今日は七夕。でもまた再び週末農業に追われる。猛暑に負ける。そして上杉隆の語る「フクシマの真実」、「PRプロデューサー 殿村美樹」

◆七夕の由来、歴史
 七夕は「たなばた」または「しちせき」とも読み、古くから行われている日本のお祭り行事で、一年間の重要な節句をあらわす五節句(※)のひとつにも数えられている。毎年7月7日の夜に、願いごとを書いた色とりどりの短冊や飾りを笹の葉につるし、星にお祈りをする習慣が今も残ります。子供のころ、たくさんの短冊をつるしておりひめとひこぼしにお願いごとをしたものである。
 七夕はいったいいつから、どのようにして始まったかを調べると、その起源には数多く説があるが、
(1)もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」と
(2)おりひめとひこぼしの伝説と
(3)奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」
という行事があわさったものと言われている。

◆久しぶりに昨日に続き猛暑であった。昨日は寝苦しい一日であった。暑さの為、草取りは中断し、来週に延期。でも、来週はもっと伸びている可能性があり、不安。夕方自宅に戻る。今週は猛暑で母親の様子も心配。水分補給をまめにすることと、エアコンを使うようにはなす。多少きびしい言い方であったが、やむえない。
 夕食後病院へ面会へ。明日以降も猛暑に見込み。かなり暑そうである。

◆フクシマの真実(1)東北新幹線に乗って測ってみれば…(上杉隆/文)http://no-border.asia/archives/10367 2013年07月01日 News Log
 福島に通い続けている。今年(2012年2月当時)に入ってからは、すでに12回、郡山、福島、二本松、いわき、相馬、会津と県内各地を飛び回っている。3・11以降、「フクシマ」は世界でもっとも注目される地域の1つになった。哀しいことだ。東京電力福島第1原発事故への対応の失敗、そして放射性物質に関する住民への不誠実な情報提供は、政府のみならず、日本社会自体への不信感を生んでいる。
 とりわけ放射能の問題は、福島県と日本一国だけに留まらない。大気や海洋を通じて、世界中に拡散されることから全人類共通の課題となったとみていいだろう。実際にこの2月、私は、欧州・ルクセンブルクで開かれた欧州議会が主催する「オーフス会議」に日本の「代表」として呼ばれ、「フクシマ」の現実について語ってきたばかりだ。四半世紀前、チェルノブイリの悲劇を経験した欧州の人々は、総じて放射能による環境汚染への危険意識が高い。
その彼らの口を借りれば、「実は、日本の国民こそがもっともフクシマの情報を持っていないのではないか」(フランスMustadis代表、ジル・エリアール・デュブルイユ氏/実は「エートス」の代表のひとりでもあった。後に判明)と疑問に通じる。実際、そうした「情報隠蔽」は、福島に通い続けている私自身も実感している。東北新幹線に乗って、放射線測定器(CsI(Tl)シンチレーション検出器)のスイッチを入れると、宇都宮駅まで低かった数値が那須塩原駅に近づく頃から急激にはね上がる。福島県内では、走行中の新幹線車内ですら、毎時0・5マイクロシーベルトを超え、郡山駅前に降り立てば、空間線量は軽く毎時1マイクロシーベルトを超えてしまう(2012年2月当時/現在は0.6マイクロシーベルトまで下がっている)。だが、こうしたセシウム汚染の実態を知る者はそう多くはない。あるいは気づいていても気づかないふりをしている者も少なくない。政府の除染支援対象区域(現在の汚染状況重点調査地域)は毎時0・232マイクロシーベルトと定められている。県内の多くの場所はその数値を超えている。私が、福島に通い続ける最大の理由はこれだ。世界でも最もフクシマの真実を知らない福島県の人々に、内外との情報格差を埋めてもらい、判断材料のひとつにしてもらいたいのだ。なにより、真実を知る以外に福島の復興も支援も不可能なのである。
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 フクシマの真実(2) 除染しても人の住めないところがある(上杉隆/文)http://no-border.asia/archives/10447 2013年07月02日
