13年前に東京都内で盗まれ… “盗難ルノワール”英で落札

◆13年前に東京都内の住宅から盗まれた「ルノワール」の油絵「マダム・ヴァルタ」が、今年2月にイギリスで落札されていたことがわかった(サザビーズHP)。2000年に世田谷区の住宅でルノワールなど6点が盗難にあっていた中の一つで、競売で約1億5千万円で落札された。

◆『オージービーフ讃岐うどんの行方』(2013年8月5日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京「日経スペシャル 未来世紀ジパング 〜沸騰現場の経済学〜」より)
 池袋にあるびっくりドンキー。昼時には大行列が出来るこの人気チェーン店は、ボリュームタップリのハンバーグを安く食べられるのが特徴。使っているお肉は全てニュージーランド産とオーストラリア産だった。そんなびっくりドンキーは昨年、麻布にオージービーフを使ったローストビーフを出す「ハーフダイム麻布十番」をオープン。肉の味に自信がなくては出せないが、もはやオージービーブは値段だけでなく味でも勝負していた。TPPでオージービーフはどうなるのか?取材班がオーストラリアへと飛ぶと、そこには霜降りの和牛肉が大ブームとなっていた。さらにさぬきうどんの店も大人気に。TPP時代に日本の食卓はどうなるのか?今夜はオーストラリアの沸騰の現場から日本の未来をみつめる。TPPの内情に精通する日本経済新聞社の太田泰彦氏を沸騰ナビゲーターに迎えて日豪の未来を大胆予想。太田氏は日豪は全く間逆の国と表現。それは北半球と南半球、国土の広さなどもそうだが、食糧自給率も間逆の関係だった。日本の牛肉消費シェアもオージービーフが2位で海外勢では断トツの2位。これは味と安全などの利点もあり、すき家マクドナルドなどのチェーンもオージービーフを選ぶところが増えている。TPPなどの自由貿易がすすむと、さらに入ってくる可能性がある。新宿にあるヒルトンホテルで6月に日本の食肉業界の関係者が集まり、オージービーフセミナーが開催された。会場にはオージービーフ生産者団体のメラニー・ブロック氏なども登場しPR。試食界も大々的に行なわれた。日本側からは牛たん専門店「ねぎし」などの外食業や食肉流通業者などが多数参加。取材班はオージービーフの今を取材するため、オーストラリアのゴールドコーストへ。そこからさらに飛行機で移動して到着した場所には広大な牧場が広がり、そこには一面の牛の姿があった。ここワイアラ牧場は5万頭もの牛を飼育している牧場だが、ニッポンハム直営の牧場だった。ここでは大麦牛というブランドのオージービーフが作られていた。生産の現場だけでなく、出荷する際の安全性の取り組みも万全。加工工場では1日に1000頭以上を処理するが、誰がどんな処理を行なったか追跡できるようなシステムとなっていた。
 所変わって、八王子にあるスーパーアルプスの食肉売り場には大麦牛が陳列。消費者は安さなどを魅力に手に取っており、確実にオージービーフは食卓に広まっている様子。オーストラリアのシドニーにあるレストラン「3 WEEDS ROZELLE」で人気のメニューは「WAGYUチーズバーガー」だった。こちらはその名前の通り和牛を使ったメニューだった。このように和牛を使った料理は大人気だが、その和牛には驚きの真実が隠されていた。シドニーにある食肉の卸市場を取材。一般客に解放されていたこの日人気だったのは、霜降りの和牛肉だった。しかしこの和牛肉は、オージービーフだった。日本の血統書付きの和牛の精子卵子を受精させ、それをアンガス牛に生ませた和牛オージービーフという位置づけで、国内消費だけでなく輸出も視野に入れていた。赤身というイメージのあったオージービーフ霜降りのものも登場。現在オージービーフには38.5%の関税がかかっているが、TPPに参加すると原則ゼロとなるが、日本は5品目を重要品目として定め、そこを守るとしており、そこに牛肉も入っている。沸騰ナビゲーターの太田泰彦氏は5品目も全てこのままびた一文まけないというのは厳しく、関税を少し下げたり、肉の種類によってかえるなど、水面下で様々な交渉が行なわれていると推測。
 兵庫県のブランド牛・神戸牛。神戸の街中には神戸牛の看板を掲げるお店も多数あり、東京銀座でも神戸牛にこだわる名店もある。今回はその神戸牛の格付けの現場に潜入する。銀座にあるビフテキのカワムラは神戸牛にこだわりを持っているお店。観光でやってきた外国人観光客にも好評だった。店の入口付近には神戸肉流通推進協議会が認めたブロンズ像も掲げられていた。神戸牛のブランドを得るためにはどのような道のりがあるのかを、加古川市にある平井牧場で取材。飼育されていたのは但馬牛という牛で、神戸牛は兵庫県生まれの但馬牛で、一定基準を満たす上質な肉に与えられるブランドだった。一体どのような審査が行なわれるのか?を調査するため、神戸市中央卸売市場本場を取材。日本食肉格付協会の肉の断面を格付け人がランク分け。最高ランクのA5、B5ランク、とA4、B4ランクの一部が神戸ビーフの称号を得る事が出来る。2012年からは世界への輸出もスタート。取材中には香港和牛達人とJA全農兵庫との商談も行なわれた。スタジオに最高級A5ランクの神戸ビーフが登場(協力:神戸 ビフテキのカワムラ)し試食が行なわれた。「丁寧に作られている気がする」「歯がいらない」などの感激の声。日本の畜産業界が今後の国際競争時代に生き残るためとれる方法の一つがブランド戦略。A級グルメを目指して、流氷牛、りんごで育った信州牛、大阪ウメビーフなど全国各地に様々なブランド牛肉が登場。
 続いてはTPPの重要5品目のなかの麦に注目する。讃岐うどんの本場香川にもオーストラリアの影響があった。讃岐うどんの本場香川県。県内に約800店舗もの讃岐うどんのお店があるといわれている。魅力は安さとコシの強さだが、松下製麺所を取材してみると、使っていた小麦粉はオーストラリアのASWというタイプの品種だった。オーストラリアのクイーンズランド州を取材。豪州有数の小麦の生産地であるこの場所で、ASW(オーストラリアン・スタンダード・ホワイト)の生産の様子を調査したが、畑の広さは1500ヘクタールという規模だった。ASWは日本のうどん用に品種改良されたものであることも判明した。香川県高松市にある讃岐うどんの店・千ちゃん。こちらでは香川県産の小麦「さぬきの夢2009」をつかったうどんを出している。さぬきの夢を100%使用しているお店は県内に11店舗あるが、この小麦は豪州産のASWという小麦が使われる事の多い讃岐うどんに対して、地元の産の小麦でとの意気込みから県とJA香川などが10年以上かけて作ったものだった。オーストラリアと日本の農作物での競争。パトリック・ハーランは競争する事で、本来なかったより高い品質のものが誕生し、これこそが貿易と競争の良い点であると指摘した。沸騰ナビゲーター太田泰彦氏が「日豪最強タッグで他給率アップ!」という未来予測を掲げた。これは間逆の関係にある日豪がお互いに無いものを補足しあって、安定して誰かからもらえる他給率をアップさせていけばいいのではないかとの意味。ニッポンハムがオーストラリアに進出し農業生産をしている事を例にして、豪州の広大な土地で日本企業が農作物を生産する発想も必要であると指摘した。

