68年たっても原爆の戦慄がそこにある。

◆「終わりなき被爆との闘い」(2013年8月6日放送 19:30 - 20:28 NHK総合 NHKスペシャル より)
 放射線は人の体を貫通すると、1000分の1ミリにも満たない傷を残し、がんなどの病気を引き起こすおそれがある。放射線を放つ原子爆弾が広島と長崎の上空で炸裂してから68年、そのときについた放射線の傷が原因とみられる骨髄異形成症候群(MDS)が被爆者を襲っている。被爆者は原爆投下直後の急性障害や、10年後に猛威を振るった白血病など、症状に苦しめられてきた。広島・長崎の医師は研究を続け、放射線が人の体をむしばむメカニズムが明らかになり、異常を蓄積させて突然病気としてMDSが現れたことがわかった。
 広島大学病院に、4か月前に白血球の異常が見つかった被爆者の女性が訪れ、骨髄から血液細胞を抜き取っての検査が行われた。すると多くの細胞ががん化していたことがわかり、骨髄異形成症候群(MDS)と診断された。面談室で女性はMDSについての話を受け、根本的な治療法が無いことなどを聞き、抗がん剤を使って症状の進行を抑えることとなった。ここ数年MDSになる被爆者は増えているという。白血病が収束してから40年後に猛威を振るい始めたMDSだが、長崎でも100人近くが治療を受けている。白血病を見続けてきた日本赤十字社 長崎原爆病院の院長の朝長万左男さんにとっても、MDS患者の増加は意外だったという。朝長さんがMDSの研究に打ち込むきっかけとなったのが、長年原爆の悲惨さを伝える活動を続け5年前にMDSで亡くなった女性。女性は亡くなる1か月前、活動の中で体の異変について「原子爆弾が私の体の中にいる」と話していた。その言葉が心に突き刺さった朝長さんは、MDS患者のカルテを集め、被爆者の数を調べた。爆心地からの距離を調べた結果、浴びた線量が多いほど発症率が高くなることがわかった。この日、朝長さんの元を研究のきっかけとなった女性の娘が訪れた。朝長さんは、感覚的に被爆者の女性のあのような言葉が出たのだろうと話した。朝長さんの研究は、MDSを発症するメカニズムを解明し治療に結びつける段階に入った。これまでの白血病では23種類の染色体のうち2つに決まって異常が見られることが確認されていたが、MDSで亡くなった女性の染色体には、大量に不規則な異常が現れていた。詳しいメカニズムはまだわかっていない。朝長さんは、我々がギブアップして何もしないことはありえなく、医者の仕事としての根本がそこにあると話した。
 原子爆弾が投下され、惨禍を生き抜いた被爆者たちを放射線による急性障害が襲った。医師はそれまでの医学の常識では考えられない症状を目の当たりにし、治療もできずその年だけで20万を超す人が亡くなった。しかし当初アメリカはそれらの事実を否定する発表をした。医師の土山秀夫さんは仲間とともに聞き取り調査を行い、亡くなった状況を資料に残した。その後アメリカはABCC(原爆障害調査委員会)を設立、被爆の影響を調べたが、治療は行われなかった。次第に被爆者に白血病が蔓延し始めた。広島大学名誉教授の鎌田七男さんは、当時存在が確認されたばかりの染色体に注目し、白血病の解明に取り組み、白血病被爆者の染色体に共通した傷があることを発見した。メカニズムの解明によって治療の道が開けた。鎌田さんは現役を退いた後も昔からの患者のもとを訪れていた。医師から骨髄検査の結果、染色体異常だと告げられMDSと診断された。鎌田さんは治療について「1回の時限爆弾であればいいんですけど、2つ目3つ目の時限爆弾がある。それをどう乗り越えていくか。心の不安はしっかり我々が受け止めなければならない。 」
 広島大学病院に新規の原発建設が進む東アジアの研究者が訪れた。大量の放射線が染色体を激しく傷つけることで起きる急性障害を学ぶのが目的となっている。白血病の研究などで培われた技術が応用されている。タイの研究者は「原子力災害はいつ起こるかわからないので備えが必要。」と話した。これまでの医学では発症を抑えられなかった急性障害。染色体分析の先端技術で克服しようという研究が始まっている。長崎大の中島さんはそれに取り組んでいる。人の細胞に放射線を浴びせると細胞死と呼ばれるアポトーシスが発生する。最近の研究でアポトーシスは染色体の傷に原因があると判明している。現在放射線医学総合研究所ではアポトーシスに関する研究が進んでいる。 大量の穂車線をあてたマウスに 様々な物質を投与し、アポトーシスを抑制する効果があるものを調べている。その結果バナデートが浮上した。中島さんは「将来的に起こってはいけない人体の影響に対して責任を果たすのは科学の責任。」と話した。広島大学病院が第二の白血病MDSでも最新技術を使った治療を研究しよう取り組んでおり、重度のMDS女性患者を取材した。女性の染色体の半分に異常があるが、はっきりとした傷は見当たらない。原田さんは遺伝子一つ一つを分析した結果、RUNXS1と呼ばれる遺伝子が異常を起こしていることが分かった。
原田さんの仮説ではRUNX1が少しずつ遺伝子を破壊し、60年といいう月日を経て全体に異常を起こすとしている。原田さんは「原爆被爆者の医療に少し貢献できた」と話している。
 ノルウェーオスロでは核兵器断絶を求める国が集まる初めての国際会議が開かれ長崎原爆病院の院長が日本を代表して出席した。代表らに被爆者の染色体を見せて「放射線によって傷つけられた遺伝子は一生、白血病やがんで苦しめます。医師で言えば核は最悪の疫病。」と話した。広島大学名誉教授鎌田七男さんはこの日横浜の病院を訪ねた。爆心地近く近くで被爆し、様々な病気と戦ってきた女性患者を訪れた。この日は金婚式だった。終わりなき被曝との戦いが続いている。
 68年たっても原爆の戦慄がそこにある。このドラマをみて、さらにフクシマもかんがさせられる。原爆の脅威と原発の収束を願わざるえない。

