「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」。そして、「千登勢橋」?「北ウィング」?

◆この言葉は山本五十六の言葉であり、人材育成の言葉でよく使われています。昨日の研修でも引用してみたが、改めて意味を整理してみました。
 まず「やってみせ」ですが、これは言うまでもなく「指揮官先頭」を表しています。指揮官先頭は、戦前の海軍のエリートを養成する海軍兵学校で厳しく教えられたことと聞いています。指揮官たるべきもの、常に先頭に立って行動しなければいけないということです。「やってみせ」無しで、「言ってきかせて」からスタートするリーダーも少なくありませんが、それでは、部下は心から動きません。自分が先頭に立って行動する覚悟がない限り、部下は動いてくれません。もちろん、すべてのことを上司は自分ひとりですることはできません。しかし、「お客さま第一」など原理原則に関わることは、自分が先頭に立って「行動」しないかぎり、部下はついてこないものです。
 「言ってきかせて」もなかなか難しいことです。「〇〇をやれ」とただ命令するのは「言ってきかせる」ことではありません。それをやる「意義」をしっかりと教えることが言ってきかせるということです。自分たちの理念に合っており、そのことをなすことが、どういう意義があるかをきっちりと説明しなければならないのです。リーダーが、自分が先頭に立って行動していても、それが、自分の私利私欲のためならだれもついてきません。
 そして「させてみて」です。部下も評論家にしてはいけません。やらせるのです。やらせることにより、実際に手を動かしてやってみることの難しさや、さらにはやってみることの楽しさや喜びを分からせるのです。評論家のような部下を持つことほど、大変なことはありません。理屈は一人前に言いますが、実行力の伴わない部下です。「やらない理由」をくどくど述べるだけで実績が出ない部下に対しては、とにかくやらせることが大切です。期限を決めてやらせることが、組織全体とともに本人のためにもなるのです。
 そして、最後の「誉めてやらねば」ですが、人は評価を求めます。やったことに対して、評価をすることが大切です。「良いものは良い、悪いものは悪い」ということです。この際に注意が必要なことがあります。「誉める」と「おだてる」は違うということです。両者を混同している人もいますが、誉めるとは、良い結果が出たことや人より努力したことを「すごい」と言うことです。たいしたことのないことや良くないことを「すごい」というのはおだてることで、これでは人は育ちません。仕事を甘く見る上に、上司も甘く見ます。あくまでも、正当な評価を与えることが大切なのです。

◆最近の私の気分は「千登勢橋」(門谷憲二作詞・西島三重子作曲 )でしょうか。
 駅に向かう学生達と 何度もすれ違いながら
 あなたと歩いた目白の街は 今もあの日のたたずまい
 指を絡めいつもと違う あなたのやさしさに気付き
 もうすぐ二人の別れが来ると 胸が震え悲しかった

 電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上
 千登勢橋から落とした 白いハンカチが
 ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは
 あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね

 胸の想い言い出せなくて 遠くでカテドラルの鐘
 思わずこぼした涙を拭いて 無理に笑った風の中で
 心のすべて燃やした恋を いつも見ていた橋の名は
 千登勢橋です あなたの淡い思い出に
 こうして会いに来ては 一人たたずんで
 あなたのくれた青春を 抱きしめ目を閉じます

 千登勢橋から落とした 白いハンカチが
 ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは
 あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね

◆それとも「北ウィング」(作曲:林哲司 、作詞:康珍化)かな?
 
  Love Is The Mystery わたしを呼ぶの
  愛はミステリー 不思議な力で

 映画のシーンのように  すべてを捨ててく Airplane
 北ウイング 彼のもとへ  今夜ひとり 旅立つ
  いちどはあきらめた人  心の区切りの Teardrops
  都会の灯り ちいさくなる  空の上で 見下ろす

 夢の中を さまようように   夜をよぎり 追いかけて 夜間飛行
  Love Is The Mystery 翼ひろげて  光る海を 越えるわ すこし不安よ

  苦しいだけの きのうを  あなたが住む 霧の街が
  雲の下に 待つのね
 
 恋の眠り 目覚めさせてく  見知らぬ空 夢色の 夜間飛行
 Love Is The Mystery 言葉をためて  ふいに 胸に飛びこむ それが返事よ

 Love Is The Mystery あなたは呼ぶの  愛はミステリー 不思議な力で
  Love Is The Mystery  (We Are In The Heart Magic)
  Forever Mystery  (I Can Hold You, Deep In My Heart)


(6月26日生まれの偉人)
◆高山 辰雄(たかやま たつお、1912年6月26日 - 2007年9月14日)は、日本画家。
 1912年(明治45年)、大分市に生まれる。1931年(昭和6年)、東京美術学校(現・東京藝術大学日本画科に入学、1936年(昭和11年)に卒業している。在学中から松岡映丘の画塾に入り、師事した。美校の卒業制作『砂丘』(1936年)は、砂の上に座るセーラー服姿の若い女性を俯瞰的に描いた洋画風の作品で、後の高山の作風を思わせるものはほとんどない。高山は戦後まもない1946年(昭和21年)ころ、ゴーギャンの伝記を読んで感銘を受け、その後の作風にはゴーギャンの影響がみられるようになる。1946年、第2回日展に裸婦2人を描いた『浴室』を出品し、特選となる。1949年(昭和24年)には日展に『少女』を出品し、やはり特選となる。この頃から独自の幻想的な画風が定着する。
 1975年(昭和50年)から1977年まで日展理事長を務め、任期満了後は日展常務理事、顧問となる。1972年日本芸術院会員。1979年(昭和54年)、文化功労者として顕彰。1982年(昭和57年)、70歳の時には文化勲章を受章している。1985年(昭和60年)には東京はじめ日本の5都市で「日月星辰−高山辰雄展1985」を開催。屏風絵の大作をはじめとする意欲作を出品し、健在ぶりを示した。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120626