台風27号 前線活発化 西日本 非常に激しい雨 。

◆西日本太平洋側、大雨警戒=台風27号北上、前線活発化―28号は25日小笠原接近
 強い台風27号は23日夜、沖縄県南大東島の南西海上を北上し、大東島地方が暴風域、沖縄本島奄美大島強風域に入った。24日にかけ暴風や高波、激しい雨に警戒が必要。九州南部から四国沖には前線が延び、台風北上につれて活発化するため、気象庁は西日本では太平洋側を中心に24〜25日に大雨になるとして、土砂災害や河川の増水に警戒を呼び掛けている。
 強い台風27号は沖縄・南大東島の西北西をゆっくりと北北東へ進み、南大東島では最大瞬間風速が38.9mを観測した。気象庁の主任予報官は会見で、西日本から東日本の広範囲で雨量が多くなると見られているため、大雨への警戒が必要だと呼びかけた。宮崎・諸塚村では1時間に57mmの雨量を観測。土砂災害の危険性が高くなっている。大分・佐伯市ではおとといからの雨量が450mmを超え、平年10月1ヶ月分の3倍近くに達した。市内では住宅の斜面が崩れたところも出ている。大分県では洪水の危険性が高くなっている地域があるため、大分市の一部に避難勧告を出した。

◆『プロフェッショナルミリオネア』(江上治著・プレジデント社)(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4833450542)から
 お金持ちの行動を分析し、彼らの仕事の仕方、お金の使い方、人間関係の構築法について、まとめた一冊。「プレジデント」誌の調査によるグラフも加わって、より客観性が増した内容となっています。成功本に共通するベーシックな部分としては、<身銭を切って、一流のものに触れているか><使うべきお金は大胆に使うが、固定費や経費などのムダは徹底的に排除する>といったあたりでしょうか。さらに、<年収に応じて、欲のもち方を変えていく><何が「正しいか」でなく、何が「大事か」で考えているか>いう問い掛け。われわれはつい、何が「正しいか」で考えてしまいますが、大きな組織やお金は、それだけで回っていかない。
<ポイント>
 気になる言葉をひろいあげてみると、
・「才能のある人々がその能力を発揮できないのは、習慣や性格、考え方が邪魔をして合理性を発揮できないからである」(ウォーレン・バフェット
・「○か×以外の答えを出すな」(アース國分社長)
・成果をあげたときの振る舞いを見れば、その人の人間性がわかるだけでなく、どのくらいの応援団がついているかも察しがつ。奥さんが食事をつくらなかったとしたら、奥さんをそのような気分にさせている自分が悪い。家に帰ったときに、奥さんの機嫌が悪かったとしたら、それも自分が悪い(中略)とても自分のせいとは思えないような不運に遭っても、すべてが自分のせいであると自然に考えられるのが、一億円以上を稼ぐ人の思考。身銭を切って、一流のものに触れているか。
・もう二十数年前、私の知人が社会人になりたてのころの話だ。どうしても直属の上司が好きになれず、父親の前で上司の欠点をあげつらったことがあった。そのとき商売をしていた父親から、次のような言葉で諭されたそうだ。「人というのはミカンと同じだ。全部が食べられるわけではなく、皮やタネもある。お前は、ミカンの実の部分だけを見るような人間になりなさい」使うべきお金は大胆に使うが、固定費や経費などのムダは徹底的に排除する。これは成功者に共通する特徴である。誰しも若いときには、客先を訪問しても「自分には売りになるものが何もない」とはがゆく感じるものだ。では、何を売りものにすればいいのだろうか。上司や会社であるときには非常識になることで、応援してもらえる人になる。
・古いものを捨てれば新しいものが入ってくる。逆に言えば、捨てなければ新しいものは入ってこない。
・何が「正しいか」でなく、何が「大事か」で考えているか。

<今日の出来事>
・【楽天】5球団競合の桐光・松井を当てた!

