今日で通算581日目

◆今日も午前中販促キャンペーン、午後から表彰式列席。昨日に続き、二日連続である。

(今日の出来事)
・新しいアメリカ大使として15日に日本に着任するキャロライン・ケネディ氏は12日、アメリカ・ワシントンの日本大使公邸で開かれた壮行会に出席し、「日本の文化学びたい」などと抱負を話した。

(11月13日生まれの偉人)
◆布施 辰治(ふせ たつじ、1880年明治13年)11月13日 - 1953年(昭和28年)9月13日)は、宮城県出身の弁護士・社会運動家である。日本人として唯一の大韓民国建国勲章受章者として知られる。
 ・「弁護士・布施辰治の生涯 」ほか所蔵資料 明治大学図書館http://www.lib.meiji.ac.jp/about/exhibition/gallery/08/pamphlet08A.html
◆岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(第56・57代)、皇學館大学総長(第2代)などを歴任した。東條内閣の大東亜戦争開戦時の閣僚であったことから極東国際軍事裁判ではA級戦犯被疑者として3年半拘留、不起訴となり公職追放公職追放解除後に政界に復帰すると弟も属する吉田自由党に入党するが、吉田茂http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130922)と対立し日本民主党の結党に加わり、保守合同自由民主党が結党されると幹事長となった。石橋内閣にて外務大臣に就任。首班である石橋湛山http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130925)の病気により石橋内閣が総辞職すると、後任の内閣総理大臣に指名され、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約の成立に尽力した。首相を退任してからも影響力を行使し、「昭和の妖怪」とも呼ばれつつも、自主憲法制定運動に務め続けた。正力松太郎http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130411)などとともに中央情報局(CIA)から資金提供を受けていたとされる。2007年に米国務省が日本を反共の砦とするべく岸信介内閣、池田勇人(*)内閣および旧社会党右派を通じ、秘密資金を提供し秘密工作を行い日本政界に対し内政干渉していたことを公式に認めている。第61 - 63代内閣総理大臣佐藤栄作http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130327)は実弟、第90・第96代内閣総理大臣安倍晋三は外孫である。
(*)池田 勇人(いけだ はやと、1899年(明治32年)12月3日 - 1965年(昭和40年)8月13日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員(7期)、大蔵大臣(第55・61・62代)、通商産業大臣(第2・7・19代)、経済審議庁長官(第3代)、自由党政調会長・幹事長、内閣総理大臣(第58・59・60代)などを歴任した。第3次吉田内閣の蔵相となり,ドッジ-ラインによる財政の均衡につとめた。27年通産相となるが失言問題で辞任。35〜39年首相をつとめ,高度経済成長政策や所得倍増計画を推進した。
 <本の紹介>
・昭和の妖怪 岸信介(中公文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/412205723X/hisatunenet-22
                http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/412205723X/hisatunenet-22/ref=nosim
  「政治の金は濾過器を通せ」「満州は私の作品」。伝説的政治家岸信介とは何者か。満州日米安保。戦前戦後の結節を巧みに乗り越えた妖人政治家の 位相。 岩見は「岸は妖怪的 ではなく妖怪と言い切っていいだろう」と改めて述べている。国歌の運命を委ねられた最高指導者の考え方と行動が明らか にされている。「内閣というものは、時期が長いのが偉いん じゃなしに、何をしたかということが問題であってね。」とも述べている。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121113