「やられたらやり返す! 倍返し、10倍返し、100倍返しの世界」。通算540日目。

 やられたらやり返す! 倍返し、10倍返し、100倍返しの世界。「半沢直樹」が終わってしまいましたね。今世紀最高視聴率だとか。たしかにね。痛快でしたもんねえ。まさかの結末も、なんだかんだで原作通りでございました。2クールであっという間に部長待遇。やっぱ証券会社に出向させないと終わってしまいますね。役員になったらおもろなくならない。悪代官をこらしめるところに日本人は拍手喝采するわけでね。そういう意味では、水戸黄門や遠山の金さんと同じですね。今年の流行語大賞はこれで決まりかも。1位、2位、3位独占じゃつまんないので、まとめて1位つうことになるんでしょうな。
 「やられたらやり返す、倍返し、復讐、リベンジ、仕返し。泣き寝入りはしない。」よく考えてみたら、これって、どこぞの人がよく言ってることではないか。そこにあるのは競争、好き嫌い、勝ち負け、損得、所有、支配、プライド、嫉妬。。。自己武装するためにたくさんの武器を身につけなければならない。自我にとらわわれることを「迷い」といい、自我を捨てることを「悟り」という。けど役割を果たしていると考えたら、なんとか前を向いて歩けるようになる。

◆米ケリー国務長官ら「千鳥ケ淵」で黙祷の衝撃
 日米外務・防衛担当閣僚会議、通称2プラス2が3日、開かれ、共同文書が採択された。そこには安倍政権の「集団的自衛権の行使をめぐる取り組みを歓迎する」との文言が盛り込まれたことで、安倍政権は大喜びだが、その前に“事件”があった。来日したケリー国務長官ヘーゲル国防長官は千鳥ケ淵の戦没者墓苑を訪れ、献花し、黙祷したのである。「安倍首相は靖国神社は米国のアーリントン墓地のようなものであるという認識ですが、米国側の認識が違う。米のアーリントン墓地に匹敵するのは千鳥ケ淵の戦没者墓苑である、ということをケリー氏らは身をもって示したわけです。コレは強烈な安倍首相へのあてつけです。もちろん、米国は計算ずくで、こういう言動をしたのです」ワシントン郊外にあるアーリントン墓地は戦死した軍人のほか、テロの犠牲者、無名戦士の墓もある。千鳥ケ淵墓苑は先の大戦の際、海外で犠牲になった軍人、一般人の氏名不詳の遺骨を収集、安置している。A級戦犯も祭ってあり、官軍の軍人を軍神扱いしている靖国神社とは違う。 だから、ケリーらも靖国ではなく、千鳥ケ淵に行ったのである。