<知研東京セミナーのご案内> 「会社研修というまんねりカリキュラムに一石を投ず」

 講師 :池渕 竜太郎(日本能率協会通信教育プロデューサー)
     コメンテーター: 久恒 啓一(知研理事長)
 日時 :2013年8月20日(火)19:00〜21:00)
 場所 :寺島文庫・みねるばの森 九段下 グランドパレスホテル向かい側
          正面路地50m左角
     TEL 03 (5215) 2950
アクセス 地下鉄 「九段下」5番出口から徒歩5分
 参加費:4000円
    ビジネスマン向け通信教育研修といえば画一的な研修で、一般社員、中間管理職、上級管理職向けなどの決まったカリキュラムがありますが、
   グローバル・リーダーを育てるという一貫したビジョンに基づくカリキュラムというものはありませんでした。そこで多摩大学教授のの久恒
   さんと能率協会の池渕さんが多摩大学オリジナリティの通信教育カリキュラムを創りました。
    従来とガラリと変わる内容で歴史的認識重視、アジア・ユーラシアダイナミズムへの理解、その中における日本企業が抱えている課題解決、
   グローバル人材になるための7つの条件、日本の優れた先人が残した精神・思想を学ぶ日本回帰、図解コミュニケーション、同意学、久恒
   さんが進行中のグローバル人材育成の取組事例など目的を鮮明にしたのが特色で、すでに採用企業が続々とあつまっているようです。

    この機会に日本人ビジネスマンに考える力がないのは、レベルによる格付けの研修による意識の平準化に問題があるのではないか、などという
   ようなことについて、ビールを飲みながら大いに議論したいと思います。 
    
 参加希望者はメールかFAXを下さい。 thiken.org@nifty.com

     NPO法人知的生産の技術研究会
     〒183-0014 東京都府中市是政5−12−5
     TEL  042-363-3445 Fax 042-365-5744

