今年はスイカがとれるといいね。そして共感力とは

◆昨夜から実家に。今日は仕事を休み、母親の介護認定更新の面談立ち会いと病院への付き添い。血液検査の結果、先月と横ばいで一安心。逆に、三食母親と一緒に食事をした自分が太ったかも。朝4時0分巣に起床して、草取り。被災ぶりの雨も野菜の成長はまだまだ。スイカが6個できていることに関心。まだまだ一息かも知れない。暑さのせいかみょうがの成長が遅れていることが残念。毎回毎回週末に草取りをしてきたが、今日の草取りで草も減ることを期待。でも、また週末は草取りに追われるであろう。草の市長に御比べ、野菜の成長が遅いことに築く週末ですね。介護のストレスを野菜作りにあてているかも。野菜を救って食べたいというより、野菜がとれたという自己満足だが、喜びが大きい。

◆『“共感力”で心をつかめ 企業の新戦略』(2013年7月25日放送 19:30 - 19:56 NHK総合 「クローズアップ現代 」より)
 映画の感動やサッカーでの興奮などに共通するものは共感、今こうした共感を用いる動きが警察や企業など各方面に広がっている。今回は人を動かす原動力として知られる共感力の舞台裏に迫る。人を動かす原動力として注目される共感、現在は従来のマスメディアに比べてソーシャルネットワークサービスが浸透するにつれ情報や共感も瞬時に繋がるようになった。こうした新たなコミュニケーションの手段が広がる中で共感の持つ力を戦略的に利用しようという動きが活発化している。どこか哀愁の漂うセリフをソーシャルメディアで呟く東京・目黒区の食肉メーカーのゆるキャラ若い女性を中心に共感を集め人気となっている。 このメーカーが共感づくりに取り組む背景はハムなどの商品が価格競争が激しい上に見た目での区別がつけにくくなっていること、自社の製品に手を伸ばしてもらうために会社自体に親近感を持ってもらおうと考え、2年で6万人近いファンを獲得したという。
 東京・港区の富士フイルムは消費者の共感をエンゲージメント率という数字に置き換えて把握しようという取り組みを行なっている。このメーカーではエンゲージメント率を上げるために広告掲載する記事の順番などを戦略的に決め、あえて企業側のメッセージ発信は行わないようにしているという。東京・千代田区パナソニックは巧に情報をコントロールし実績を上げている。このメーカーでは新たに発売した食器洗い機の発売にあたり、マーケティング会社ブルーカレント・ジャパンと共に夫婦を対象に家事に対する意識調査を行った。その中で食器洗いが1位になったのは「夫婦で押し付け合いになっている家事」、この記事をマスコミなどで発表することでネットを通じて情報が広がり、「食器洗い機」が夫婦問題の解決に最適という意識が広がり、販売台数は前年に比べ22%増加した。今回紹介した共感を戦略的に利用しようという企業の取り組みを振り返り、箭内道彦らがトーク。箭内は企業は共感を求めようとしている事をわからないように組み立てているつもりだろうが、広告を見ている人はわかっているはず、それでも見ている人は自分に訴えかけているような記事が嬉しいのだと思うと話した。また箭内はこうしたやり方について、今までマーケティングは調査が前提になっていたが聞かれるだけではリアルな声にはならない、それがSNSなどによって生活の不満などがわかるようになりそうした部分をマーケティングに繋げるのは有効な手段だと思うと話した。
 一昨日都内を襲った記録的な豪雨、毎年50万人が訪れる葛飾区の花火大会が中止となった。そこに現れたのが先月ワールドカップに湧く群衆を収めたDJポリス。この警官は2002年のワールドカップの際に力による警備を行ったが若者を静まらせることはできず、その経験を生かして今では共感を売りだして誘導しているのだという。共感を生かして人々の行動を変えようとする動きは企業の組織改革にも広がっている。埼玉・越谷市でスーパーを運営するカスミは長年トップダウンの方針で店舗を広げてきたが、社員への調査では職場を知人に薦めたくないという意見が相次いだ。そこで始めたのがパートや社長など誰でも売り場の改善策などを書き込むことができるソーシャルネットワークの活用、すると従業員のやる気が変わり主婦たちの意見も積極的に商品に取り込まれるようになった。共感によって対立しがちな地域の問題を解決しようというのが静岡・牧之原市地震での被害が想定されている牧之原市は今年3月に5年後しで防災計画をまとめたが、住民の合意に至るまでは住民の間で対立が起こる事もあったという。長年対立が続いた議論を合意に導いたのはファシリテーターと言われる議論の進行役、彼らは会場の飾り付けを事前に行うと、更に参加者には自分の秘密を暴露するという自己紹介を促した。こうした事で共感が生まれ、自然と相手の意見を聞くようになり合意が生まれたのだという。
 今回紹介した共感を戦略的に利用しようという自治体などの取り組みを振り返り、箭内道彦らがトーク。箭内は共感を生み出すためには実は私は…というような本当の事を話す事で生まれる共感の有効性は大きい、立場が逆であればあるほど共感が生まれた際は効果が大きいはずだと話した。また箭内は様々な問題や対立点がある上で、日本人は反対意見を聞くのがあまり得意ではなく共感は紙一重だと思うとコメント。その上で100%の共感はあり得ないが、100のうち10の共感でも大事にしていく事が意見の多用を認める上で必要なことだと思うと語った。