◆『脱・下請けで大躍進!世界が駆け込む印刷所』(2013年10月3日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京カンブリア宮殿」より)
 神戸市にある和菓子屋には行列が出来ており、かりんとまんじゅうが大人気。企業ロゴが気になっておみやげで買っていく人もいる。また、篠山市にある蕎麦屋「ろあん松田」には昼食でも6300円という高級コースが用意されているがこれも人気。やはり、ロゴが独特。印刷所「グラフ」は加西市にある何の変哲もない工場。しかし、世界中から注文があり高級ブランドからの注文が殺到している。質の高いものを作る会社を探して訪ねてくる企業が多く、普通の印刷会社が敬遠する複雑な印刷物を多く取り扱っており「印刷業界の駆け込み寺」と言われている。かつては小さな印刷会社に過ぎずほぼ100%下請けの崖っぷちの印刷会社だった。印刷会社は通常、あらかじめ色が決まっているがグラフでは望む色を出す事ができる。従業員が指定したインクを作ってみせ、インク屋に頼んでも1〜2時間で届く事はないがここではすぐ出せると豪語した。また、他の印刷所がやりたがらない特殊な印刷物を得意としており金箔のツルツルした所とザラザラした所で色だけでなく体で感じられる印刷物を作成。これはL’Arc-en-Ciel「LIVE IN PARIS」のジャケットで利用された。
 北川一成筑波大学グラフィックデザインを専攻、31歳で日本グラフィックデザイナー協会新人賞を受賞している。印刷技術とデザインで1千件以上の仕事を得ている。グラフは東京に事務所を構えている。日本で初めてバームクーヘンを販売したユーハイムの専務が仕事の打ち合わせに訪れ、これまでのビジネスでは通用してこなくなっているとして新しいデザインを依頼した。ユーハイムの新デザインが完成し、高島屋玉川店でお披露目となった。赤・白・黒のコントラストはユーハイムの創業当時からのデザインでパッケージに創業者の写真を入れたのも北川一成のアイディアでユニフォームも新しくデザインした。北川一成が登場。元々は家業を継ぐつもりもなく何か価値を見いだせないかと考えていた。ずっと絵を描く子供でテストの答案を書かずに6年生まで絵を描き続けてきた。卒業する前に通信簿を親に見せたら母親は気が動転していて大量の白紙の答案が見つかり親から「お兄ちゃんをみんなで見守っていこう」と言われ自分が情けなくなったと話した。看板、車の内装など街には印刷物が溢れており活気づいているように見えるが凸版印刷大日本印刷の2社がシェアを占めており、残りを約2万社で分けているのが現状。松川印刷では下請けの仕事を主にしており儲けのために価格を上げたいがそれも出来ず生活のために下請けを辞める事も出来ないという。2000年には約3万カ所だった全国の印刷所は2011年には約2万カ所まで減ってしまった。
 北川一成は新しい顧客を開拓しようと兵庫から上京。主力商品だったポストカードを16分の1の価格で受ける営業をした。通常、1枚の版下で1種類のデザインが基本だが、北川一成は1枚の版下に16種のデザインを詰め込み16分割する事でコストを下げた。これにより月3000件の新規開拓をする事が出来た。2000年、社長に就任した北川一成は悩んでいた。ポストカード営業で増えた直接受注の足かせになっていたのが下請け仕事だった。発注元の担当者が来た時に印刷所で芸術作品を描くなどわざと馬鹿を演じ信用を無くす事で下請けを減らした。下請けを脱しようとした理由について、北川一成は下請けでは会社名を記載する事が出来ずやっている事を身の丈で世の中に直接訴えたいと思ったのがきっかけだと話した。村上龍が「印刷物が捨てられるのが嫌だった?」と質問に対し、北川一成は子供の頃からチラシ作りの手伝いをしていたが廃品回収で大量のチラシのゴミを見てトラウマになり捨てたれない印刷物が作れないかと考えるようになった。兵庫・加西市に老舗の酒蔵「富久錦」がある。北川一成の運命を変えたのは「富久錦」の稲岡輝彦さん。2人は89年に知り合った。当時、稲岡さんは老舗の大改革を開始し、北川にロゴデザインを託した。そのデザインが新人賞を受賞し、一躍有名になった。当時は、無名の新人デザイナーだったため会社の人から老舗のロゴなど引き受けるべきでないと言われ、3回断りに行ったが、「富久錦」の専務は全てを理解した上で北川に任せると決めた。脱サラし「脱サラファクトリー」を起業した末澤輝と有吉英則。企業名の「脱サラファクトリー」は北川一成のアイディア。熱意ある2人に採算度返しで北川は彼らの手助けをする。脱サラファクトリーでは瀬戸内海から取れる塩を作っている。パッケージデザインは当然、北川だ。北川一成は仕事の選び方について、仕事は選び選ばれであり選ばれたという事は誰かの仕事を奪ったという事だと意識していると語る。また、20世紀の経済の成長は機械に頼りすぎているため、人間力で他社との違いが生み出せると語る。村上龍北川一成について語る。北川は虹を掴むのと同じような効果と充実感を獲得できるのかを常に考えている。デザインと印刷の両方の技法に習熟した北川とグラフは他の追随を許さない。


<今日の出来事>
・兵庫姫路市にて”日本酒での乾杯普及”などをもり立てる日本酒の振興条例が可決された。

(10月3日生まれの偉人)
◆津田 左右吉(つだ そうきち、1873年明治6年)10月3日 - 1961年(昭和36年)12月4日)は、20世紀前半の日本史学者である。『日本書紀』『古事記』を近代的な史料批判の観点から研究したことで知られる。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121003