◆『不屈の町工場…世界を驚かす!』(2013年8月6日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京ガイアの夜明け」より)
 ロイヤルベビーの誕生に沸いたロンドン。市内にあるレストラン「texture」では自在に形が変わるお皿やコースターを利用し、どのテーブルも不思議な器の話題で盛り上がっていた。同じくロンドン市内にある雑貨店「wagumi」にも、一番目立つ場所にこの食器やコースターが置かれていた。これを作ったのは能作という日本の会社だった。能作は富山県高岡市にある企業で、仏具の下請けで製造しているが、その一角であの器が作られていた。鋳物の技術を使い、スズを型に流し込み製造。スズは柔らかいためこれまで100%の製品はなかったが、そこに目をつけてあえて開発したのだった。8年前に販売を開始し松屋銀座等にも店を構え、徐々に人気に火がつき、仏具で苦戦した会社の売上げも10年で約6倍となった。
 六本木にあるレストラン六本木農園で親子料理教室が開催。使われていたのは鋳物ホーロー鍋のバーミキュラだった。この日は旬の野菜と魚介類を入れて水を入れずに調理し、見事なスープを完成させた。このバーミキュラを作っているのが名古屋市にある愛知ドビーという会社。戦前から続く鋳物メーカーで、長年大手メーカーの下請けとして機械部品を製造してきていた。しかし、大手メーカーの部品の海外調達などの影響で、15年程前には売上げがピークの3分の1ほどに。そこで3代目社長の土方邦裕氏と副社長の土方智晴氏が立ち上がった。当時豊田通商で為替ディーラーをしていた邦裕氏、トヨタ自動車経理を担当していた智晴氏は自社商品の開発に乗り出したのだった。今年1月、愛知ドビーを訪ねると工場にはこれまでの3倍の能力を持つ電気炉や、加工スピードが1.5倍となる工作ロボットが導入されるなど、大きく工場内の様子が変化。総額約3億円の設備投資の結果生産量は月1500個から4000個へと増加し、来年には注文待ちも解決する見通しに。愛知ドビーが開発した、水無しで調理できるホーロー鍋バーミキュラ。海外進出を狙い、ヘルシー志向が叫ばれるアメリカをターゲットに定め、土方社長らはサンフランシスコへと向かった。デザイン会社のICIにアメリカでウケるデザインを発注し、デザイナーらと議論を交わし、アメリカ向けのデザインが決定した。4月、愛知ドビーではアメリカ向けの試作品作りが佳境を迎えていた。金型が完成し、砂型も作られ、直径26センチのアメリカ向けの鍋の大まかな形が完成。密閉性を保つ肝であるふた部分の削りだし作業も、より精密さを求め何度も行なわれた。アメリカ向けの大きな鍋に挑む愛知ドビー土方兄弟。しかし鍋の直径が大きくなった事で、独自の密閉加工に苦戦していた。試作品作りの段階で何度も失敗を重ね、何度も削りなおしが行なわれ、密閉加工に成功。塗装も行ないアメリカ向けの鍋が完成した。6月下旬、サンフランシスコ。土方兄弟が出来たばかりの鍋を持って一般家庭を訪問し、料理好きの主婦の方に実際に使ってもらう事に。密閉性の高さに興奮気味になりながら、家族がいつも食べているというスープを作る。水は一滴も加えず、調理したが見事スープは完成し、評判は上々だった。「水なしで調理する凄さは実際に見てみないと伝わらない」そういわれた土方兄弟は2日後、サフランシスコ郊外にあるキッチン用品店で、売り場のプロの前でデモンストレーションを行ない、テスト販売での協力を取り付けることに成功した。帰国後名古屋の工場では本格進出に向けて、準備が進んでいた。兄弟はアメリカだけでなく欧州など世界進出に夢を馳せていた。
 下請けの町工場が技術を生かしてヒット商品を生み出した例は過去にもあった。一例として、釣具製造機メーカーだったエアウィーヴが開発したマットレスエアウィーヴ シングル」や、主にマンホールのふたを作っている臼井鋳鉄工業が開発したスピーカー「キャストロン」などが登場した。岐阜県山県市にある水道部品を作る会社・田中金属製作所。こちらは長年下請けで水道部品を作ってきていたが、水の勢いはそれほど変わらないが約50%節水できるシャワーヘッドを開発。その秘密は下請けで培った樹脂加工の技術にあった。7月新宿にある東急ハンズ新宿店で田中和広社長自ら店頭に立ち実演販売。節水シャワー・ボリーナの価格は9800円だが、全国で月に1000本売れるヒット商品に。最近では温浴施設からも注目を集め、茅ヶ崎市にある「竜泉寺の湯」でも導入され水道代が年間250万円削減された。シンガポールを、節水シャワーボリーナを開発した田中金属製作所の田中社長が訪れた。シンガポールはマレーシアから水を購入している水不足の国で、節水を呼びかけるだけでなく、水道料金も一定量を超えると割高になり税金も高くなるシステムだった。1日の水の使用量も日本の半分(国土交通省調べ)だった。国民の節水意識が高く、富裕層の多いシンガポールならばチャンスがあると、田中社長はシンガポール・マリオット・ホテルを訪れて、担当者にプレゼン。しかしシンガポールでは既に節水シャワーが当たり前の状況。予想外の展開だったが、持ち込んだ節水シャワーの方が若干節水能力に勝っていた。しかし大きなシャワーヘッドを好む利用客が多いとの理由で、断られてしまった。節水シャワーのボリーナを、シンガポールに売り込みに来た田中金属製作所の田中社長。シンガポール・マリオット・ホテルに売り込みをかけたが、シャワーヘッドの大きさを理由に断られてしまった。しかし担当者は小さなシャワーヘッドは女性には魅力的とヒントをくれた。そこで、田中社長はヒントを頼りに、女性客が多い美容エステ店を訪問。シャワールームをみせて貰い、シャワーヘッドを変えて節水効果や水の肌辺りなどをプレゼン。なんとまとめて10本購入してもらう事に成功した。7月下旬山県市にある田中金属製作所を訪ねると、田中社長はシンガポールへのシャワーヘッドの発送に追われていた。水不足の国で、「自分達の商品を活用してもらいたい」その第一歩が始まった。
→→日本の企業のうち99.7%が中小企業。経営状態は取引先の大手企業によって左右されてしまう。今後中小企業が生き残るためにも、下請けで培った技術を活用して、世界を驚かせる独自の商品を生み出すことにが方法であろう。ものづくり大国日本の復活を期待したい。

