今日は実家へ。久しぶりに山本七平著「『空気』の研究」を読み返す

◆母の病院の付き添いで実家へ。朝から、雨模様であいにくの天気であった。午前中から、畑の草取り。泥だらけ。午後から通院。疲れた一日である。11時に終身。明日は仕事である。

◆『「空気」の構造』(池田信夫著)から
 NHKを退職した経済学者である著者が日本の政治構造を分析し、網羅的に整理したものである。福沢諭吉とか丸山真男、中根千枝、山本七平など、戦後、多くの日本人論がでており、すでに30年以上も経過しており、古典と言われる著作物であるが、それらに共通する部分を整理している。
 (1)組織の縦割り、たこつぼ化。
 (2)中堅に実権があって、対局をみずに、声の大きい無謀な作戦、戦略にきまりがち。
 (3)年功序列、終身雇用などは、戦後の日本企業が獲得した資質。
(4)全員一致の原則となにも決められないシステム
 など、耳に痛いが、あたっている指摘が多い。これを々壊すかといえば、自由に組織とか政治行政に縛られずに、仕事を国際的に展開するのが一番早道だし、日本の閉塞感をぶちこわすきっかけになるであろう。この本を読み、目には見えないながらも日本社会に強く広く根を張り、さまざまな場面でその存在をはっきりと意識させられてきた「空気」について、改めて考えてみたい。昭和52年に出版された山本七平著「『空気』の研究」を改めて読み返し、印象的な文を抜き書きしてみた。現在の日本にも通ずるものがある。
 ・気になり出すと、この言葉は一つの〝絶対の権威〟の如くに至るところに顔を出して、驚くべき力を振るっているのに気づく。
 ・空気の責任はだれも追及できないし、空気がどのような論理的過程をへてその結論に達したかは、探求の方法がない。
 ・日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に処せられる。
 ・統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精緻に組みたてておいても、いざというときは、それらが一切消し とんで、すべてが「空気」に決定されることになるかも知れぬ。
 ・もし日本が破滅へと突入していくなら、それを突入させていくものは戦艦大和の場合の如く「空気」であり、破滅の後にもし名目的責任者がその理由を問われたら、同じように「あ のときは、ああせざるを得なかった」と答えるであろう。
 ・「空気」とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断基準」であり、それに抵抗する者を異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能 力である。
 ・われわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準のもとに生きている。
 ・対象の相対性を排してこれを絶対化すると、人間は逆にその対象に支配されてしまう、簡単にいえば、公害を絶対化すると公害という問題は解決できなくなるのである。そしてこの 関係がどうしても理解できなかったのが昔の軍部なのである。
 ・太平洋戦争で、「敵」という言葉が絶対化されると、その「敵」に支配されて、終始相手にふりまわされているだけで、相手と自分とを自らのうちに対立概念として把握して、相手 と自分の双方から自由な位置に立って解決を図るということができなくなって、結局は、一億玉砕という発想になる。そしてそれは、公害をなくすため工場を絶滅し、日本を自滅さす という発想と基本的には同じ型の発想なのである。
 ・われわれの祖先が、この危険な「空気の支配」に全く無抵抗だったわけではない。少なくとも明治時代までは「水を差す」という方法を、民族の知恵として、われわれは知っていた。
 山本七平だけでなく、丸山真男や中根千枝の俗に古典を言われる学生時代の本を読み返して見るのの良いかもしれない。

