5月25日。

 きょうも実家へ。

(5月25日生まれの偉人)
◆佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002年7月10日)は日本の考古学者。
弥生時代を中心とした考古学研究に携わり、日本人の起源から衣食住にまでわたるその研究範囲は幅広い。分かりやすく面白い考古学を提唱し、考古学の普及啓発を積極的に推し進め、特に博物館の充実・設立に取り組んだ。また、吉野ヶ里遺跡の保存など考古遺跡の保存運動や史跡の整備にも尽力するなど、自身の研究にとどまらない広範な活動を進めていった。
◆浜田 広介(はまだ ひろすけ、旧字体:濱田 廣介、1893年明治26年)5月25日 - 1973年(昭和48年)11月17日)は、日本の童話作家。本名は廣助。日本児童文芸家協会初代理事長。代表作に『泣いた赤鬼』『椋鳥の夢』『竜の目の涙』などがある。坪田譲治小川未明とともに児童文学界の三種の神器と呼ばれた。
○7年前に童話作家であった高畠町浜田広介記念館を訪問。斜めの変わった大屋根をかぶった記念館。この町は童話の里づくりを目指している。1973年に80歳で没した日本のアンデルセンと呼ばれたひろすけは、生涯1000編に及ぶ童話を書いた。ひろすけ童話賞というのがあって、ねじめ正一(まいごのことり)やさだまさし(おばあちゃんのおにぎり)が近年受賞している。和歌、俳句、絵、新体詩など若いときから多彩な才能を開花。
 「童話五十余年 立ち止まり 振り返り またも行く 一筋の道だった」(これは昭和47年の言葉である。お伽話から、芸術性の豊かな児童文学としての童話への変化を主張した。「童話は自己を表現するにふさわしいもの」と「椋鳥の夢」の自序に書いてある。藤村はよき理解者だった。帰郷のたびのどう九回を楽しみにしていた。古賀正雄の歌の歌詞にも採用されているというエピソードも。独立までは、実業之日本社で「幼年の友」という雑誌も編集している編集者だった。「泣いた赤鬼」は子どもの頃に読んだ記憶がある。