(8月6日生まれの偉人)
◆林 子平(はやし しへい、元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。高山彦九郎蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人。名は友直。のちに六無齋主人と号した。
<参考>高山彦九郎とはhttp://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130615/p1
◆長與 善郎(ながよ よしろう、1888年明治21年)8月6日 - 1961年(昭和36年)10月29日)は日本の作家、劇作家、評論家。人道主義的な作風で知られた。医学者長與專齋の五男として東京に生まれる。長與家は、漢方医として代々肥前大村藩に仕えた家系である。長兄長與稱吉は医師で男爵。三兄長與又郎は病理学者で東京帝国大学総長、男爵。四兄岩永裕吉は同盟通信社の初代社長。1900年(明治33年)、東京麻布の南山小学校から学習院に転校。1911年(明治44年)、志賀直哉武者小路実篤らの同人誌『白樺』に参加。同年、東京帝国大学文学部英文科入学、1912年(大正元年)に退学。関東大震災で『白樺』が廃刊になった後は『不二』を主宰する。1948年(昭和23年)、芸術院会員。1960年(昭和35年)、自伝小説『わが心の遍歴』で読売文学賞を受賞。作品に『盲目の川』『項羽と劉邦』(白井鐵造作・演出の宝塚歌劇団初の一本立てミュージカル『虞美人』の原作)『青銅の基督』『竹澤先生と云ふ人』など。『項羽と劉邦』には、親交のあった画家河野通勢が挿絵を描いた。