◆『世界が注目!紙の建築、災害住宅…“役に立つ建築”に挑む男』(2013年6月13日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京カンブリア宮殿」)
 2011年2月、ニュージーランドを襲ったM6.3のニュージーランド地震。あれから2年後、街は廃墟と化しておりシンボルだったクライストチャーチ大聖堂も無残な姿となっている。この大聖堂の代わりとなる建物の建設がスタートしており、現場には日本人・坂茂さんの姿があった。坂茂さんは設計を携わっており、再びシンボルを建てたいとしている。坂茂さんは建築家で代表作はフランスにある「ポンピドゥー・センター・メス」、総工費60億円がかかっている。坂さんはこの建物でフランス芸術文化勲章を受賞した。他にもドイツの「ハノーバ国際博覧会日本館」を設計、この建物ではベルリン芸術賞と世界建築賞を受賞している。クライストチャーチ大聖堂に代わる建物は世界的にも珍しい建築物で屋根には紙の筒が使用されている。坂さんは紙管を使う理由として値段も安く手に入りやすいとしている。更に、彼は超一流でありながら被災地を支援する建築家として知られており、今回の設計もボランティアだという。
 坂さんが被災地を支援する建築家となった経緯を紹介。1994年にルワンダ大虐殺が発生、この時にアポ無しで国連機関に乗り込み紙管を使ったテントの建築を提案、この行動により多くの人がテントを手に入れた。その後、スマトラ沖地震四川大地震、ハイチ大地震など様々な被災地に向かい紙管での建築を行なった。村上龍坂茂さんについて、ボランタリーの嫌らしさが全く無く自分のために行なっている。なので清々しい気分になり、このような人に国民栄誉賞を授与したほうが良いと話した。坂茂さんは”人の役に立つ建築家でありたい”との信念があり、このきっかけとなったのが阪神・淡路大震災。公園で野宿をしていた人らのために紙管での仮設住宅を作り、更に紙製の教会「ペーパードームたかとり」を作りあげた。そして2011年の東日本大震災では紙管で間仕切りを作り50以上の避難所で使われた。スタジオで坂茂さんが紙管で作った間仕切りを紹介。紙管どうしをくっつける際はガムテープを使っているため、簡単に解体できてリサイクルにも使えるという。
 これまでの坂茂さんの主な被災地支援の実績を紹介。1994年のルワンダ大虐殺を初めに、トルコ北西部地震ハイチ地震など海外だけでも10箇所となっている。坂茂さんが被災地支援で設計料を貰わない理由について、自分の生涯の社会的な役割として行なっているもので、設計料を貰うと手続きを行なう時間が必要となる。緊急時はすぐに行動を起こさなければいけないため、設計料をもらっていないという。被災地支援をする世界的建築家の坂茂坂茂建築設計は東京・世田谷にある。この他にもパリとニューヨークに事務所があり、東京だけでも20件以上の仕事を同時進行で進めている。東京・銀座の一等地にはスウォッチグループジャパンの本社ビルを設計した。坂茂は、幼少期に建築に興味を覚えて建築の名門であるクーパー・ユニオン大学を卒業した。紙の建築家と呼ばれるようになった発端は、展覧会の会場設計で紙管を使ったことから始まった。しかし、建築基準法では構造材は鉄や木材などに限定されていた。紙管を使うために強度実験や紙の家を作って、紙管の強さを証明して、紙管は建築資材として認められることになった。
 埼玉・上尾市ので紙管を専門に作る三協紙業を訪れた。太さや長さは自由に調節が出来て、再生紙から作られると製造過程を説明した。紙管は本当に強いのか、強度実験を行った。大人3人が乗っても重傷1.6トンの車が乗っても変形もしなかった。坂茂は紙管を様々なものに使ってきた。坂茂は紙のドームや三宅一生の紙のギャラリーなど、常識にとらわれない発想で建築の可能性を広げてみせた。坂茂は実際に紙管を持ってきて、どこででも手に入ると説明した。村上龍は、紙管は合理的だったから使っているのかと質問をした。坂茂は、環境問題のブームで使い始めたわけでははなく、たまたま捨てられなかった紙管を使って強度が良いことがわかったと話した。また、坂茂は世界中で仕事をすると格好いいだけではなく論理的に説明できる必要があると話した。世界中で被災地支援を続ける坂茂は、宮城・女川町に向かっていた。坂茂は、基礎の杭ごと流された建物に驚いたと話した。坂茂の設計した仮説住宅は3階建てで9棟に189世帯が入居している。3階建の仮説住宅は初めてのことで、コンテナを使用して造っていた。使用感を聞くと、ずっと住んでも良いくらいだとの答えが返ってきた。中をみると開放感があり、収納棚も多かった。坂茂は女川町役場に町全体の復興プロジェクトも任された。全体の完成までは8年がかりとなる。須田善明女川町長との話し合いでは、更地の場所に女川駅と駅前商店街の設計などについて話した。また、安倍総理も視察に来ており、坂茂が説明を行った。さらに教授を務めている京都造形芸術大学の教え子を復興プロジェクトに参加させるという。復興の被災地支援と町を作ることは大分違うのではないかという質問に、坂茂は復興に携わりたいとはもともとは思っていなかったが、女川町では町長を含めて町全体と仲良くなったことがきっかけで始めたと話した。また、教え子を復興プロジェクトに参加させることは、自分たちがどういう社会的役割を持っているのか学生時代から知ってほしいと説明した。坂茂の原動力はヒューマニズムだけではなく職業意識であると話題になった。
 5月、内閣府の古屋防災担当大臣は南海トラフ巨大地震の被害予測を発表した。建物被害は238万棟、最大950万人の避難者が出ると予測された。そんななか、坂茂大和リースの森田俊作社長らとタッグを組み、災害に備えた新しい住宅システムの発表をした。坂茂の考えた住宅システムは海外に大量発注して、普段は低価格住宅として販売し、災害が起これば仮説住宅として供給するというものだった。大和ハウスグループが大震災で供給した仮説住宅は1万戸余りで、いざというときには足りなくなる。坂茂大和リースとタッグを組んだ仮説住宅について、次に地震が起こると供給できないため今から考える必要があると説明した。こうした現状について、専門の業者だからこそ分かることもあると話題になった。残るものには興味があるが、人に愛されるものと一番必要なものを作りたいと話した。何が仮説で何が半永久的なものかは、その建築が愛されるかどうかで変わると説明した。村上龍は建築という表現のカテゴリーが嫌いで、東京都庁は都民に奉仕する公僕が働く場所として豪壮な淡麗な建築物が必要なのか疑問に感じている。しかし、坂茂さんの建築は建築家としての知識・技術・経験を人々のために使っており、建築は真に民主的なものへと姿を変えたとしている。


