夏休みも終わり、明日から仕事。

・旅行に行ったわけでもないが、今年の私の夏休みも終わる。たまにはのんびりと旅行に行きたいものである。それも自分の足の向くまま、一人で自由に出かけたいものである。暫くは無理かな?週末の親の介護が自分への負担になっているのかも。久しぶりの明日から仕事。休み気分を抜け出して頑張っていこう。

・早朝より草取り、食事の支度、掃除、洗濯といつもの日曜日である。午前中から暑いので畑の水まき、草取りをして今日の農作業は終了。水不足の為、キュウリが痛んできた。なすは収穫できるが、みょうがやピーマンの成長は遅い。水不足が原因かもしれない。でも、草の成長には驚く。いつものことであるが。

◆映画「あなたへ」
 主人公の倉島英二が亡き妻・洋子を失い、今どんな気持ちでいるのか、そしてどれだけ洋子を愛おしく思っていたのか、時折カットバックされる洋子が生きていたときの映像と健さんの深い哀愁を讃えた演技で、涙ぐんでしまいました。
 本作は、妻の散骨と2通目の遺言状の謎解きを目的とした典型的なロードムービー健さんには、旅する姿がよく似合います。旅の途中には多彩な面々と関わり合いとなり、ヒューマンなドラマが紡がれていきます。
 ただ、以外とあっさりと目的地に着いてしまうので、もっと波乱があればいいのにと思えました。主人公の英治が刑務官をしているだけに、元服役者などとの関わりで旅の行方が見えなくなるほどのアクシデントがあった方が起伏が盛り上がったはずです。
 原作がそういう筋なら仕方ないのですが、どことなく今の健さんに遠慮しながら当たり障りなく、ただただ渋い健さんを描いていることが気になりました。恐らく本作を最後に銀幕から去ってしまうだろう健さんへのはなむけとなる健さんのための映画として企画されたのでしょうが、それがかえって墓標のようにも感じて淋しい限りです。
 物語は、妻の洋子が、遺言状をなぜか2通残したところから始まります。北陸にある刑務所の指導技官・倉島英二は、最愛の妻を53歳で亡くし、「故郷の海に散骨してほしい」と記された絵手紙を受け取る。生前には口にしなかった妻の真意を知るため、英二は自家製キャンピングカーで妻の故郷・長崎へと向かう。「あなたへ…」で始まる1通は知人から、死後に英二に渡るように手配されていたもの。「古里の海に散骨して」と書かれていました。もう1通は現地で受け取ってほしいと、中身を伏せたまま、平戸の郵便局に送られていたのです。
 妻の遺言を読むための平戸行きは、あまり乗り気ではなく受け身の姿勢で始まりました。でも旅の予期せぬ出会いが、洋子を失って深い悲しみのなかにある英二を変えていったのです。
 元国語教師、イカめしを売る男と部下。結婚を控えた若い男女と船頭の老人。みんなごく普通の市井の人たちであるれど、それぞれに心に抱える悲しみや後悔の念を背負って生きていたのです。事情は違えど、倉島と似たような心境の人たちだったのですね。そんな出会う人達に、自分の悲しみを重ねて思わず相手の心を慈しみ深く包もうという英二の優しさにはグッときました。出会う人の悲しみに何か解決しようとする訳ではないのです。でも、そこにいてくれるだけで癒される気になってくるというのは、演じている健さんの人徳あってこそのものでしょう。
 原作の背後には、種田山頭火の無常観に深く影響されています。英二が出会った自称元国語教師に語らせる種田山頭火松尾芭蕉の違い。その問いかけに倉島は胸を詰まられます。それは英二に洋子の故郷の長崎・平戸までの行程が、放浪なのか旅なのか問いかけるものでした。
 元教師の説明では、山頭火のように帰る場所のない旅をするのが放浪だとというのです。その点芭蕉は目的もはっきりしていて、きちんと戻るべき庵を構えていたので旅なんだとも。
 富山の官舎から出発して、またそこへ戻るつもりだった英二ではありましたが、洋子を失った今は、英治の魂は山頭火のように寄る辺なき野を流離っていたのかもしれません。
 けれども、旅先で悲しみを背負いつつも、賢明に毎日を振る舞い、働いている姿を見ているうちに英二は自問自答したわけですね。洋子との幸福だった過去の思い出ばかりに囚われていていいのか。洋子の残した二通目の遺言状に書かれてあったひと言も、実は、愛する夫の再起を促すためのものでした。
 旅に向かわせた洋子の真意をくみとったかのように、英二は世話になったある家族のために行動を起こします。不器用な英二にとっては柄にもないことでしょう。そのちょっと意外で気張って見せた振る舞いが、いかにも健さんらしいというか、男らしくてグッとくるのですね。
 出演陣で印象的なのはなんといっても大滝秀治。「久しぶりに、きれいな海ば見た」
という老漁師が語る平凡すぎる短い台詞に、心の目をパッチリと見開かされたと健さんも大絶賛。役者魂を見せ付けてくれました。
 また、本作のキイマンとなる訳ありのイカめし販売員を演じた佐藤浩市の存在感も凄かったです。健さんとの共演は緊張したというけれど、結構競っていたのではないでしょうか。その販売員の上司役を演じた草磲剛のお調子のよさも絶品もの。それに比べて、元教師役を演じたビートたけしは、健さんとの共演に緊張したのか芝居が固かったですね。演じているたけしの気持ちまで伝わってくる芝居で、かえって可笑しかったです。

