東京都議選 自民全勝、民主第4党 公明も全勝、共産倍増し第3党 維新は敗北

(今朝のニュース)
東京都議選 自民全勝、民主第4党 公明も全勝、共産倍増し第3党 維新は敗北(毎日新聞 2013年06月24日 東京朝刊)
 参院選の前哨戦として注目された東京都議選(定数127)は23日投開票され、自民党が全42選挙区に擁立した59人全員の当選を果たし、都議会第1党の座を奪い返した。自民の獲得議席は過去10回では1977年と85年の56議席を抜き最多で、全員当選は史上初めて。協力関係にある公明党も23人全員が当選した。共産党は現有8議席から倍増以上の17議席を獲得し、第3党に躍進。前回54議席と大勝した民主党は15議席にとどまり、第4党まで転落した。都議選では初の本格参戦となった日本維新の会も2議席と伸び悩んだ。投票率は前回(54・49%)を大きく下回り、過去2番目に低い43・50%となった。
 今回の都議選は都政課題の明確な争点がなく、各党は安倍政権の経済政策「アベノミクス」への評価を主要な争点に取り上げた。
 自民党は「準国政選挙」(安倍晋三首相)と位置づけて、3分の1の14選挙区に複数擁立するなど攻めの戦いを展開。港区で2議席独占、3人を立てた大田、世田谷、練馬区でも全員当選を果たすなど強さを見せつけた。現職のみを公認した堅実な選挙で第2党になった公明と引き続き協力体制を敷き、都政運営を主導する構えだ。
 民主党は公認を前回より14人少ない44人に絞ったが、1人区で全敗したほか、定数8の世田谷区、同6の杉並区でも議席ゼロになるなど、昨年の衆院選から続く失速に歯止めがかからなかった。都議会ではこの4年間で離党者が相次ぎ、第1党としての存在感を発揮できなかったことも、都民の失望につながった。
 3回連続で議席を減らしてきた共産は、自公の大量得票で当選ラインが下がった定数3以上の選挙区などで健闘し、現有議席を大きく上積みした。みんなの党無党派層の一定の受け皿となり、支持を伸ばした。一方、大量の34人を擁立した維新は、共同代表の橋下徹大阪市長従軍慰安婦問題などを巡る発言による逆風をはね返せなかった。昨年の衆院選に続いて首都圏で足場を築くのに失敗し、参院選に向けての戦略見直しが迫られる。

(6月24日生まれの偉人)
◆中村 正直(なかむら まさなお、1832年6月24日〈天保3年5月26日〉 - 1891年〈明治24年〉6月7日)は、日本の武士・幕臣啓蒙思想家。東京女子師範学校校長、東京帝国大学教授。同人社創立者興亜会会員。また福澤諭吉森有礼西周らと<明六社>を結成。幼名を訓太郎。通称を敬輔。
 昌平坂学問所で学び、佐藤一斎儒学を,桂川甫周蘭学を,箕作奎吾に英語を習った。後に教授、さらには幕府の儒官となる。幕府のイギリス留学生監督として渡英。帰国後は静岡学問所の教授となる。教授時代の1870年(明治3年)11月9日に、サミュエル・スマイルズの『Self Help』を『西国立志篇』の邦題(別訳名『自助論』)で出版、100万部以上を売り上げ、福澤諭吉の『学問のすすめ』と並ぶ大ベストセラーとなる。
 ジョン・スチュアート・ミルの『On Liberty』を訳した『自由之理』(現在では同書を『自由論』と称するのが一般的)は、「最大多数の最大幸福」という功利主義思想を主張し、個人の人格の尊厳や個性と自由の重要性を強調した。1872年(明治5年)、大蔵省に出仕。女子教育・盲唖教育にも尽力。1873年明治6年)、同人社を開設。また、福澤諭吉森有礼西周加藤弘之らとともに設立した明六社の主要メンバーとして啓蒙思想の普及に努めた。機関誌「明六雑誌」の執筆者でもあった。
六大教育家のうちの3名のクリスチャン(あと2人は森有礼新島襄)のうちの1人。自助論の序文にある‘Heaven helps those who help themselves’を「天は自ら助くる者を助く」と訳したのも彼である。

<昨年の今日> http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120624
 この日記をみると、今頃も悩んでいたようである。それだけ、自分に進歩がないのであろう。でも、昨年との違いは今はかなり切羽詰まっているかも。これからどうするのだろうか。