とうとう連続270日。

 とうとう今日で連続270日になる。今月もあと三日である。この三日で何とか連続9ヶ月になる。今月から今日の偉人を書いて6カ月になる。偉人トいう表現が妥当か分からないが、、、、。継続するのは大変であるが、、、。
昨年の今日のブログから『事実も知らずに政治批判をしていることもある。批判ではなく、自らの意見を述べることは大事だが、主張を整理しておきたいものである。書きながら考えることで、自分自身の自然体が出てくる。才能を信じて自分なりの文体をつくっていけということなのだろう。だからいますぐ書け、である。』(<昨年の今日> http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120627


(6月27日生まれの偉人)
◆竹田喜之助(たけだ きのすけ、大正12年(1923年)6月27日 - 昭和54年(1979年)9月5日)は、日本の人形師。本名は岡本隆郎(おかもと たかお)。◆谷沢 永一(谷澤 永一、たにざわ えいいち、1929年6月27日 - 2011年3月8日[1])は、日本の文芸評論家、書誌学者。関西大学名誉教授。専門は日本文学(近代)。渡部昇一との共著が多い。
 旧制大阪府天王寺中学校から関西大学予科を経て同文学部国文学科卒業。同大学院博士課程修了。文学博士。書誌学者。
長老教授金子又兵衛の世話で同文学部助手となり、講師、助教授、教授を務め、1991年に定年より9年早く退職して名誉教授となる。
1980年、書評コラムを集めた『完本 紙つぶて』で、サントリー学芸賞森鴎外坪内逍遥の論争を論じた『文豪たちの大喧嘩 鴎外・逍遥・樗牛』で、2004年に第55回読売文学賞研究・翻訳賞。大阪市民表彰文化功労、大阪文化賞、2006年『紙つぶて 自作自注最終版』で毎日書評賞を受賞。恩師の影響により十代で日本共産党員になったが、大学在学中に転向した。皇室を重んじる保守の論客の一人である。文学史家としては、普通の学者が無視するような「雑書」に丹念に目を通し、そこから新たな発見をすることの重要性を語っている。1995年発行の「人間通」は、著者独自の人生論でありベストセラーになった。
◆横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は、兵庫県西脇市生まれの美術家、グラフィックデザイナー。西脇市名誉市民。神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。1980年7月にニューヨーク近代美術館にて開催されたピカソ展に衝撃を受け、その後、画家宣言(これはデザイナーは商業的であり、画家より格が低いという思想から。明確な両者の差はない)。以来、美術家としてさまざまな作品制作に携わる。向田邦子脚本によるテレビドラマ『寺内貫太郎一家』(1974年・TBS)では、倉田という謎の多い人物を演じた。