 東京電力福島第1原発から外部に放出される放射性物資は、毎時7000万ベクレルを超えている(2012年当時/事故から2年が過ぎた現在でも毎時1000万㏃)。仮に3・11前にこの数値だったら、日本中が大騒ぎしていることだろう。だが、いまの日本では放射性物質のリークというニュースが大きく取り上げられることはほとんどない。逆に、政府は「絆」を合言葉に「復興」や「支援」ばかりを謳い、多くのマスコミは原発事故による放射能の問題はあたかも終わったような雰囲気作りに協力している。とりわけ、それは福島県の2つの県紙「福島民報」「福島民友」などでも顕著だった(当時)。
 『除染元年 うつくしま、福島』(福島民報 2012年1月1日)国と同様、福島県でも行政と報道による「官報複合体」が一体となって、こうしたキャッチフレーズを多用し、「フクシマの真実」から県民の目を背けようとしている。福島での環境への放射能汚染、とりわけ人体への被曝の危険性は減っていないにも関わらずだ。「信じられない。とてもではないが、人が生活できるような数値ではない」イタリア「スカイTG24」のピオ・デミリア特派員はあきれたようにこう語った。
 福島に通う筆者が、知己の海外特派員たちに、原発から50キロ以上離れた福島市郡山市の空間線量の値を伝えたときの反応は概ねこうである(現在でも同じ反応を示す海外ジャーナリストは少なくない。海外特派員らによる「除染しても空間線量の下がらない場所がある」という指摘は、チェルノブイリの経験をした者であれば当然と見るようだ)。また2012年2月、筆者が、郡山市役所前で測った地上1メートルの空間線量の値は毎時1.3マイクロシーベルトを超えた。一方、同じ日「地元紙」では、同じ地点での線量が0.6マイクロシーベルトとなっている。公の発表と筆者の測定値がなぜこうも違うのか。ちなみに私の使っている測定器は、日立アロカ製(サーベイメーターPDR-111)、政府や福島医大の使っているものと同種である。「だって、あの発表の数値は、測定前(設置前)に水で地面を洗って測ったりしているんです。違うのは当然ですよ」(当時、この発言をデマだという「同業者」たちが数多くいた。だが2012年秋、全国紙が相次いでモニタリングポストの計測前(設置前)の「除染」の実態を報じると、逆に「福島エートス」の案内で取材をしていたジャーナリストの方の誤報が明らかになった。つまり筆者らの指摘は正しかったのである)
 地元の記者がこう種明かしをする。もはやジョージ・オーウェルの「1984年」の世界だ。「もう、空間線量の値をいちいち指摘する人はいません。いくら言っても放射能がなくなるわけではないですから」事実を伝えなくてはならない記者ですら、こうである。現実を直視するものがデマ扱いされ、奇異な目で見られる…。哀しいかな、それが「フクシマの現実」なのである。
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 フクシマの真実(3) 海はつながり、水は流れ、魚は移動する(文・上杉隆) http://no-border.asia/archives/10491  2013年07月04日
 「分水嶺となる阿武隈山脈から、F1(福島第1原発)を洗い流すように太平洋に地下水が流れている」事故以来、福島第1原発の緊急対応に当たっていた馬渕澄夫原発事故担当首相補佐官〈当時〉は、2月21日(2012年当時)の自由報道協会の会見で、驚きの事実を次々に明かした。「使用済み燃料プールのある4号機は雨ざらしになっており、天井がドスンと落ちる形で爆発し、当時からそのまま海洋に汚染水が流れ出している状態だ」建設会社に勤めていた馬渕議員は、事故後の4号機の中に入った唯一の国会議員(2012年3月当時)で、現在の政府の事故対応を批判している数少ない当事者の1人。だが、馬渕氏の重要な発言が、マスコミで報じられることはめったにない。まるで「馬渕証言」が存在していないような報道ぶりだ。馬渕氏の言う通りであるならば、当然に福島や周辺の海は放射能で汚染されており、そこにすむ海洋生物も危機にさらされているということになる。海はつながり、水は流れ、魚は移動する。だが、日本政府とマスコミはこの自明の理を忘れたかのような対応を続けている。例えば、2011年4月、国際環境NGOグリーンピースは海産物の放射能調査を日本政府に打診した。