◆今日の偉人である知の巨人である梅棹 忠夫さんの言葉で印象的なのは、自らはオリジナルを言おうとしていることであり、本を読ムことは人の文書を引用するのではなく、人の行っていないことを探し表現するように心がけていることを改めて感心させられた。本を読むとその著者に引っ張られることが強い自分には大きな戒めであろう。まさに深い言葉(テレビ番組からの引用?)に思えて仕方がない。

(6月13日生まれの偉人)
◆梅棹 忠夫(うめさお ただお、1920年6月13日 - 2010年7月3日)は、日本の生態学者、民族学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授。 理学博士(京都大学、1961年)。
 日本における文化人類学のパイオニアであり、梅棹文明学とも称されるユニークな文明論を展開し、多方面に多くの影響を与えている人物。京大では今西錦司門下の一人。生態学が出発点であったが、動物社会学を経て民族学文化人類学)、比較文明論に研究の中心を移す。代表作『文明の生態史観』の他、数理生態学の先駆者(オタマジャクシの群れ形成の数理)でもあり、湯川秀樹門下の寺本英が展開した。さらに、宗教のウィルス説をとなえ、思想・概念の伝播、精神形成を論じた。その後も、宗教ウイルス説を展開し、後継研究もあり一定の影響を及ぼす。宗教ウイルス説は、文明要素(技術・思想・制度)が選択により遷移していくと言う遷移理論を柱にする文明の生態史観の一例であり、基礎のひとつである。
 フィールドワークや京大人文研での経験から著した『知的生産の技術』(岩波新書 1969年)は長くベストセラーとなり、同書で紹介された情報カードは、「京大式カード」という名で商品化された。1963年には『情報産業論』を発表。アルビン・トフラーの「第三の波」よりもかなり先行した時期に情報化社会のグランドフレームを提示した。「情報産業」という言葉の名づけ親でもある。その後の一連の文明学的ビジョンは『情報の文明学』(中公叢書 1988年/中公文庫 1999年)にまとめられている。1957年「第一次主婦論争」に「女と文明」(1988年に中公叢書)を書いて参戦し、「妻無用論」を唱えた。 
 <名言>
 ・「なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の眼でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あ  るきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これはいちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。」
 ・「私はいつもオリジナルを言おうとしています。本はよく読みますが、人が言っていることを引用するためではなく、人が言っていないことをさがすために本を読んでいます」
杉井六郎(すぎいろくろう、1923年6月13日‐2011年10月8日)は近代日本史学者。静岡県(現藤枝市)生まれ。弘前高等学校在学中に出陣、47年シンガポールから復員、1952年京都大学文学部史学科卒、61年同大学院退学、62年同志社大学人文科学研究所専任講師、67年助教授、73年教授、89年定年退職、名誉教授、京都女子大学教授、97年退職。
◆和歌森 太郎(わかもり たろう、1915年(大正4年)6月13日 - 1977年(昭和52年)4月7日)は歴史学者民俗学者。専門は日本の民衆史・修験道史。千葉県出身。

<本の紹介>
学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)http://d.hatena.ne.jp/asin/4480064702
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480064702/hatena-gd-22/ref=nosim
帝王学―「貞観政要」の読み方 (日経ビジネス人文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/4532190452
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532190452/hatena-ud-22/ref=nosim
今西錦司―そこに山がある (人間の記録 (75))http://d.hatena.ne.jp/asin/4820543202
文明論之概略 (岩波文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/4003310217
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003310217/hatena-ud-22/ref=nosim
・「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)http://d.hatena.ne.jp/asin/4004203260
文明論之概略 http://d.hatena.ne.jp/asin/4766416244
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4766416244/hatena-ud-22/ref=nosim
・企業再生プロフェッショナル (日経ビジネス人文庫) http://d.hatena.ne.jp/asin/4532196507
福沢諭吉文明論之概略』精読 (岩波現代文庫―学術)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4006001428/hatena-ud-22/ref=nosim
・なぜ日本は変われないのか 日本型民主主義の構造http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4906732003/hatena-ud-22/ref=nosim

<昨年の今日>はまた空白である。