今朝は雨模様。

◆今朝は台風の影響で雨模様。先週に続き、天気の悪い週末である。ごごから台風通過で、雨もやみ、うす腫れでしょうか。あまり、気温はあがらず。いよいよ冬が近づいているのでしょうか。

◆今朝早朝2時過ぎの地震。福島震度4.ところがM7.1の地震であった。東日本震災の余震らしい。太平洋プレートにあり、震度は小さいが、津波が大きい「津波地震」であり、「アフターライズ地震」であり、危険地震のようであり、進度が低いからといって、バカにできないz地震のようであり、かつての三陸沖でも発生したようである。

(10月26日生まれの偉人)
◆小村 壽太郎(こむら じゅたろう、安政2年9月16日(1855年10月26日) - 1911年(明治44年)11月26日)は、明治の外交官、政治家。外務大臣貴族院議員などを務めた。
司法省に入省し、大審院判事を経て外務省へ転出する。陸奥宗光に認められて清国代理公使を務めた。日清戦争の後、駐韓弁理公使や外務次官、駐米・駐露公使を歴任。1900年(明治33年)の義和団の乱では、講和会議全権として事後処理にあたった。1901年(明治34年)、第1次桂内閣の外務大臣に就任。1902年(明治35年)、日英同盟を積極的に主張して締結に持ち込む。その功により男爵を授けられる。日露戦争後の1905年(明治38年)、ポーツマス会議日本全権としてロシア側の全権ウィッテと交渉し、ポーツマス条約を調印。ただし、その後にアメリカの鉄道王・ハリマンが満洲における鉄道の共同経営を提案(桂・ハリマン協定)したのを首相や元老の反対を押し切って拒否した件については評価が分かれる。1908年(明治41年)成立の第2次桂内閣の外務大臣に再任する。幕末以来の不平等条約を解消するための条約改正の交渉を行う。1911年(明治44年)に日米通商航海条約を調印し関税自主権の回復を果たした。日露協約の締結や韓国併合にも関わり、一貫して日本の大陸政策を進めた。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121026