
 猪瀬直樹大宅賞がほしくてどんな「動き」をしたか、、、。「皇居のまわりをジョギングしたようなもの」
 鈴木健二。自分への「気くばりのすすめ」なのである。
 堺屋太一。時間にだらしない点は変わらず、講演会に集まった人たちを大幅に待たせたことがあった。通産官僚時代の堺屋を知る者で、彼を悪く言わない者は、まったくと言っていい ほどいない。
 阿川弘之。不肖の弟子の阿川弘之に評伝を書かれて苦笑いしていると思われるのが志賀直哉である。
 瀬島龍三。「大本営参謀」と言っても、まったく先を見る眼のないバブル屋だったのである。
 広岡達郎。ココロが大事などと説教する人間はたいていニセモノである。下にきびしい広岡は、自分に対してはまったく甘い。
 司馬遼太郎。日本のエスタブリッシュメントの言いわけの材料提供者。司馬ファンは浅い。
 ダイアナ。単なるわがまま娘に過ぎない。皇太子妃になって、その思慮の浅さに拍車がかかった。
 鶴田卓彦。日経も同じように、ジャーナリズムの批判精神を捨てたゆえに急成長したのではないか、
 池田大作。私は「名誉会長」なる人間を信用しない。
 山崎豊子。盗作とともに私が山崎を問題だと思うのは、、人物鑑定眼のなさ。
 中西輝政。それにしても男娼の如き学者が多すぎる。
 塩野七生。女司馬遼太郎である。
 竹中平蔵。「みんなの経済学」などと言っているが、実は「自分だけがトクをする無法経済学」を説いているのだ
 ジョージ・ブッシュ。父親より単純な現大統領は、利権を受け継いで、今度は世界のどこで戦争の火の手をあげるのか。、、小泉が雄叫びをあげることになる可能性は大である。
 斉藤孝。この人には身体だけがあって理想がない。、、「本の中」でしか「とんでもない奴」とつきあってこなかったから、現在のようなこじんまりとした人間になってしまったので はないか。
 河合隼雄。この人は暴力を振るわない島田伸助だと思う。
 三木谷浩史。田尾を簡単に解雇したことでわかるように、、、人間を大事にする経営者ではない。松下政経塾の卒業生は松下電器の最大の「欠陥商品」だ 。

<本の紹介>
鎮魂 吉田満とその時代 (文春新書)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166604368/hatena-ud-22/ref=nosim
現代史の中で考える (新潮選書)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106005263/hatena-ud-22/ref=nosim
  世界が揺れた激動の世紀末を、洒脱な「高坂節」が斬る!我らの進むべき道も歴史の生かし方次第。
税理士が行なう外部監査http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4496047799/hatena-ud-22/ref=nosim
自治」をつくる―教育再生/脱官僚依存/地方分権http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894347091/hatena-ud-22/ref=nosim
文明が衰亡するとき (新潮選書)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106037092/hatena-ud-22/ref=nosim
  文明の盛衰。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ、。という。世の中の(特に文明の)趨勢にせよ、或いは自分自身という個人の行く末にせよ、「自ら の経験によってしか」判断できない、いわば"固定観念主導"の考え方と、「自分は将棋の盤面でいえばどのような局面にいるのか」を考える"分析指向"で は、ずい分とその「知恵の使い方」は異なってくるだろうと思う。またそれでも「歴史は繰り返すもの」という見方は、それ自身がステレオタイプでもあ るけれど。それにしても、自分たちは「いまの自分たちの時間」を俯瞰的に解釈することが苦手である。自分が"そこ"にいるために、冷静になれないので ある。高坂氏はこれまで数あった文明の「衰亡の現象の解明」を試みたという。中国、インドについての言及はないようだが、ローマと米の現代文明につ いて、「経済、福祉政策、財政、官僚制、税制」について比較し、その共通項を探す試みをされている。特に『経済が衰退する時期において、「生活水準 の維持」を優先して、未婚率の上昇や少子化が進行した』というくだりは、今の先進国の抱える問題と、国民の不安をそのまま相似するような共通点を含 んでいる。国民が安定を期し、「公共頼み」が強くなればなるほど、政府は弱体化する。人はやはり「根拠のない安定」を与えられると、その「ユルさ」 に負けてしまう性質を持っている。だから、簡単に「そこに持たれてしまわないための自立訓練」が必要なのである。"茹でガエル理論"はここでも正し  い。政局は混迷するばかりだが、「今こそ歴史に学びたい」と思う。
  『繁栄社会の行く末を考察。衰亡論は、著者がいうように、人間に運命を考えさせるという意味で、不思議に人をひきつける。本書ではローマ帝国、ベ ネチア、それからアメリカに代表される現代文明について、繁栄した社会がどうして衰退した(ように見える)のかを考察している。著者は「衰亡の現象 を過去の歴史に当たって解明しようという大それた気はない」と強調するが、その内容は極めて示唆的だ。例えば、ローマ帝国では、福祉政策と大衆社会 化が進み、財政悪化や規律の弛緩(しかん)を招いた。一方で官僚制は肥大化し、税負担が急激に重くなった。また、ベネチアでは、繊維産業が他国との価 格競争にさらされても、賃下げは行われなかった。経済が発展しなくなった17世紀、適齢期の貴族男性の未婚率が60%に上昇したのも、生活水準を維 持するために子孫を増やしたくなくなったから、と著者は推測する。どうしても日本に当てはめて読んでしまう。初版が刊行された頃、多くの人は今の日 本がこんな状態になるとは思ってもいなかっただろう。その時期に出されたことが衝撃だ。』(2012年7月4日 読売新聞)

◆昨年の今日は  http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120508
来週はいよいよ娘の受験1週間前。合格させてあげたい。何もできないので、ただ、祈るのみ。