猛暑の土曜。

最高気温が全国で最も高い40.7℃まで上がった山梨甲府市と同じく気温が40.7℃まで上がった高知県四万十市の西土佐でも猛暑日となった。また山梨県甲州市で40.5℃、群馬県館林市で40.1℃となった。国内で40℃以上を観測したのは平成19年8月以来で過去最高40.9℃に迫る暑さである。全国で35℃以上の猛暑日となったのは気象庁の調べでは295地点で観測点の3分の1にあたりこの夏最も多くなったそうである。
 実家に帰り、草取りをしていても、暑くてどうしようもない。このままでは熱中症になるので、明日朝早くにして、今日は午後3時前に終了。あせが次から次へと噴き出してくる。残暑どころかまさに夏本番ですね。蝉の鳴き声も盛んである。アブラゼミ、カナカナとの鳴き声が聞こえる。庭先から畑に行けば飛んでくる。子ども時代には、虫籠を持ちながら、山の中を追い掛けたものである。今と立っては、50年前のことかな?近所の子どもが追いかけているスg他を見かけ、自分の昔を思い出す。それも遠い昔である。

(8月10日生まれの偉人)
◆川崎 正蔵(かわさき しょうぞう、天保7年7月10日(1836年8月10日) - 大正元年(1912年)12月2日)は日本の実業家、政治家。神戸川崎財閥の創設者。川崎造船所創業者、貴族院議員。17歳の時長崎に出て貿易に従事、藩命によって金・米を扱った。鹿児島町吏、さらに大坂の蔵屋敷用達を命ぜられたが、貿易に着目して藩庁を説き、西洋型帆船数隻を購入して薩摩国産物を畿内に輸送、巨利を博した。明治4年1871年)上京し、明治6年1873年)帝国郵便汽船会社副社長となり、東京、琉球間の郵便航路開始に尽力した。同社は明治11年1878年)に三菱汽船会社と合併する。明治10年(1877年)大阪に官糖取扱店を開き、また琉球反物の運送販売により巨利を得て、念願であった造船業を開始。明治11年1878年)築地造船所、明治13年1880年)兵庫川崎造船所を開業、明治19年1886年)には官営兵庫造船所の払い下げを受けて、明治20年(1887年)川崎造船所(現・川崎重工業)を設立。明治29年(1896年)川崎造船所を株式に改組し、顧問に退いた。事実上、後継者がいなかった正蔵は、同郷の先輩であり自分の事業の恩人でもあった松方正義の三男・松方幸次郎を後継者に選ぶ。一方、明治23年(1890年)に多額納税貴族院議員、明治31年(1898年)「神戸新聞」を創刊、明治38年(1905年)神戸川崎銀行を開設、監督に就任した。また美術品の収集でも知られ、神戸の自邸内に美術館をつくり、長春閣と名付けた。