結果は、世界で2例目となる「拒否」であった(インドネシアに次いで。インドネシア政府はその後国内メディアなどの批判を浴びてに解除している)。当時、そのグリーンピースとともに東日本の各漁港を取材していた私は、わかめや昆布などの海藻や魚介類の中に、高いレベルの放射能汚染個体のあることを知り、さっそく自身の「メルマガ」(2011年4月)や『週刊文春』(2011年5月)などでリポートした(当時、取材に当たってはグリーンピースジャパンの佐藤潤一事務局長および花岡和佳男海洋生態系問題担当に多くのアドバイス・協力をいただいた)。その直後、猛烈な批判の声が寄せられる。ツイッターなどでも「魚が危ないというデマを流すな」「寿司屋の敵は死ね!」と罵(ののし)られる日々が続いた。そうした声の中で励ましの声をくれたのは、何と、当の福島の人たちだった。「上杉さん、ありがとう。それこそ俺たちが一番知りたかったことだよ」
いわき市漁協の漁師=現在も休漁中/発言は2011年12月。2011年4月から通い続けた漁協・漁港取材の一環。ちなみに蛇足ではあるが、筆者は「漁協」を「漁港」と誤記したために「そんな漁港は存在しない」という理由でずっと嘘つき扱いをされることになる。ミスは反省するが、本筋(海洋リーク)から外れた議論が永遠に続くのは極めて不健全であると考える)
「(いわきの)海が好きだから、本当のことを知りたいだけだ。できることならばなんでも協力するよ」(同県いわき市のサーファー)
いまなお、東京電力福島第1原発からは、海洋への放射能汚染が続いている(2013年現在、それはさらに深刻な事態になっていることは各報道でお分かりだろう)。米国海洋調査会社ASRによれば、その汚染は東北太平洋岸を北上し、すでに北海道南東岸にまで達している。北海道のタラバとサバの缶詰めから、放射能汚染が見つかったのは昨年夏のことである(北海道庁の発表による/2011年当時)。しかし、政府もマスコミも、その事実を「黙殺」したままである。

◆「PRプロデューサー 殿村美樹」(2013年7月7日放送 21:54 - 22:48 テレビ東京 「ソロモン流」より
 今宵の賢人は、ゆるキャラブームの火付け役・彦根市キャラクターひこにゃんや、ご当地グルメの代表格の「佐世保バーガー」、そしてさらに昨年流行語大賞にノミネートされたうどん県キャンペーンの仕掛け人・殿村美樹。PR業界で注目を集める存在であり、「今年の漢字」もこの賢人が仕掛け人。18年前に訪れた日本漢字能力検定協会で、受験生が増えるようPRを頼まれたときに“漢字を楽しむイベントにしたほうがブームにしやすい”と読み、まず新聞を使って漢字を募集し、京都・清水寺を舞台に発表した。そして10年間で累計52億円の広告効果を生み出した。今宵の賢人は、PRプロデューサーの殿村美樹。今夜は、彼女の驚きの実績の数々や、巧みなPR戦略に迫る。
 大阪府大阪市にあるTMオフィスは、殿村美樹の事務所。28歳でPR会社を作ってから社員も取引先も少しずつ増やしてきた。現在は30のプロジェクトが同時進行しており、タクシーで駆け回る日々を送っている。取材の日、殿村美樹は「ユザワヤ」を訪れて生地を購入、事務所に戻って古代コスプレの衣装を作った。この衣装は、青森県で古代コスプレのウォーキング大会をおこなおうかと考えた中でのものだった。
 平安時代から続く京都の由緒あるお寺「浄土宗大本山 清浄華院」で、祈りながら畳を燃やす行事がおこなわれた。1000年の歴史を持つ畳を感謝して供養し、これにより日本古来の文化を見直そうという狙いがある。テレビ局などのカメラが続々と集り、この行事の注目度をうかがわせる。畳の需要は今では20年前と比べて3分の1に減少、そこで全国畳産業振興会は賢人にPRを依頼、賢人は商品の良さを客観的に見極め、マスメディアなどを通して情報発信している。数日後、この催しについて取り上げられた記事がいくつでたのかチェックしてみると、全国で117媒体に掲載、広告効果は1億7000万円にのぼった(イベント予算200万円)。金額は広告業界の計算方法でどのくらいの広告効果があったのかをはじきだすが、今回掲載された京都新聞を例に挙げると、今回の大きさの場合は90万円ほどで、全国紙(読売新聞の場合)になると1250万円ほどになるという(メディア・リサーチ・センター発行 夕刊メディア・データ調べ)。
