今日は本社へ。『人気沸騰! 軽自動車 いま何が起きている?』(ガイアの夜明けから)

◆急遽、営業所長会議で本社へ。関係団体は課長が代理出席。
 ブログを続けて連続240日を達成。大きな記録であるが、公開せず、批判にさらされないほぼ「日記」状態ですね。300日を超えたら公開したいものである。

◆2013年5月28日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京ガイアの夜明け』〜人気沸騰! 軽自動車 いま何が起きている?
 高級車がよく売れ、大手海外自動車メーカーのディーラーが軒を連ねる東京世田谷区に、今年3月ホンダカーズ用賀店がオープン。これまでベンツを4台乗ってきたという男性は今回こちらのお店で軽自動車を購入。購入したのは昨年発売されたスポーツタイプの軽自動車N-ONEだった。ホンダは軽自動車に力を入れており、そのさきがけとなったN BOXは、全軽協調べの2012年の軽自動車販売数で1位を獲得するほどに。ホンダはかつて軽自動車のナンバーワンメーカーだったが、全国軽自動車協会会連合会調べのシェアでは長年ダイハツとスズキの2強状態に。その栄光を取り戻すために導入されたのがNシリーズで、2強に迫る勢いを見せている。トップのダイハツも黙っているわけではなく、話題の最新技術である追突しそうになると緊急ブレーキがかかるスマートアシスト機能をムーヴに導入。このような最新技術と経済性で軽自動車は自販連のまとめで新車販売台数の37.9%を占めている。この流れに乗り遅れてしまったのが、三菱自動車日産自動車。2社は異例とも言えるタッグを組み軽自動車市場に挑む事となり、軽自動車市場はまさに戦国時代の様相に。
 今回注目する軽自動車は日本独自のもので、排気量や長さ幅に規定があるが、高さは普通車並みの2メートルまで認められており、この高さで軽自動車は小型セダン・ワゴン型・スーパーハイト型と差別化をはかっている。熊本県宇土市にあるホンダカーズ 宇土店は、今後のホンダを象徴するショップ。この店ではN-ONEの全11色の実車を展示販売しているだけでなく、軽・小型車の全ての色とグレードを展示している。このようにホンダは軽・小型車に特化した店舗を「スモールストア」と名付け強化展開している。軽自動車でシェア2位のスズキは今年2月に堀北真希をイメージキャラに起用した新型スペーシアを発表したが、名物会長の鈴木修氏の表情は晴れなかった。それは軽自動車のシェア(全国軽自動車協会連合会調べ)で遂に30%を割り込み、トップのダイハツとの差が縮まないから。記者から「No.1への思いはありますか?」と聞かれた会長は「蓮舫さんが言った2番じゃダメなんですかという心境にはなれない」と答えた。そんなスズキの浜松市にある本社を取材。この日は全国販売店会議が行なわれていたが、ズスキはJ.D.パワー・アンド・アソシエイツ アジア・パシフィックが調査した、販売店顧客満足度が国内メーカーで最下位という問題を抱えていた。販売店に寄せられた苦情は多くが女性客からのもので、その点を改革する対策を行なわなくてはならなかった。
 女性客から販売店舗の印象が芳しくなかったスズキ(本社・浜松市)。イメージアップを狙って、宣伝部や営業部出身の女性4人によるプロジェクトチームが立ち上げられた。このチームは車の開発や店作りなどを女性目線から提案するのが目的。そのアイディアは3月に発売されたばかりのスペーシアにも採用されていた。そんなプロジェクトチームの次なる課題が、女性に好かれる販売店づくり。チームは丸の内にある、斬新な店作りで若い女性から注目を集める輸入家具ショップ「ハーマンミラーストア」を訪れ調査を行なった。江口洋介三鷹市にある、女性プロジェクトチームが手がけた「スズキアリーナ三鷹」を訪れる。店内は広く明るい雰囲気で、キッズコーナーを店舗の中央に配置したりお、授乳スペースがあるなどの心配りが行なわれていた。女性チームが関わったのはこの店が初めてだが、現在川越市で新店舗も建設中。
 ホンダとスズキが王者ダイハツを猛追する中、軽自動車のシェア(全国軽自動車協会連合会調べ)で、日産と三菱のシェアは2社合わせても1割程度。深谷市にある日産自動車の販売店を取材すると、軽自動車を扱ってはいたが、製造事業者はスズキとなっていた。これまで日産は軽自動車を自社開発せず、OEM車を販売していた。三菱自動車は自社で軽自動車を開発製造しているが5年以上新型モデルがない状況が続いている。昨年、岡崎市にある三菱自動車の開発部門を取材。そこにはNMKVという日産と三菱自動車がタッグを組んだ軽自動車の企画開発を行なう会社があった。共同開発する軽自動車の第一弾は今年6月に販売を予定している。開発にあたって当初リッター28.2kmが燃費目標で何度もテストが繰り返された。ある日のミーティングで日産のマーケティング部門出身者から、タッチパネル式エアコンを採用しないかとの提案が行なわれた。これを導入する事でコストアップしてしまうが、フェアレディZなどの高級車の開発に携わってきた日産出身者が、日産流のコストや品質管理を行なおうとしていた。倉敷市にある三菱自動車の工場で新型車は製造。工場では部品などの物流コストの検討会が、水菱プラスチックなどの部品メーカーも交えて行なわれ徹底した検討が行なわれた。日産自動車三菱自動車が共同で行なう軽自動車開発。当初燃費はリッター28.2kmと設定していたが、スズキ「ワゴンR」がそれを上回る28.8kmの燃費を実現したため、見直さなくてはいけない状況となり、目標を29kmとすることになった。技術スタッフからは後ろ向きの意見がでたが、この目標で開発を行なう事となった。日産自動車三菱自動車がタッグを組む形で行なう軽自動車開発。燃費29.0kmを実現するため責任者の後さんは厚木市にある日産自動車テクニカルセンターで燃費向上のための会議を行ない、岡崎市にある三菱自動車 技術センターで空気抵抗試験を行なうなど、燃費向上のために様々な動きを見せた。年が明けた今年1月。北海道音更町にある三菱自動車のテストコースでは、テスト走行が繰り返され、改良点を一つずつ確認。それを経てまたしても岡崎市のセンターで最終的な空力テストが行なわれたが、その結果燃費は目標を上回る29.22kmの数値が出た。日産自動車三菱自動車がタッグを組んで行なう軽自動車開発。今回新たに開発されたこの車に乗るため三菱の益子社長と、日産の志賀COOが揃った。試乗した2人は新型車の出来に自信を持った様子だった。日産自動車三菱自動車がタッグを組んで開発した軽自動車の発表が5月20日に行なわれた。この車輌は日産からは「DAYZ」、三菱からは「eKワゴン」として売り出され、燃費はワゴン型でトップとなるリッター29.2kmとなった。さらに内装には軽自動車で初となるタッチパネル式エアコンも搭載。
 同じ頃、ホンダ鈴鹿製作所では、日産・三菱の新型車と同じワゴン型クラスに投入される新型車の開発が行なわれていた。当然ながら日産・三菱連合もスーパーハイト型に導入する第2弾への検討会を行なうなど、軽自動車を巡る各社の開発競争にゴールはない。軽自動車は日本独自だが、新興国の人が初めて車を買う際は小型車を買うといわれており、軽自動車の技術はこれからの自動車メーカーに大きな武器となるであろう。