(10月24日生まれの偉人)
◆奥 むめお(おく むめお、本名:奥 梅尾(読み同じ)、1895年10月24日 - 1997年7月7日)は、日本の婦人運動家、政治家。参議院議員を計3期務めた。
松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10月24日 - 1991年(平成3年)8月25日)は、日本の官僚・政治家・科学者・教育者・工学博士。東海大学創立者社会党衆議院議員内村鑑三http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130323)に師事した。日ソ交流を進めた。世界連邦建設同盟(現、世界連邦運動協会)会長。
 敗戦の一年前に42歳の時に、通信院工務局長という勅任官であった松前重義は、東條内閣を公然と批判していたため懲罰召集をかけられ、陸軍二等兵として南方に送られる。この時、もう一人の内閣打倒の工作を練っていた政敵・中野正剛を東條首相は自決に追い込んでいる。死地に送り込まれた松前は、何回もの危機を脱するのだが、その都度「私は実に運が強かった」「「大変な幸運だったと言える」と語っている。この人のその後の活動を眺めてみると、天が殺さなかったのだという感慨が湧いてくる。
 二等兵召集のきっかけとなったのは大政翼賛会だ。逓信省公務局調査課長だった松前は、その総務部長を引き受ける。翼賛会は、本来亡国の道を突進する軍部の独裁政治を食い止め、日本の進路を正常にするために発足した国民連合だった。ここで軍部と対立し、憲兵特高に目をつけられることになった。頑固一徹で武骨な性格をあらわす「肥後もっこす」の典型であった松前重義は、細川護煕首相(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130114)が政界に出るとき、その父・護定を説得する。細川は「松前さんは正真正銘のもっこすだ。スケールの大きなもっこすだと思う」と証言している。
 東北帝大工学部電気工学科を卒業し、逓信省に技官として入省した松前は、役人生活に失望する。この時、内村鑑三の聖書研究会でその講義に接し、「この人こそわが人生の師だ」と心に決める。ダルガス父子による復興を描いた「デンマルク国の話」とともに、グルントウィヒというデンマークの宗教思想家・教育者を知る。グルントウィヒは国民高等学校という私塾的な場を設け青年の教育を行った。これが松前重義が教育を生涯の分野と定める動機となった。松前は生涯を通じて柔道に関係した人生を送り、国際柔道連盟会長などを歴任したが、山下泰祐を発見し育てた人でもあった。ロサンゼルスオリンピックで金メダル、全日本選手権9連覇、203連勝のまま引退という記録を打ち立てた山下を東海大相模に入れて鍛えた。山下は学業にも励み、全校で一番の成績もあげている。
 柔道は嘉納治五郎(*)が日本古来の柔術に創意工夫を凝らしながら体系化した近代武道である。柔道は知育・徳育・体育の三位一体の教育理念に基づいた教育的武道である。世界各国で柔道が盛んになったのは、戦後の日本の発展の原動力がこの武道ではないか、武道が日本人の勤勉さを作ったのではないか、と思われたからである。松前重義東海大学創立者である。この大学の発祥の地が東海道清水市にあったためにつけた名前のように誤解されるが、東海とはユーラシア大陸の東の海を指している。それは太平洋のことだ。
懲罰召集から帰り終戦になって、戦後通信院総裁になった技術者・松前は理科系を中心に文科系も併設する総合大学の建設にとりかかる。しかし、1952年にはこんどは公職追放に遭い、教育界にも携わることができなくなり、40代後半の数年間を雌伏の期間とせざるを得なくなる。年譜では、1946年4月に通信院総裁を辞任し、5月に旧制東海大学を発足させる。翌年1947年1月に公職追放。1951年6月公職追放解除。1950年、新制東海大学発足。1952年、1月東海大学理事長、6月学長。
 今日、東海大学は20学部・10キャンパスに規模となる日本有数の規模にまで発展している。この大学の特色は、海洋学部など日本にはあまりない学部・学科が多いことだ。また松前自身が、「現代文明論」という科目で数千人の学生に講義をしていたそうである。これだけの大学を一代で築き上げたことは快挙以外のなにものでもない。若き日に内村鑑三を通じグルントウィッヒに触発を受け、教育を志し、それを全うした人生に頭が下がる。
(*)嘉納 治五郎(かのう じごろう、1860年12月9日(万延元年10月28日) - 1938年(昭和13年)5月4日)は、日本の柔道家、教育者である。講道館柔道の創始者であり柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた。「柔道の父」と呼ばれ、また「日本の体育の父」とも呼ばれる。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121024

<本の紹介>
・跡無き工夫 削ぎ落とした生き方 (角川oneテーマ21) http://d.hatena.ne.jp/asin/4047102040
  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047102040/hatena-ud-22/ref=nosim
・不東庵日常http://d.hatena.ne.jp/asin/4093875073