◆『“幸せ”サービスで客の圧倒的支持 長野発タクシー革命!』(2013年7月25日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京 「カンブリア宮殿」より)
 村上龍が興奮する必見会社 最強の感動サービスとは。今夜のカンブリア宮殿で紹介するのは、村上龍が絶賛するタクシー会社。名古屋市の市民の方が絶賛する中央タクシーは一見は普通のタクシー会社だが、ドライバーの方は客に対して親切で、ある女性客は気持ちがいいと述べた。中央タクシーの星沢運転手はお客がマツヤ上松店で買い物したものを車まで運び、さらに降りた際にも玄関先まで荷物を運んだ。中央タクシーの乗務員には雨の日にお客に傘を差して上げること、ドアサービスや乗車時の自己紹介が義務付けられている。この他のサービスは運転手自らが自主的に行なっていて、中央タクシーの売上高は長野でトップに君臨している。中央タクシーの本社は質素なプレハブでだが、社内は社員の熱気で溢れている。利用者の9割は電話予約で、町中を走りながら客を乗せることは行なっていない。本社は山奥にあることで土地代は安く、井戸水で洗車しているので水道代はタダ。そんな中央タクシーの会長である宇都宮恒久が自慢するのは客からの運転手に対する感謝の手紙だという。結婚式のため長野を訪れた荒井真澄さんは中央タクシーを利用した際、中央タクシーの運転手が寒さで震えていた息子の誠志郎くんのために厚手の靴下を会場まで購入してきてくれたという。中央タクシーの宇都宮恒久はプレハブの本社について、「どんなに立派な建物をつくっても本社家屋は生産性がゼロ」とコメント。また駅のタクシー待ち場では客を待つのに時間がかかるので、電話予約を導入しているという。中央タクシーの宇都宮恒久会長は「お客が必要としていればたった数百mの走行でも厭わない」と話すと、村上龍は「当たり前にやられていることをすごいと思う」と述べた。
 観光で長野を訪れた夫妻は中央タクシーを利用した際に、気分が悪くなり社内で嘔吐してしまった。夫妻は目的地に着くと山口運転手に汚れた服を捨てるようにお願いするも、運転手はお客の服を綺麗にしてホテルの窓口まで届けた。その後、山口運転手のもとに夫妻からの感謝の手紙が届けられた。中央タクシーの宇都宮恒久は「タクシーの一番奥にある本質は仕事をすることでお客様の人生に触れる。仕事を通してお客様の人生を守るというのが、私どもの仕事だと思っている」と述べた。中央タクシーでは日帰りタクシーツアー「家からの旅」を行なっていて、最大の魅力は自宅まで迎えに来てくれること。運転手自らがツアーを企画し、まきば公園などレジャー施設ではガイド役に徹する。八ヶ岳倶楽部八ヶ岳チーズケーキ工房などを巡るツアーは昼食込みで、1万1800円。中央タクシーでは運転手の接客力を武器に新たなサービスを手がけていて、さらに同社の宇都宮恒久会長は長野第一ホテルの再建に着手。ドアサービスや雨の日には傘のサービスなど従業員の一生懸命な接客が好評を博している。中央タクシーの社員は新たな日帰りバスツアーを企画すべく、世界遺産登録を目指す富岡製糸場を訪れた。社員は高齢者のために製糸場に近い駐車場を探し、さらに高齢者にやさしい洋式トイレがあるか確認した。宇都宮会長は良好な人間関係が良い社風となり、タクシー運転手として素晴らしい仕事ができると強調した。実際に社内の人間関係も良い。
 宇都宮恒久会長は25歳の時に入社したタクシー会社で、荒廃した会社や勤務態度が最悪な社員たちを目の当たりにした。さらに運転手たちのストレスは客へと向かい、暴言を吐くなど評判は最悪だった。宇都宮は運輸業のタクシーでなくサービス業のタクシーを目指すようになり、中央タクシーを設立。さらに未経験者のタクシー運転手を雇うことで、ゼロからの社風づくりを目指した。中央タクシーでは従業員を15のチームに分け、仲間意識を築くために様々な取り組みを個なっている。。社員たちが客に爽やかな挨拶をするために替え歌を作ったり、チームメイト同士でハイタッチを心がけるチームもある。また本社の壁一面に張られているカードには社員が見聞きした用意出来事が記されていて、社員同士で共有している。村上龍は中央タクシーが未経験者を雇っている理由について聞くと、宇都宮会長は即戦力には絶対にならないが、タクシードライバーとして20年をかけて教育していく必要があると述べた。また会長は社内の雰囲気作りを重視していることについて、タクシーの仕事は全く監視されていない状況。会社内部を強力なものにしなければ現場の水準は上がらないと述べた。さらに仲間との出会いが社員同士を鼓舞していけるという。
 中央タクシーではお客を長野の自宅から5時間かけて成田空港まで結ぶ長距離タクシーを手がけていて、値段は9900円という安さ。かつてはなかなか認知が広がらず赤字を垂れ流してきたが、中央タクシーでは利益よりもお客を優先してきた。現在は年間9万人が利用していて、会社にとってドル箱路線となった。中央タクシーが格安の長距離タクシー路線を手がけていることについて、宇都宮恒久は「需要があるという確信はなかったがリピート率は高かった。執念を持ってやっていくうちは失敗じゃない」とコメント。宇都宮会長は中央タクシーは長野オリンピックが開催された際に、乗務員は五輪特需よりも通常のお客を優先したというエピソードを話した。売上は6番目に落ちたが、その後は長野で再びトップに返り咲いたという。村上龍は利益を最優先しない中央タクシーについて、客を感動させて幸福にすることをサービスの軸にすることで画期的な成功を収めたと評し、成功のためには客の幸福に関与することが自分の幸福につながるという自覚などを維持、継続することそれ以外にないという考えを示した。

