今週は忙しそう?精神不安。

◆寒さも本格化。今週はキャンペーンや挨拶で明日以降連日でかけることにないそうである。今日一日デスクワークに追われているが、どれだけ頑張れかが。あまり進捗せず。ついついこれからの自分のことを考えると、仕事はかどらず。これではまずい。明日から頑張って行こう。
 明日は大分寒そうである。まsない冬本番か?体調には気をつけたいものである。あすの関東地方 12月上旬〜下旬並みの寒さに。関東地方は冬型の気圧配置になって北寄りの風が強まり、山沿いでは雪が降った。東京都心では午後3時前に17.9メートルの最大瞬間風速が観測され、気象庁木枯らし1号が吹いたと発表した。浅間山では初冠雪を観測した。明日の最低気温は水戸市で0度、宇都宮市で1度、前橋市で2度、都心で6度となっている。都心で最低気温が10度を下回るのはこの秋初めてで、12月上旬から下旬並みの寒さになる見込みである。

◆『新戦略 “日本式”生活習慣を輸出せよ』(2013年11月11日放送 19:30 - 19:56 NHK総合クローズアップ現代」より
 日本の質の高い生活習慣が日本を代表する輸出品になりつつある。中国では、きれいなお湯につかることのできるスーパー銭湯が人気。また、チベットでは集団検診が始まっていて、日本製の検査機器を満載した検診車が新たなビジネスの可能性を切り開いている。ほかにも、ベトナムの小学校では日本の食品メーカーが独自のレシピを元に給食の栄養改善をスタート。食品メーカーの現地法人社長は子どもたちが大人になった時に自社の製品を買ってくれる可能性が高くなるとコメント。少子高齢化で国内の史上の縮小が予想される中、どのようにしたら継続的に利益が上がるビジネスを生み出すことが出来るのか。日本人にとっては当たり前の、安全、清潔、便利という生活習慣に関心を向け始めた、中国や東南アジアなど新興国市場に輸出しようとする動きが活発になっている。中国の上海に日本式のスーパー銭湯がオープンし、週末には沢山の家族連れで賑わい、レジャー施設の中でナンバー1の評判を得ている。入場料は2000円と日本の2倍以上の値段だ。人気の理由はきれいな湯船にゆったりつかれること。日本式の厳しい衛生管理システムのノウハウも導入されている。利用客はリラックスするにはいい場所だとコメント。極楽湯碧雲温泉館の椎名晴信館長は、家族で利用してもらえる環境を提供し、習慣化させたいとコメント。中国チベット自治区では、日本の病院が設計開発した検診車鍵となる健康診断のビジネスが行われている。車内には日本製の様々な検査機器が取り付けられている。受診した人は時間が節約できてとても便利だとコメント。チベット卓康国際健康診断センターの王オーナーは日本の30年以上の経験を買ったと述べた。この検診ビジネスの日本側のパートナーは香川県丸亀市にある麻田総合病院。チベットでの検査データは日本の総合病院に送られ詳しく分析。ここで、画像診断料が中国から支払われ、データは蓄積し今後の健康指導に役立てられるサービスで、コンサルティング料が継続的に入る契約だ。麻田総合病院の放射線科の三谷政彦部長は、全てまとめて一緒にやり、サポートする形態だとコメント。また、麻田ヒデミ理事長は、私達の概念は健康診断をするところならどこでも役に立つと述べた。産学連携推進機構の理事長、妹尾堅一郎チベットでの日本の検診車について、非常に新しく、日本にとって極めて重要な輸出モデルだとし、日本が今まで培ってきたサービスのホスピタリティと、サービスの品質管理が新興国の中間所得者に上手くフィットしたとコメント。また、上海のスーパー銭湯については、サービスを提供する側で、データやノウハウが蓄積して分析することが重要だとした。また、サービスはビジネスモデルが勝負だと述べた。