 賢人の、お金をかけずに情に訴え、文化を作ってPRするという賢人の手法は、注目を集めてたくさんの取材を受けた。そして賢人は「忘れられないものを売るズラしの手法」(青春出版社)などの著書を出版。賢人が成功を手にした最大の理由は、街に出て消費者の気持ちに寄り添うよう努力しているのもそのひとつ。ある日、賢人は心斎橋で女性たちに注目し、はいている靴のヒールの高さをチェックした。ある日、賢人が心斎橋で女性たちに注目し、はいている靴のヒールの高さをチェックした。これは長年続けているもので、これにより時代の変化がわかり、女性が今どんな気分なのかを知ることで、広告の仕方も変わってくるという。街の女性たちの靴のヒールの高さのチェックが役立つ日がやってきた。京都府京都市を訪れた賢人が、100年の歴史を誇る老舗「乾物の京山城屋」を訪れた。この店で販売しているのは乾物。賢人は地方や中小企業に対しての商品開発や販路開拓などのアドバイスする魅力発掘コンサルタントとして各地でアドバイスをしており、この日は店長から売れ行きについての相談を受けた。相談を受けた賢人は、街でチェックした情報から“今の女性は自分にお金をかけようとしている”とみて、そんな気分にする売り方はできないかと、ターゲットを女性に絞って「調味料」として売るのはどうかと提案した。アドバイスを受けた店長はリニューアルを決意。一週間後に再び店を訪れてみると、店長はちょうど棚作りの真っ最中だった。商品のパッケージも賢人の指示どおりにし、店内に定点カメラを設置して様子をみたところ、やってきた女性客たちは商品に目をひかれ、商品を売ることができた。
 賢人は毎日激務を終え、深夜帰宅をすることも珍しくない。7年前に離婚した賢人には子どももなく、現在マンションで猫と暮らしている。食事後、自身が運営するウェブサイトで掲載しているコラムの執筆をおこなった。賢人は1961年京都府宇治市で生まれた。父親は画家で、裕福ではないものの、何不自由ない暮らしをしていた。しかし小学5年で突然母親が家を出てしまい、絵を描く気力をなくした父親と、庭で野菜を育てて飢えをしのぐ貧困生活を送った。さらに4歳年下の妹にとっては母親代わりとなり、いじめまで受けていた。貧困生活を送っていた賢人の子ども時代、ある日何気なく立ち寄った商店街でやさしく相手をしてもらったことにとても感動したという。これが殿村流PRの原点となり、その後奨学金で大学へと進学、30以上のアルバイトをこなした。そして大手広告代理店に就職し、25歳で結婚。売れない画家だった父親の絵をPRできる人になりたいと、28歳のときに会社を設立。しかし創業まもなく父が他界。親孝行できなかった悔しさをバネにして仕事にのめりこみ、そして予算が少ない仕事でもブームを起こす天才としてしられるようになった。現在は関西大学で教鞭をとり、そのノウハウを若い世代に教えている。ラジオ番組でもビジネスの秘訣を気さくに語っている。そんな賢人が今、力を入れているのは“地方活性化”。全国の自治体で後援会を開き、町おこしのノウハウを伝えている。
 肴や「呉平」にて、賢人は唯一の家族といえる存在である妹夫婦と食事をした。母親が家を出たとき、妹のあかねさんは毎日玄関で母親が帰ってくるのを待っていたという。姉である賢人は、お姉さんというよりもお母さんの役割を果たそうとしてくれたと語った。船越英一郎が、今宵の賢人・殿村美樹と対面。さらに賢人のPRに注目していた経済アナリストの森永卓郎も合流し、対談した。賢人について森永卓郎は、「PR業界のマジシャンと言ってもいいと思います」と言い、賢人が仕掛けたPRにどのくらいの効果があったのかを語った。賢人が仕掛けた彦根市のキャラクター「ひこにゃん」は、数百万円のコストで2億5000万円の広告効果があったという。2007年、彦根市で開催された記念行事「国宝・彦根城 築城400年祭」で、滋賀県から件の観光振興を目的としたイベントのPRを依頼された賢人は、当時まだ無名だった埋もれたキャラクターのひこにゃんなら女性も飛びつくだろうと思い、ターゲットを「城好き」から「女性」へとずらし、そして雑誌や新聞記者のためにひこにゃんと一緒にお城を巡るツアーを企画した。このツアーにはマスコミの女性記者を50人招待。ひこにゃんの情報は一斉に配信され、観光客動員に成功した。そしてこのほかにも、昨年大ヒットした香川県に集客を考えたPRビデオも賢人が仕掛けたもの。当初、香川県からの依頼は、すでに製作されていた「うどん県」ビデオを有名にすることだった。