発想力を高めるために

アイデアマラソンノートもあったが、発想の連想ゲームを行っていこう。テーマを決めて祖のテーマから考えられるものはなにか。別に時間を限って育必要はないだろう。思った時に整理できればよいであろう。そして、テーマは『脱少子化』である。これからの日本を没落させない為にも最重要課題であろう。
 アイデア創出の達人ではなく、アイデアの良き理解者に。大半の人は、創造的思考の利点を絶えず耳にしていても、そこから生まれる創造的なアイデアを受け入れないが、創造性の分野では軸足を移す必要があるかもしれない。つまり、より創造的なアイデアを生み出す方法の見極めから、革新的な組織が創造性を認識して受け入れる力になる方法の見極めへの移行だ」。
・言い換えれば、われわれに必要なのはアイデア創出の達人になることではなく、アイデアの良き理解者になることなのだ。
・自分のアイデアを生み出すよりも、ほかの人のアイデアを選び、採用し、活用することに力を入れよう。
 そういえばあのスティーブ・ジョブズだって、ゼロからMaciPhoneを生み出したわけではない。ほかの人の技術を選び、採用し、活用した。まさに、アイデアの良き理解者になるために、まずは他人のアイデアを否定しない。そこから、また自らのアイデアが生まれてくる。

◆起業のために http://d.hatena.ne.jp/yutakikuchi/20130606/1370475477

● 「熱い市町村長たち」第一弾
         ―「若者」「バカ者」「よそ者」市長 大いに語る―

     4年間で2度の政権交替。この間、経済は少し動き始めましたが、財政、超
    高齢社会、地域の空洞化など日本が直面する大問題は未解決のままです。

     しかし日本中をよく見ると、そこかしこでユニークな、あるいは地道な動
    きが出ています。国は大きいから、誰にとっても「他人事」。その間に、地
    域のことを「自分事」と思う行政、住民、企業が動いているのです。特に、
    首長がイニシアチブをとると町の力が結集されます。地域を、そして日本を
    どうするか。大いに語って頂きます。

○日時:10月28日(月)18時30分〜20時30分(開場18時00分)

○会場:日本財団ビル2階 大会議室
    (懇親会)「頤和園(いわえん)溜池山王店」(懇親会費4000円)

○ゲスト:山中光茂氏(松阪市長、37歳)
     井原健太郎氏(柳井市長、39歳)他
 コーディネーター:加藤 秀樹(構想日本 代表)

○フォーラム参加費:一般 2,000円 / 学生 500円(学生証提示)
         (シンクネット・構想日本会員は無料です)

※ フォーラムへの参加はHPのフォームから、もしくはこのメール
  にご返信をお願いします。
  (J.I.フォーラムへのお申込み:
   http://www.kosonippon.org/forum/regist.php?m_forum_cd=288)

小沢一郎 生活の党代表 記者会見 「ぜひ,国民自身の自覚を」 10月7日
政府・与党のTPP「重要5品目」関税撤廃については,方針転換したわけではなく,政府・自民党の選挙戦で「重要5品目はまもる」と喋っていたことが,選挙用だったということでしかない。(原発事故対応については)正面から,取り組んでいかなくてはならない。国が率先して,やるべきであり,東電の陰に隠れながら,東電に責任を負わせながらやる,というのは間違いで,すでに事態はそういった手法の限界を超えている。それほど非常に危険な状況だという認識。政府・与党の考える国家安全保障局,あるいは秘密保護法,こういったことは直接国民の生活やら,国民の基本的人権に触れる話なので,もっと国民も,そして野党も,真面目に真剣に考えるべきだ。国民が甘く考えて選挙に臨み,選挙で絶対多数を与えてしまった以上,政府・与党の考えどおり,外交も,行政も,動いていく。遅きに失していても,その権限を付託した国民自身が声を上げていく以外に,それを阻止する方法はない。

(10月7日生まれの偉人)
◆村野 四郎(むらの しろう、1901年(明治34年)10月7日 - 1975年(昭和50年)3月2日)は、日本の詩人。府中市郷土の森という広大な市民の憩いの場のの一角に旧府中尋常小学校の校舎が復元されている。この一階に詩人・村野四郎の記念館がある。この名前にはあまり親しみはないが、「ブンブンブン ハチがとぶ おいけのまわりに のばらがさいたよ ぶんぶんぶん はちがとぶ」という童謡や、卒業式でよく歌われる「巣立ちの歌」などの作詞者といえば少しイメージがわいてくるもの。府中出身の村野は市内の小学校、中学校の校歌を6点作詞している。
 少年四郎は、文学の道には進まず、一年目の受験は東京商科大学を失敗し、2年目は慶応義塾の経済学部に合格する。文学は好きではあったが「文学で飯を食おうなどとは思ってもいなかった」と述懐している。大学では俳句の世界で頭角を現し、卒業の前年には処女歌集「罠」を自費出版している。しかし部数は300部だったが、一冊も売れなかった。
 「精神のために詩を、肉体のために実業を」という考え方にもとづく長い二足のわらじの人生が始まる。このあたりの見通しと覚悟には感心させられる。は理研では、従業員300人規模の理研電具の社長にまでなるなど、実業にも注力している。そしてその生活基盤の上で詩作に励み、「現代詩の一頂点」(室生犀星)を極めていく。50代後半の1959年に刊行された「亡羊記」は、読売文学賞を受賞する。60代半ばで、ようやく実業界から引退するが、その前あたりから村野は、芭蕉の存在に惹かれてゆく。それまで新即物主義実存主義といった西欧の存在論を根拠に詩を追及してきたが、17世紀の後半の日本に芭蕉がいたことい大きなショックを受ける。
「日本の現代詩人たちが、海外の詩的論理にばかり眼がくらんで、自分の足もとにある日本固有の古典の価値にほとんど盲目同然であったところに、今日の現代詩のひ弱さがあることを、かつて私は、どこかに書いたけれどこれは詩にかぎったことではなく、日本の文化全体についてもいえると思う。」こういう文章を村野は残しているが、まったく同感する。文化のみならず、行政も企業もジャーナリズムも、同様の病にかかっている。
芭蕉は神社仏閣に立ち寄ってはいるが、神や仏に帰依した作品はない。己の美意識だけを頼りに奥の細道をたどり、実存を生きた。村野も長い西欧遍歴を経て、また日本に回帰するのである。村野は「わたしは、今でもまた、たえず飢えた美食の単独者であることを、無上の栄誉と考えているものです」と「芸術」のあとがきで述べている。この美とは詩のことである。
村野は、7つ年上の西脇順三郎http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130120)や、草野心平http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130512)らと交遊を重ねている。「私は、はじめから、文学というものは実業による経済的な防波堤の内側でなすべきものと決めていた」。村野四郎は、その思いを日々の精進の中で遂げていった。実に見事な人生である。この人の生き方は、もっと研究する価値があると思う。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121006

<本の紹介>
・一冊のノートで始める力・続ける力をつける―人生も仕事もうまくいくアイデアマラソン発想法 http://d.hatena.ne.jp/asin/4769609671
日経ビジネス人文庫 企画がスラスラ湧いてくる アイデアマラソン発想法 http://d.hatena.ne.jp/asin/4532192102