 ベトナムホーチミンに、日本の大手給食サービス会社が新しい社員食堂をつくり、味が良いと評判になっている。社員食堂に、日本式導入後の食事は、おかずの種類が増え、栄養のバランスも抜群だ。また、厳しい衛生管理もカギとなっている。従業員は日本式の社員食堂は品質と安全性を最優先してくれるから安心だとコメント。ギャラクシー・シダックスの顧客サービス部の延井悠副部長は、衛生面でのチェックを厳しくしてもらうとコメント。新規の取引先には栄養バランスのたいせつさを理解してもらうことにも苦労があるという。ギャラクシー・シダックス営業部の木内啓介部長は、ベトナムの工場担当者に対し、十分な栄養が取れない食事は従業員にとって大変良くないことだと説明し、改良していきたいと述べた。栄養のバランスという概念が根付いていないベトナムでは、豊になるに連れ生活習慣病の増加が問題となっている。その解決の手助けに大きなビジネスチャンスを見出した日本企業は、小学校を舞台に子どもの頃から食生活を改善する取組を始めている。企業は日本の食育を参考にした給食のレシピをつくり、ホーチミン市内全ての小学校に無償で配布。子どもの食習慣の改善に貢献するだけでなく、メーカーの製品の味に慣れ親しんでもらおうという狙いもあるという。ベトナム味の素の本橋弘浩社長は、日本料理のエッセンスが外国の料理のエッセンスにもはいっていて、子どもたちの味覚のインターナショナル促進につながれば大きなビジネスチャンスになるとコメント。
 メーカーの戦略は、将来国の政策を担うエリート教育の場にもおよんでいる。ハノイ医科大学に国内初の栄養学部が開設。設立にあたって、このメーカーは日本の研究者らとともに、様々な支援を行なっている。ベトナム保健省のレ・クァン・クォン副大差は、国民の健康を向上させる栄養学の取組を高く評価するとコメント。メーカーでは成績優秀者10名の学費を毎年負担する予定。こうして、国民全体の栄養意識を高め、新たな食の市場をつくりだしたいと考えているという。ベトナム味の素の橋弘治は、自分たちが勝ち取りたいのはイメージではなく本当に貢献できていることだと述べた。産学連携推進機構の理事長、妹尾堅一郎は給食はサービスインフラだとし、日本に培ったノウハウが、現地の方々に役立つということは大変いいことだとコメント。また、文化輸出は摩擦が起こりやすいため、現地の人々に受け入れてもらえるように考え、発見していくことが極めて重要だとした。 また、文化の輸出は日本が日本という国を見直すチャンスにもなるとコメントした。

◆『ニッポン式販売戦術 世界へ!』(2013年11月11日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京「日経スペシャル 未来世紀ジパング 〜沸騰現場の経済学〜 」より)
 インドネシアの首都ジャカルタのカリスマ販売員レディーチチさんを取材。彼女が行なっているのは訪問販売で、売っていたのはヤクルトだった。ヤクルトレディーの彼女は軽快な会話で次々とヤクルトを販売し、通りでバッタリ出会った人にからも注文を受けて、自宅までヤクルトを配達した。ヤクルトレディーをはじめてチチさんの生活も一変し、夫の倍の収入を得るようになり、家にはDVDプレーヤーや東芝製の大型冷蔵庫、夫にはバイクをプレゼントし、子供を学校に異化せられるようになり、上の子供はスイスの4つ星ホテルに就職していた。このようにインドネシアでは、日本のヤクルトレディの販売方式がそのまま通用していた。ニッポン式の販売方式に商機があるが、そこには大きな壁が…。ビール激区のベトナムでも日本のサッポロビールが本格進出し、日本式の気遣いで客を虜にしていた。
 インドネシアジャカルタのヤクルトレディたちを取材。彼女たちの拠点となるのはヤクルトポンドックグデセンターで、昼礼のために集まっていた。そこには名前の横にそれぞれの目標が書かれたホワイトボードが設置。ヤクルトレディたちの収入は、現地の人々の最低賃金に比べて多く、それぞれが様々な夢を抱えて働いていた。日本でのヤクルトレディの誕生は1963年で、まだ知られていない乳酸菌の効能を伝えながらの販売だったが、インドネシアのヤクルトレディたちはそれと同じ役割を担っていた。インドネシアのヤクルト販売の新規開拓の現場に密着すると、いきなり商品は出さずに、腸内細菌の話から初めて、乳酸菌やヤクルトの効果を分かってもらえるように丁寧に相談して、最後にヤクルトの話を持ち出す方法をとっていた。