このPRの予算は30万円ほどで、この広告効果は7億7000万円にもなったという。また当初は、東京で香川県の特産品などで作った料理の試食会と記者発表が行われる予定だったが、殿村美樹はネット上で人気のグルメブロガーたちに着目し、人気のブロガーにひとりひとり連絡をとって20人を招待。そしてこのうどん県の映像を見せたところ、たちまち反応があり、ネットで中継されて有名になった。その結果、このビデオを見るために観光情報サイトにアクセスが殺到。サーバがダウンするほどまでになった。そして今度はこのサーバダウンが新聞記事になり、結果あらゆるメディアが取り上げる結果となった。
 徳島県徳島市徳島市役所を訪れた今宵の賢人・殿村美樹のもとに、徳島市イメージアップキャラクターの「トクシィ」がやってきた。このトクシィの知名度を上げたいという依頼があり、ゆるキャラの仕掛け人として賢人にとっては腕がなる依頼だが、時間がないという問題があった。2ヶ月という期間が制限される中、賢人は記者会見場を地元の保育所に設定し、そこに伝統文化を次世代へ継承する日本初の「教育ゆるキャラ」としてトクシィが登場。この記者会見の模様は全国で64の報道媒体が取り上げ、イベント予算は150万円のところ広告効果は1億9000万円にものぼった。古くから焼き物の町として知られる岐阜県土岐市を訪れた賢人は、焼きものの窯元を訪れた。この窯元のご主人に、賢人は商品作りのアイデアを提供してきた。この日、試作品が完成したとのことで見せてもらったところ、小さな子ども茶碗で年齢別の大きさにした七五三茶碗だった。そして賢人は、実際に子ども達に使ってもらおうと子どもを窯元に招待した。創業100年近い老舗に子ども茶碗のアイデアを出した賢人は、子ども達を実際に招待して茶碗を使ってもらった。
 船越英一郎が、今宵の賢人を振り返り「次に賢人がどんなことに目をつけてどんなブームを起こすのかを楽しみにしたい」と語った。

◆中井が決勝2号2ラン!杉内8回8Kで7勝
 巨人2―0DeNA(7日・東京ドーム) 巨人は中井の2号2ランで奪った得点を杉内―山口の完封リレーで守りきり、貯金を「18」に戻した。先発の杉内は8回132球を投げ、散発の2安打1死球奪三振の快投で7勝目を挙げた。走者を出しながらも9回を抑えた山口が3セーブ目。


(7月7日生まれの偉人)
◆三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日(万延元年5月19日) - 1945年(昭和20年)11月26日)は、日本の哲学者、評論家。加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎。妻の三宅花圃(みやけかほ、旧姓:田辺)は樋口一葉と同門だった小説家、歌人
 後藤象二郎大同団結運動や条約改正反対運動など自由民権運動に関わる。1888年志賀重昂杉浦重剛らと政教社を設立し、国粋主義の立場を主張する為、『日本人』を創刊する(後に『日本及日本人』に改題)。その後も、個人雑誌として『我観』を創刊、『中央公論』等に論説を発表するなどして注目を集めた。林内閣において文部大臣への入閣の要請があったものの辞退している。こうした一貫した姿勢が人々の信奉を集め、左右を問わず多くの人々から尊敬された。1937年帝国芸術院会員、1943年文化勲章受章。主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』(冨山房百科文庫で再刊)『自伝』(人間の記録日本図書センターで再刊)『宇宙』等。『ジャパン・レビュー』への寄稿もある。
 ・「天下無敵のメディア人間」(佐藤卓巳)は、中津出身の野依秀市(1885--1968年)の全貌を描いたものである。野依は中津近郊出身の大横綱双葉山の結婚の媒酌人であり、衆議院議員 に大分から二度当選している。渋沢栄一三宅雪嶺に可愛がられた野依は経済雑誌「実業の世界」や新聞「帝日」を主宰したジャーナリストだったが、この人ほど毀誉褒貶のある人も 珍しい。野依の人物評は、露伴、雪嶺に愛された騒動男ともいわれており、雪嶺の可愛がれたことが判る。そこに、雪嶺が人々の信奉を集め、左右を問わず多くの人々から尊敬された 一面をそこにみる。

<昨年の今日>は9日まで空白である。いかに生活のリズムがみだれていたか分かる。