夏ボケの一日。そして『真夏の自販機戦争!』

◆出張日程を間違える。手帳にしっかりと書いてあったが、どうも聞き違いであった。今日はついていない。さらに、線路内に人が入ったことにより、帰りの電車も遅れる。ついていない一日であった。

◆『真夏の自販機戦争!』(2013年8月20日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京ガイアの夜明け」より)
 8月12日の池袋。最高気温が35度となったこの日自動販売機で飲み物を買う人が多数。品切れにならないように、アサヒカルピスビバレッジ、コカ・コーラサントリー伊藤園…など各社の自動販売機補充員もフル稼働だった。自販機は全国に約256万台あるが、日本自動販売機工業会の調査では、ここ数年自販機の数は減少している。ダイドードリンコの補充員はラーメン店「俺の出番」の店先にある自動販売機に補充を終えると、自販機のオーナーに売上げ本数を報告。自販機のオーナーは1台当たり毎月2000〜8000円の電気代を負担する代わりに、売上げの10〜30%を収入として得る。ただオーナーの福島さんによれば、近所にセブンイレブンミニストップなどのコンビニがオープンし、だいぶお客を取られているのだという。秋田県由利本荘市では田んぼの脇にある自販機が1か月あたり3000本も売り上げる人気。人通りも数無い場所にも関わらず、都会の人気自販機と変わらない売上げ。自販機はどこにおけば儲かるのか?自販機業界の知られざる舞台裏に迫る。
 猛暑の大阪。ダイドーの営業マン阪本さんは、以前から目をつけていたとある会社に営業をかけた。そこは90人が働くオフィスだったが、休憩室にはすでにライバル3社の自販機があった。飲料メーカー各社はこのようなオフィス内の設置に力を入れている。阪本さんは他社には無いポイントカード付きの自販機を提案し、今後も交渉を続ける事となった。7月下旬、秋葉原にある会議場には全国から全ての営業担当者が集められ決起集会が行なわれた。集会では「C社(コカ・コーラ)と会えばC社を切り、S社(サントリー)と会えばS社を斬る」との言葉も掲げられた。他のメーカーは自販機での売上げの割合は3割ほどだが、ダイドーは約9割。元薬品メーカーで栄養ドリンクを自販機で販売しヒットしたことから、自販機販売に参入したが、その結果コンビニなどの販路開拓には遅れを取っていた。
 一方、アサヒ飲料墨田区)の市場開拓担当の白川課長は最新システムを手に街を歩いていた。これはタブレットに自販機の設置場所や営業マンが交渉中の場所が表示され、さらなる詳しい情報も得られるというシステムだった。9月にはこのシステムがスマートフォンでも使用可能となり、全ての営業マンが使用することに。所変わって大阪にあるダイドー本社では、メガネを使った実験が始まっていた。これは自動販売機で飲料を購入する際の目線の動きを調べる実験で、自販機のどの位置に最初に目線が行くか、コーヒーを買う人の目線がどの文字に行くのかなどを調べ、開発に役立てていた。ダイドーの営業マン阪本さんは、7月に千代田区にある大和ハウス工業東京本社を訪れた。1年半にわたり営業を行ないやっと自販機の設置にこぎつけたが、ここにもライバルの自販機がすでに入っていた。そこでポイントカードのついた他社とは違う機能のついた自販機を導入した。
 多くの観光客で賑わう名古屋城。その中に次々と外国人観光客が集まってくる自動販売機があった。これはアサヒ飲料が開発したWi-Fi機能付きの自販機だった。観光庁が外国人観光客を調査したところ無料で使えるネット環境の少なさ指摘する声が多いのが現状だった。わざわざWi-Fiを設置しようとすると費用がかかるため、施設側からはWi-Fi付きの自販機は評判が高まっている。三重県伊勢市にある伊勢神宮。今年は式年遷宮の年とあり例年以上の観光客がやってきているが、このエリアで自販機を売り込むアサヒ飲料の坂本さんだったが、おはらい町では景観保護のため景観に配慮しなくてはならず、なかなか手ごわい状況。次に向かったのは伊勢神宮の程近くにオープンしたホテル・伊勢神泉。ここにWi-Fi付きの自販機を置けないかと考え営業する事に。景観と馴染ませるために自販機の色とあわせることなども提案。Wi-Fiの話もするとホテル側の反応も変わり、前向きに検討してもらえる事となった。