(5月28日生まれの偉人)
◆志田 順(しだ とし、1876年5月28日 - 1936年7月19日)は日本の地球物理学者。千葉県出身。東京帝国大学卒業。1909年に第一高等学校教授を経て、京都帝国大学理工科大学に着任。京都帝国大学理学博士。京都帝国大学名誉教授。
 地震のP波初動に押し引きの4象限分布があることを発見した。また、和達清夫よりも早く、深発地震の存在を指摘した(観測結果から存在を完全に証明したのは和達)。また、月と太陽の引力による地球の弾性変形(地球潮汐)に関する研究でも世界の先端を走り、「志田数」にその名を残した。
◆立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家・評論家。
 1974年(昭和49年) 『文藝春秋』に「田中角栄研究〜その金脈と人脈」を発表。大きな反響を呼び、田中退陣のきっかけを作ったとされる。文藝春秋角栄批判から手を引くが(その為単行本は講談社で出された)、その後も発表場所を変え、折に触れて田中金脈問題を取り上げ、ロッキード事件で田中が逮捕された後は東京地裁での同事件の公判を欠かさず傍聴し、一審判決まで『朝日ジャーナル』誌に傍聴記を連載した。また同誌上で「ロッキード裁判批判を斬る」を連載し、俵孝太郎渡部昇一田中角栄擁護論者を「イカサマ論法にして無知」と非難した。なお渡部は後年には、立花のことを高く評価するコラムを雑誌に発表している。朝日ジャーナルでの担当者は筑紫哲也。以後しばしば筑紫の番組に出演するなど公私ともに親交があった。
1976年(昭和51年)には『文藝春秋』に『日本共産党の研究』を連載。これに対して党側が組織的な反立花キャンペーンを展開して反論し、大論争に発展する。また、「総合商社」、「農協」、「中核・革マル」、脳死問題など巨大な権力、組織の究明を行う。
『諸君!』時代に書いていたサイエンス関係のテーマにも手を広げ、1981年には『中央公論』に「宇宙からの帰還」を発表。平凡社『アニマ』に連載された「サル学の現在」、ノーベル賞受賞者利根川進との対談『精神と物質』、『科学朝日』に連載された「サイエンス・ナウ」「電脳進化論」「脳を究める」、などのテーマを手がける。また、NHKやTBSなどにおいてドキュメンタリー番組制作にも携わり、連動した臨死体験などの著作もある。これらにより、1983年に菊池寛賞、1998年に司馬遼太郎賞をそれぞれ受賞。

<昨年の今日>も空白である。