木下惠介生誕100年を記念して、壺井 栄「二十四の瞳」の作品が放映される。木下惠介監督の映画『二十四の瞳』が封切られたのは、昭和二十九年(1954)九月十五日のこと。その反響はすさまじく、当時の文部大臣をはじめ、教員も、子どもも、父母も、映画を見たすべての人が等しく感動の声を挙げたことは、当時の記憶として今も語られている。それから60年、『二十四の瞳』は、不朽の名作として長く称えられ続けてきた。それは、作品のテーマである反戦への訴えと、学校教育への問いかけが、世相の移り変わりを超えて人々の心を打ってきたからに他ならない。木下惠介生誕100年を迎え、ヒロインの大石久子が先生として、また母として、悩み苦しみながらも生き抜く姿をドラマ化し、理想の教師像や、映画製作当時の企画意図「人間の幸福と平和を願う」というテーマを、新たに問いかけていく。
 物語のヒロイン、大石久子は、平凡な一女教師でありながら、澄んだ心と愛情を持ち、つねに世の中の矛盾に疑いを持って戦時下を生き抜いた女性。そんな久子役には、NHK朝の連続テレビ小説ゲゲゲの女房』(2010年)の主演女優としてブレイクし、今も変わらぬ人気を誇る松下奈緒をキャスティング。二十二歳の新任教師時代から、夫や娘を亡くし再び教壇に立つ四十歳まで、ヒロインの半生を演じる。物語の舞台となる小豆島の美しい海と自然も本作の見どころの一つ。美しい自然に囲まれた教室から、次世代を担う子どもたちへ、子どもたちを導くべき教師、そして親に向け、希望あふれる新たな名作が誕生する!昭和三年、島の分教場に新米先生として赴任してきた大石久子(松下奈緒)。子供たちの二十四の瞳がまぶしく、愛おしく映る。緊張する子供たちに久子は、歌を唄って親しんでいく。『七つの子』『春が来た』『浜辺の歌』・・・いくつもの唱歌を足踏みオルガンの伴奏で子供たちと一緒に奏でていく。子供たちはどんどん“おなご先生”に魅かれていく。ケガした久子の家に片道八キロもあるいなか道を歩いて会いに来た子供たち。久子は愛おしくてたまらず、浜辺で記念写真を撮った。幸福の時・・・。そんな中、満州事変、上海事変が起こり、平和な島にも戦争の陰がひたひたと近づいていた。教育の自由が奪われ始め、子供たちの素直な気持ちをストレートに話すことさえはばかられる日本になっていった。久子は、そんな時勢でも“輝く二十四の瞳”を大切に生きていくのだった。

(8月5日生まれの偉人)
壺井栄(つぼい さかえ、旧姓:岩井、女性、1899年(明治32年)8月5日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は小説家・詩人。香川県小豆郡坂手村(現在の小豆島町)出身。1899年(明治32年)8月5日、香川県小豆郡坂手村に醤油樽職人の岩井藤吉の五女として生まれる。蔵元が倒産したことで経済状態が悪くなり苦労を重ねるが、坂手小学校、内海高等小学校を卒業。その後、郵便局、役場に勤め、1925年に上京して26歳でプロレタリア作家・壺井繁治と結婚する。1938年、処女作である『大根の葉』を発表後[4]、数多くの作品を執筆。芸術選奨文部大臣賞を始め、新潮文芸賞・児童文学賞などを受賞。1952年に発表された『二十四の瞳』は1954年に木下惠介監督・高峰秀子主演で映画化され、小豆島の名を全国に知らしめた。1967年に内海町名誉町民の称号を与えられた。1979年、壺井の文学を顕彰し、香川県内の児童を対象とする壺井栄賞が創設された。