 過疎化が進む地方。人口が減ることで商店が閉まり、生活が不便になり出て行く人が増える…という負のスパイラルとも呼べる状況が起きている。しかしその状況を自販機ですくおうとする人も登場した。宮城県仙台市のとある街角に設置されている自動販売機。この自販機はオロナミンCペプシなど様々な会社のものが入っていて、全て100円。設置しているのはデリコムという会社だった。このデリコムの原田社長は、過疎地への自販機設置に乗り出そうとしていた。7月24日には実際に過疎地に出向き実情を調査する事に。自販機が無い場所を探したどり着いたのは七ヶ宿町。この町の人々の生活を支えていたのは、移動販売の車だった。原田社長が考えていたのは、飲料だけでなくお菓子やおつまみ、レトルトカレーなどまでを販売し、自動販売機を無人コンビニにする事だった。自販機には通信機器を取り付けて現地に行かなくても本社で残り本数を確認できるようにもしていた。過疎地向けの自販機をどこに設置するのか、原田社長が目をつけたのは丸森町の筆甫地区だった。高齢化が進んでいる地区で、町の人が利用している佐久間商店だった。このお店の店主は76歳の女性だった。宮城県丸森町にある商店・佐久間商店。店主の佐久間さんは日中突然カーテンをしめてどこかへと出かけてしまった。その直後にみせに小さな男の子がおじいちゃんと共にやってきて、しばらく店の前で待ったもののそのまま帰ってしまった。実は佐久間さんは最近体調が思わしくなく、町の病院にまでいくことが多くなっていた。仙台市にあるデリコム本社では、飲み物だけでなく食べ物も販売する過疎地向けの新しい自販機が完成し、8月8日に佐久間商店へと運ばれた。原田社長は「無人コンビニ」と書かれたチラシを近所の人に配りPRを行なった。真夏の自販機戦争!ドーナツ、おつまみ、カレーまで…
デリコムが宮城県丸森町に設置した、過疎地向けの食料品なども販売する自販機。利用客第一号のおばあちゃんが購入したのはレトルトカレーだった。さらに3歳の男の子もおじいちゃんに連れられてやってきて、ドーナツとぶどうジュースを購入。デリコムの原田社長はこの光景を見て、ここからスタートすると改めて決意した様子だった。
→→ われわれ消費者にとって当たり前となった自販機。過疎地域等をみると、生活を支えるインフラになりつつある。更に便利性が増すことをきたいしたいものである。

(8月20日生まれの偉人)
陸奥 宗光(むつ むねみつ、天保15年7月7日(1844年8月20日) - 明治30年(1897年)8月24日)は、幕末から明治時代の武士、政治家、外交官。カミソリ大臣と呼ばれ、伊藤内閣の外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった。
<名言>「自分は常に白刃を大上段に構えて人に対するほかはない。」(陸奥宗光)がおもしろい。
<本の紹介>日本の名著 (35) 陸奥宗光(中公バックス)http://d.hatena.ne.jp/asin/4124004257
                        http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4124004257/hatena-ud-22/ref=nosim
                         
◆倉富勇三郎(くらとみゆうざぶろう、嘉永6年7月16日(1853年8月20日) - 昭和23年(1948年)1月26日)は、明治から昭和にかけての司法・宮内官僚。法学博士。内閣法制局長官貴族院勅選議員、枢密院議長。法典調査会刑法起草委員。

<昨年の今日>もまた空白である。