職場における人間関係

 日経BPの記事から、「どうしてもイヤな相手との上手な付き合い方」(*)を読んだが、まさに職場がその象徴であろう。仕事をしていく上では、「好むと好まざるにも関わらずできた人間関係であるゆえ、章場ではひとを好き嫌いだけの判断では仕事はできない。仕事としての出発点は人を好き嫌いだけでは生活ができない。
 『正に「一剣を持して起つ」という剣豪宮本武蔵のような絶対の境地に到っている人は、自分自身を相手にして生きる。即ち、そうした人は自己の絶対を尊ぶという「独尊」の世界にあって、そしてその独尊の人は「互尊」という感情を他の独尊の人に対して抱く』といっているが、好きとか嫌いとかは全く関係なしに一人間として互いに尊重し合い、そしてそれぞれが自らも自らを尊ぶという中で人と人との付き合いを行えば良いと言われているが、実際にはそれまでに達していないのが、人の常ではないか。
好き嫌いに出発点がある場合、「何であんな奴と付き合わなければならないんだ!」から始まって、「付き合ってみたけれど、やっぱりあいつはダメだ」とぐだぐだと言い出すことにもなりかねない。好きな人・嫌いな人に分けるということは、やはり止めた方が良いであろうが、性格やに市場の仕事上の関わりの中でそうした感情を抱きがちである。でも、十階には、人間に好き嫌いというものはあり、私自身にも嫌いな人はいるが、仕事上は好き嫌いなどトいう感情を捨て、適材適所を考えるようにしている。この記事のように、イヤな相手でも、「自分に役立つ何か」を一つは見つけることにより、相手に対する感情も変ってくるのではないか。
 部長や役員といった長の立場に在る者は、統率力や説得力等が必要であるが、何より大事なのは、下に付いて行きたいと思わせる人間的魅力を持っているということだが重要。でも、これは非常に難しいものである。まさに、その人の人間性そのものであろう。
 (参考http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121108

*(参考)どうしてもイヤな相手との上手な付き合い方(2013年8月12日)http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20130807/159342/?P=1&ST=life
 イヤな相手でも、「自分に役立つ何か」を一つは見つける
 学生や新入社員時代であれば、何か選択ミスをしたときでも、「あら、間違えちゃった」と気軽にその都度やり直すことができますが、ある程度経験を積み中堅どころといえる年代になると、日々の選択の中にもちょっとした「知恵」が必要です。選択ミスをしたときの痛手は大きく、若い頃ほど気軽にやり直せないし、毎度、日替わりメニューのように選択を取り換えていると、残り時間がもったいないからです。そこで、この連載では、これからの人生がもっと楽しくなり、より充実した生き方ができるためのヒントを、パフォーマンス心理学の専門家として活躍する佐藤綾子さんに教えてもらいます。
 こんにちは、佐藤綾子です。私のセミナーの受講生や本の読者の方々が、会社の同僚やママ友について、共通した悩みのトップにいつも入ってくるテーマがあります。「どうしてもイヤな人、苦手な人がいて、その人と話しにくい。ときには話せないだけでなく、その人がいること自体がストレスです」というものです。
 人間に対する好き嫌いは、大なり小なりだれにでもあります。一見、だれとでも仲良くできているように見える人でも、聞いてみると「苦手な人」の一人や二人は必ずいるのが普通です。正直な気持ちとしては、「そんな相手のいない国に逃げ出したい」とか「あんなイヤな人は、さっさと転勤になってしまえばいいんだわ」と思うこともあるでしょう。
 そこであなたに質問です。
 心から嫌いで心から苦手な相手でも、そのまますっぽり受け止めて、「ま、世の中こんな人がいるのも、アクセントになっていいかな」と思うことができますか?
 あなたが自分の心にまっすぐにそう聞いてみて、「できない」という答えであれば、一つの方法があります。
 イヤな相手、苦手な相手のなかからたった一つでいいので、「自分に役立つ何か」を見つけるのです。性格は手の打ちようがないぐらいイヤだけど、あの企画書の作り方はお見事!」
「なんだか裏表があって調子良過ぎて尊敬できない。でも、電話応対だけは抜群に上手ね」「ハデで男性を意識し過ぎているところが鼻につくけど、あのメイクはうまい!」
 こうやって、何かその相手のなかに優れた部分をピンポイントで見つけようとすると、意外なことに、たいてい一つぐらい見つかるものです。
 そして、「そこを学ぶんだ」と決心したらいいのです。
 あなたがそれほどにイヤだと思う相手ですから、相手のすべてを尊敬するのは、神さまでもない限り、そうとう難しいことでしょう。でも、一つでも自分より優れているところを見つけて、そこをピンポイントで尊敬することならできそうですね。
 そうしたら、次はそのピンポイントについて、「積極的に学ぼう」とあなたが思うことです。そして、折々にそのことを質問しましょう。「教えてほしい」というような謙虚な気持ちは、自然に相手に伝わっていきます。
 最低でも、あなたはそこで何か一つ学習することができますし、さらにうまくいけば、あなたのそのやり方で相手が気持ちを変えてくれて、苦手どころかすてきな友情関係に変わったりもします。
 さて、明日「その人」に会ったら、あなたは何を教えてもらえそうですか?
<本の紹介>
ビジネスパーソンのための教養大全―自分の幹を太くする今、知るべき20分野+α (日経BPムック)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822230686/hatena-ud-22/ref=nosim
・君はまだ残業しているのか (PHP文庫)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569677622/hatena-ud-22/ref=nosim

(今日の出来事)
 ・西-東日本 局地的雷雨に警戒
 ・医療負担引き上げ案 閣議決定
 ・放出限度超の汚染水 海流出か


(8月21日生まれの偉人)
◆橋本雅邦(はしもとがほう、男性、天保6年7月27日(1835年8月21日) - 明治41年(1908年)1月13日)は、明治期の日本画家。狩野芳崖ともに、日本画の「近世」と「近代」を橋渡しする位置にいる画家。芳崖と共に、狩野派の描法を基礎としつつも洋画の遠近法等の技法を取り入れ、明治期の日本画の革新に貢献した。代表作の一つである《白雲紅樹》では、従来の山水画を基にしながら、月の光と空気の透明性を微妙な色彩で表現している。
◆太田清蔵(5代目)(おおたせいぞう、1893年8月21日 - 1977年7月13日)は、日本の実業家。元東邦生命保険会長・社長。第一徴兵保険(後の東邦生命保険)社長、貴族院議員などを務めた太田清蔵 (4代目)の長男。東邦生命社長の傍ら、大丸を福岡に誘致し、1953年に開業した博多大丸の初代社長に就任する。一方で、西鉄RKBの取締役なども務めており、福岡市の経済発展に大きく貢献した。
 江戸末期より明治にかけ浮世絵が欧米に膨大な数量流出していた実情を嘆き、昭和の初めより半世紀以上に渡り浮世絵の蒐集に努め、約12000点のコレクションを集大成した。日本屈指と噂されながらも清蔵はその全貌を家族にさえ秘密にしており、「幻のコレクション」とされた。太田の死去にともない、遺族はその遺志を受け、太田のコレクションの一般展示を行い、我国の美術振興の一助とすることを決意し、1980年、浮世絵専門の美術館として、原宿・表参道に太田記念美術館http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/)を開館している。

<昨年の今日>もまた空白である。