遠回りにも思えるが、この販売方法のおかげで、インドネシアでヤクルトは1日に約300万本の売上げを誇っている。沸騰ナビゲーターは日経ビジネス発行人の高柳正盛氏。ヤクルトレディは誕生から50年経つが、ヤクルトの販売のうち6割近くがヤクルトレディを介した販売である事や、ヤクルトは33の国と地域で販売されていること、1日約2100万本が販売されている事などを説明。ただヤクルトレディが活動しているのは12の国と地域で、日本のヤクルトレディよりも、海外のヤクルトレディの数の方が多くなっている。「ニッポン式遠回り」をキーワードにジャカルタでのヤクルトの販売戦略に迫る。長谷川麻弥さんはジャカルタの住宅街を歩き、ヤクルトレディのスカウトをするのが業務だった。インドネシアではヤクルトレディを求人広告では集めず、一軒一軒巡ってスカウトする方式をとっていた。インドネシアでのヤクルトレディの条件は23〜38歳の主婦で、3歳以上の子供がいること。しかしインドネシアは約90%がイスラム教徒で、女性は家の仕事をすべきとの考えが根強く残っているのも現実で、ヤクルトレディになってもらうのには家族の了解が必要だった。ある日長谷川さんはとある家庭に、5回目の説得に訪れたが、そこにいたのは昔かたぎのイスラームの男だった。インドネシアジャカルタでのヤクルトレディスカウトの現場に密着。長谷川麻弥さんが5回目の説得に訪れた。スカウトしたい人材はデヴィさんという、2年前離婚して収入の無い8歳の娘を抱える女性。子供を学校に通わせるためにもヤクルトレディになりたいと本人は希望していたが、昔かたぎのイスラーム男である父親のリリさんは、それを許そうとしなかった。今回も熱心に説得した結果、父親はそれを許し、晴れてデヴィさんはヤクルトレディとなった。一見遠回りに見える人材確保だが、長谷川さんは家族の協力と理解を取り付けるこの方法が、重要なのだと語った。インドネシアでの女性の就労に関して、イレスさんはイスラム教の教えの中に「夫の話を聞かない妻は天国にいけない」との言葉があり、女性が働く場合は夫や父親の許可が必要な事などをかたった。ニッポン式の遠回りで成功した企業に、本日の沸騰ナビゲーター日経ビジネス発行人の高柳正盛氏はポカリスエットを挙げた。国民の9割がイスラム教徒のインドネシアではラマダンが毎年あるが、ラマダン明けにポカリスエット大塚製薬の社員が持ってタダで配布し、美味しさを覚えてもらう…との販売戦略をとり、「ラマダン明けはポカリ」とのイメージを構築して大成功していた。
 国内のビールの消費量は1994年度の705万リットルをピークに2011年度は269リットルと逓減状態。そんなビール業界の東南アジアでの販売戦略にみた。夜に賑わうのがベトナム名物の屋台。この屋台を舞台に繰り広げられているのがビールの販売競争。セクシーな格好をした女性たちがアメリカのバドワイザーやフィリピンのサンミゲル、タイのシンハービールに、地元ベトナムのサゴタビールなどを販売していた。彼女たちはメーカーから送り込まれたプロモーションガールで、販売した分だけ歩合をもらえるため、夜毎販売合戦がくり広げられていた。ベトナムのビールの消費量は中国・日本に次ぐ第3位で年率10%の割合で急成長していた。ちなみに氷を入れて飲むのがベトナム流で、サイゴンビールやハイネケンが人気だった。アジア第3位のビール消費国ベトナムに進出した、サッポロビールを取材。2011年に日本のビールメーカーとして初めてベトナムに工場を建設し、ベトナムを足がかりに東南アジア全域にサッポロビールを広げようとしていた。その武器となるのがサッポロプレミアムビールだった。サッポロ・ベトナムの岸裕文社長は、自分たちは挑戦者で最終的にはベトナム全土でハイネケンと戦える会社になりたいとの展望を持っていた。サッポロ・ベトナムの営業責任者・塩見俊介さんがとったのは、女性の販売員を置く現地流の方式。しかし女性たちはかなり強引にお客さんに迫り、カートにビールを箱ごと突っ込むような売込みを見せて、これには塩見さんも驚いた様子で、決して強引に交わせてはいけないなどと注意を与えた。アジア第3位のビール消費国ベトナムに本格進出したサッポロビールの販売戦略にみた。