(7月25日)
◆加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後国熊本藩初代藩主。別名虎之助(とらのすけ豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人である。その後も各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられた。秀吉没後は徳川氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後国一国を与えられ、熊本藩主となった。
◆田中 義一(たなか ぎいち、1864年7月25日(元治元年6月22日) - 1929年(昭和4年)9月29日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。勲等は勲一等。陸軍大臣貴族院議員、内閣総理大臣(第26代)、外務大臣(第42代)、内務大臣(第45代)、拓務大臣(初代)などを歴任した。
◆津田 真道(つだ まみち、1829年7月25日(文政12年6月25日) - 1903年明治36年)9月3日)は、江戸時代末期の幕臣、明治時代の官僚・啓蒙学者。福澤諭吉森有礼西周中村正直加藤弘之西村茂樹らと明六社を結成。岡山県出身。
 1850年嘉永3年)に江戸に出て箕作阮甫と伊東玄朴に蘭学を、佐久間象山兵学を学ぶ。藩籍を脱して苦学したが、1857年(安政4年)蕃書調所に雇用されて、1862年文久2年)には西周とオランダに留学しライデン大学のフィセリング(Simon Vissering)に学ぶ。4年後に帰国する。その講義録を1866年(慶応2年)に『泰西国法論』と題して訳出する。これは日本初の西洋法学の紹介となる。その後、幕府陸軍の騎兵差図役頭取を経て、目付に就任、大政奉還に際しては徳川家中心の憲法案を構想した(『日本国総制度』)。明治維新後は新政府の司法省に出仕して「新律綱領」の編纂に参画。1869年(明治2年)、人身売買禁止を建議。1871年明治4年)、外務権大丞となり日清修好条規提携に全権・伊達宗城の副使として中国へ行く。のち陸軍省で陸軍刑法を作成。さらに裁判官、元老院議官。1890年(明治23年)には、第1回衆議院議員総選挙に東京8区から立候補して当選、大成会に属して初代衆議院副議長に就任。1891年(明治24年)、12月17日に衆議院副議長として商法及び商法施行条例の一部施行に関する法律案の第三読会開催案が可否同数になり、日本政治史上初の国会の議長決裁を行い、消極的に決した.

<昨年の今日>は空白である。  http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120726

<本の紹介>
・父より慶喜殿へ―水戸斉昭一橋慶喜宛書簡集 http://d.hatena.ne.jp/asin/4087811565