<今日の出来事>
 ・桜島:昭和火口で噴煙5000mに 過去最高

(8月18日生まれの偉人)
◆石井 光次郎(いしい みつじろう、1889年(明治22年)8月18日 - 1981年(昭和56年)9月20日)は、日本の政治家。衆議院議長(第54代)、副総理、法務大臣通商産業大臣、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、運輸大臣、商工大臣を歴任。久留米市名誉市民。
◆城山 三郎(しろやま さぶろう、1927年(昭和2年)8月18日 - 2007年(平成19年)3月22日)は、日本の小説家。本名は、杉浦 英一(すぎうら えいいち)。経済小説の開拓者であり、伝記小説、歴史小説も多く出している。
三年前の5月に県立神奈川近代文学館で、城山三郎展が開催されていた。作家澤地久枝編集委員をした「城山三郎展−−昭和の旅人」は、第一部「大義の末−−城山三郎の原点」、第二部「組織と人間−−城山三郎の世界」、第三部「幸福は花びらのごとく」と展開していた。城山三郎の人生とその志に対峙させてくれた。
 城山は、父が尊敬する渋沢栄一にちなみ「英一」と名付けられたそうである。絵と作文が得意な少年で、小学校時代は、ひとつを除いて全甲の成績で、無遅刻無欠席だった。名古屋商業学校では級長。徴兵猶予のある県立工業専門学校への進学をせず、志願して海軍に入隊。「はじめから消耗品(スペア)さ」という現実にショックを受ける。戦後、東京産業大学に入学する。この大学は森有礼福沢諭吉が社会科学の総合大学として1875年に開いた私塾・商法講習所を前身とし、東京商科大学を経て、今日の一橋大学となる。
城山は、名古屋を拠点とする経済学者として、幕末以来の名古屋財界史を研究テーマにし、開拓者のドラマに注目する。30才で「輸出」で文学界新人賞、32才で「総会屋錦城」で直木賞を受賞。名古屋から茅ヶ崎に引っ越して愛知学芸大学に講師として通った。往復8時間かかったが、この時間を絶好の読書と勉強の時間に充てていた。「足軽作家」と呼ばれるほど、どんな場所にも足を運ぶ人だった。城山は人物を書いたが、モデルとなる人物には接触せずに作品を執筆するというスタイルをまもった。1969年の執筆予定メモをみると、7本で2000枚の執筆予定があった。
「雄気堂々」は渋沢栄一http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130316)。「辛酸」は田中正造。「鼠」は金子直吉http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130724)。「男子の本懐」は浜口雄幸http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130501)と井上準之助http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130506)。「落日燃ゆ」は広田弘毅http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130214)。「ビッグボーイの生涯」は五島昇。「運を天に任すなんて」は中山素平。「わしの眼は十年先が見える」は大原孫三郎。「もう君には頼まない」は石坂泰三。「祖にして野だが卑ではない」は石田礼助。「小説日本銀行」、「官僚たちの夏」、「毎日が日曜日」、「黄金の日々」、「そうか、もう君はいないのか」。
城山は、戦争体験を経て、若い頃のベ平連や晩年には個人情報保護法反対の先頭に立つなど、社会運動も行っている本気の人であったようである。

<昨年の今日>もまた空白である。