平常心を

◆何も考えるな。今、大事なのは平常心。自分を大事にせよ。今自分に大切なものは何か。今自分にとって、大事な物は何か。それを忘れずにしていこう。今日も暑そうである。それに富まない、自分の感情が揺れることがないように。発言にぶれがないようにしていきたい。これ異常動かないようしていきたい。

◆『バイロン・ウィーンの「日本びっくり5大予想」について』
 先週水曜日(7月3日)の日経ビジネスオンラインに、年初の「びっくり10大予想」で有名なバイロン・ウィーンの「日本びっくり5大予想」に関するインタビュー記事が載っていた。
 第一番目は、「来年のどこかの時点」で「1%の成長、1%のインフレ率、1%の日本国債利回り」が実現する。
 第二番目は、「農業規制緩和で経済活性化へ」というもので「日本の規制環境が緩和傾向に向かっていくと予想」しているが、TPPへの参加により、そのような方向に向かうことを期待したい。TPPと農業ということでは、日本への参加に動いて行くということになった以上、1952年に制定され日本農業の近代化を遅らせた大きな責任がある法律、「農地法」を大幅に見直し抜本的改正に踏み切って、農業の生産性を上げざるようにせざる得ない。
 第三番目には、「日本と中国の関係が良好になるというもの」で『尖閣諸島の問題(中略)が解決に向かう』と見ている。しかし、尖閣問題の主張には大きな隔たりがあり、両国ともそういう方向に向かわざるを得ない意向があるが、かなり時間をように思える。中国を取り巻く環境は、①6%台にまで落ちるとも言われる経済成長率の低下、②米国主導のTPPにより中国包囲網が完成しつつあること、③外国資本の中国からの引き揚げ等々、一段と厳しさを増している。③について、日本の実業界とりわけ製造業からよく聞こえるようになってきているのは、工場を新設するに当たっては、最早中国というよりも人件費がより安くなったベトナムカンボジア、あるいはミャンマーへというASEANシフトの声である。さらに、米中戦略経済対話でも取り上げられた中国における「影の銀行(シャドーバンキング)」問題を解決に向かわせるべく、中国が統制経済を徐々に自由化の方向(これは中長期的には望ましいこと)へと舵を切り始めているという中で、今一時的混乱が生じているような状況にもある。更には、先日閣議で了承された「平成25年版防衛白書」においても、「中国は、国内に少数民族の問題を抱えており、チベット自治区や新疆(しんきょう)ウイグル自治区などにおいて少数民族の抗議活動などが発生しているほか、少数民族による分離・独立を目的とした活動も行われていると伝えられている」とあるように、民族問題も色々な所で激しく起っているわけで、尖閣問題を巡り何時までも日本を敵対視し続けるのは中国にとっても非常に良くない状況かも推察される。他方、日本にとっても中国との関係良好化は日本経済に最も良いインパクトを及ぼす面があって、日本は中国という巨大市場を失わぬよう何が何でも早急に関係改善を図らねばならないのも事実である。  
 それから第四番目の予測は、「円安が進行し1ドル=120円に到達」というものですあるが、先ず米国の量的緩和縮小と日本の「異次元緩和」継続という中で、日米長期金利差が拡大して行く限りにおいて基本的に円安基調を辿って行く。日本経済にとっては却って行き過ぎで100円〜105円の間で止まった方が良いかもしれない。
 最後に第五番目の「日経平均株価は来年に2万円か」というものについて言えば、今は18,000円としている。日本の相場は長期上昇局面に入ったばおり、今年中から来年に掛けて日経平均18,000円から20,000円というのは十分にあり得るかもしれない。



◆雨が降ってた… (作詞:岩里祐穂、作曲:上田知華
 
 こんないとしさに出逢うなんて 思いがけもしなかった
 抱きしめる腕を Ah…
 逃げるように  愛をすてたのは私
 雨が 雨が降ってた あの日の場面が ここにある
 すこし傷んでる髪を 気にする指がふるえ…
 あなたが今 見つめてる
 駐車場にできた水たまりに 小さな輪が生まれてる

 ふつうの女ね fu…  私なんて
 誰かいなきゃ こわれそう
 もっと素直になりたい あやまち それさえ おそれずに
 あなた ほほえんでくれた とまどうように
 あふれるよに

 雨が 雨が降ってる あの日の場面が ここにある
 ゆるく たおれてゆくから  悲しいくらい 強く 激しく
 ただ 奪って



◆7月12日はラジオ本放送の日。1925年のこの日、東京放送局(現在のNHK)がラジオの本放送を開始した。仮放送が始まったのはその年の3月22日だった。

(7月12日生まれの偉人)
◆久原 房之助 (くはら ふさのすけ明治2年6月4日(1869年7月12日) - 昭和40年(1965年)1月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員当選5回(16、17、18、19、25回総選挙)。逓信大臣、内閣参議大政翼賛会総務、立憲政友会(久原派)総裁を歴任。日立製作所日産自動車日立造船日本鉱業創立の基盤となった久原鉱業所(日立銅山)や久原財閥の総帥として「鉱山王」の異名を取った。義兄の鮎川義介と共に「政界の黒幕・フィクサー」と呼ばれ、右翼に資金を提供して二・二六事件に深く関与した。戦後はA級戦犯容疑者となり、公職追放となった。戦後は日中・日ソ国交回復議長などを務めた。また、現在の大東急記念文庫の基礎を築いた。
 ・中国と台湾双方から国父と呼ばれている孫文は、日本との縁が深い。中国革命がなった後、革命に貢献した日本人として、幾人かの人物を挙げている。資金援助は、久原房之助と犬 塚信太郎。奔走したのは、山田良政、山田純三郎兄弟。宮崎弥蔵、宮崎寅蔵(滔天)兄弟。菊池良士。萱野長友。不思議なことに、孫文と宋慶令が結婚披露宴を挙げた家の持ち主であ る梅屋庄吉の名前は出てこない。それは、孫文(1866-1925年)と梅屋庄吉(1868-1934年)が1895年の双方が20代後半の若いときに交わした「孫文の革命を梅屋が資金援助する。この ことは一切口外しない」という盟約のためだった。二人は二つしか年齢は違わない。庄吉は「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」と孫文に言った。
◆西 竹一(にし たけいち、1902年(明治35年)7月12日 - 1945年(昭和20年)3月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人、華族(男爵)。最終階級は陸軍大佐。通り名はバロン西(バロン・ニシ、Baron Nishi)。1932年 ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト。帝国陸軍の騎兵将校として騎兵畑を歩んでいたが、のちには機甲兵に転科し戦車第26連隊の連隊長として第二次世界大戦に従軍、硫黄島の戦いで戦死した。

<本の紹介>
帝国陸軍の栄光と転落 (文春新書)http://d.hatena.ne.jp/asin/4166607502