現地で販売を行なうプロモーションガールがサッポロ・ベトナムに集められ、日本式の研修が行なわれた。それは「無理強いはしない」「豊富な商品知識」「客の立場に立つ」といったものだった。さらに別の部屋では日本式のナチュラルメークの方法も教えられていた。遠回りだが、このような方法でライバルとの差別化を図っていた。研修から数日後、ベトナムでいま人気のレストランをのぞくと、そこにはサッポロのプロモーションガールの姿があった。店で人気なのはやはりハイネケンだったが、サッポロガールたちは、他社のビールであってもグラスが空くとビールをつぎ、氷がなくなったグラスには氷を入れるなどの細やかな気遣いをみせ、グラスが空いたとろでタイミングよく自社製品を勧め、テーブル全体が購入してくれ、いつの間にか店内のビールはサッポロだらけになっていた。サッポロの営業責任者の塩見さんはシーフードレストラン「クラブポット」を訪れ、店に生ビールを納入。この生ビールこそが、ベトナム進出の切り札だった。東南アジアでは缶や瓶が主流だったが、サッポロはベトナムに工場を作ったことで品質のいい生ビールを供給する事が可能となっていた。ただ生ビールの売り込みはサーバーの設置だけでなく、ビールをおいしくつぐことやサーバーの正しい管理方法を覚えてもらうのが重要だった。沸騰ナビゲーター日経ビジネス発行人の高柳正盛氏は、後発なので同じような販売方法では飲んでもらえないので、プロモーションガールに高い商品知識や気配りをおしえ、さらに社員にもなれるというステップアップを用意して、販売戦略を行なっている事を補足説明。本日の沸騰ナビゲーター高柳正盛氏は「アジアでロングセラーが続々」との未来予測を示した。さらに「今だけ!本物だけ!あなただけ!」との考えで展開していくのが、重要なポイントであるとした。

(今日の出来事)
・“冬将軍”やってきた!関東にも雪。札幌市郊外の定山渓温泉は一晩で雪景色に。青森酸ヶ湯ではきょう午前中には積雪10センチとなった。まだ雪が降り始めていない福島などでも冬の準備として、冬用タイヤへの交換作業予約がいっぱいとなったそうである。群馬谷川岳では初雪が観測された。

(11月11日生まれの偉人)
◆鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。1949年に文化勲章日本学士院会員。名の「大拙」は居士号である。同郷の西田幾多郎http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130617)、藤岡作太郎http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130815)とは石川県立専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。また、金沢時代の旧友である安宅産業の安宅弥吉(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130425)は「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束し、大拙を経済的に支援した。
 鈴木大拙館 http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/
       http://d.hatena.ne.jp/kubohashi/20121230/p1 「加賀で哲学を齧ってきた。<鈴木大拙館編>」

<本の紹介>
・新編 東洋的な見方 (岩波文庫)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003332326/hatena-ud-22/ref=nosim
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<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121111