今日は遅れ七夕であり、司馬遼太郎の生誕の日

◆今日は遅れ七夕。本来は旧暦7月7日の行事であるが、明治の改暦以降は新暦の7月7日や月遅れの8月7日に行われる。
 七夕(たなばた、しちせき)は、中国、台湾、日本、韓国、ベトナムなどにおける節供、節日の一つ。旧暦の7月7日の夜のことであるが、日本では明治改暦以降、お盆が7月か8月に分かれるように、7月7日又は月遅れの8月7日に分かれて七夕祭りが行われる。五節句の一つにも数えられる。古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や「棚幡」と表記した。これは、そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったともいう。元来、中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた言葉である。そのほか、牽牛織女の二星がそれぞれ耕作および蚕織をつかさどるため、それらにちなんだ種物(たなつもの)・機物(はたつもの)という語が「たなばた」の由来とする江戸期の文献もある。
 8月7日は鹿児島の七夕だった。8月7日は太陰暦(旧暦)7月7日である。鹿児島、東北の仙台など日本のいくつかの地方では江戸時代までの名残で、明治時代になって太陽暦新暦に代わっても、七夕は旧暦に合わせて8月初めに行ってきた。時期的にお盆の少し前で帰省してくる家族のための合わせて準備にも都合いいという意見もある。とはいえ、全国化の流れにつき、新暦7月7日の七夕もメジャーになっている。

(8月7日生まれの偉人)
◆司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。
 <坂の上の雲より>
   秋山好古   http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130209
   秋山真之   http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130412
   坂の上の雲ミュジアム http://www.sakanouenokumomuseum.jp/
   司馬遼太郎記念館 http://www.shibazaidan.or.jp/
 ◎東大阪市にある司馬遼太郎記念館を訪問したことがある。近鉄奈良線の河内小阪という駅で降りて、昔風のアーケード商店街を歩く。案内に沿って歩くと朝日新聞東大阪支局が目に入る。司馬遼太郎記念館はその隣にあった。表は「司馬遼太郎(福田)」との表札があった。
 雑木の繁る庭を歩くとすぐに司馬遼太郎の書斎の前に出た。 写真などでよく見かける書斎で、窓越しに執筆や本を読む姿が浮かんでくるようだ。なつということもあり、蚊に刺される始末。 ちょっと斜めになって原稿を書くくせがあったとかで、机は手元の側で緩やかに カーブを描いた変形仕様。万年筆や色鉛筆、ルーペが亡くなった当時を偲ばせるように置いてある。記念館は、建築家の安藤忠夫の設計で、この家の隣に建っている。なぜか後日訪ねた「坂の上の雲ミュジアム」と似ていた。同じ設計家と言うことだけではあるまい。 
地下から一階に向けて有名な大書架があり、2万冊が収納してあるそうだ。 蔵書は4万冊。5年前、ちょうどこれから始まるNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の連載小説の記事が展示されていた。大書架の下の方にはものを置く台があって、故人のゆかりの品が並んでいる。推敲用の色鉛筆がとてもカラフル。独特の黒ブチのメガネ、懐中時計。年譜を見ると72歳で死去するまで、驚くべき量の仕事をこなしたことがわかり 改めてそのエネルギーに敬服した。96年2月12日の死去のあとも、96年8冊、97年4冊、 98年5冊、99年6冊、00年7冊、01年4冊と対談集や書簡集が続々と世に出ている。「蔵書は司馬遼太郎の頭脳の延長」と誰かが言ったというが、下から 11メートルに及ぶ蔵書や著作を見ていると、圧倒的な迫力で存在が迫ってきた。