「食品偽装表示、お客さま第一より企業の収益優先。底なし」

◆有名ホテルや百貨店、そしてレストラン、日本酒までの食品の偽装表示の問題が、次々と明らかになっています。その際の各社の対応を見ていると、「言い訳」に終始しているように見えた部分も少なくありません。表面的には謝罪していますが、それが心からお客さまに対して申し訳ないという気持ちで出ていたのかは疑問です。電鉄系のホテルが結構問題になりましたが、彼らはお客さまに謝罪しているというよりは、自社の信用を失ったことが親会社である電鉄に対して申し訳ない、そして、その親会社に対して言い訳をしているように思えて仕方ありません。辞職を即座に表明したホテルチェーンの社長もいましたが、原因究明や対応策を取ることもなく、親会社への「飛び火」を早急に食い止めるためにそそくさと辞めたようにも勘繰れました。「食材虚偽表示、底なし」 ホテルを使っているお客さまにも多大な迷惑がかかり、また、まじめに自社のブランドを守るべく働いている従業員さんにも大きな迷惑がかかっていた。この現実を頭を下げた経営者はどうりかいしているのであろうか。誤ってと言う次元の問題ではない。糸的な偽装工作にほかならない。まさに、われわれ、消費者をバカにしている結果としかとれない。この原因はどこにあるのでしょうか。私は、やはり根本的には、仕事に対する「使命感」や仕事を通じてお客さまや社会に貢献しようという気持ちが足りなかい。仕事は単なる金儲けとなってしまい、内部思考が強い組織で、お客さまは単に自分たちが食べていくための道具くらいにしか思っていなかった。お客さまを大切にする気持ちがないというと言いすぎだろうか。何が、「お客様第一か。」彼らが失った最大のものは「信用」や「信頼」です。元々、名前のあった会社に勤めている人たちには、その会社の名前やブランドの有難さがわかっていない。仕事とは何か、信用とは何かということをもう一度考えさせられる事件である。これで終わりでない。これkらも続くのであろう。またこれから発覚されれば、日本の食品の安全・安心神話が崩れ去った。中国を批判している場合ではない。いままさに、日本の食文化が問われ。食する我々国民が問われている。何が正しいのかがわからない。今回の影響で伊勢海老の値段が2割上がって取引されている。間もなく、正月を迎える。より一層、価格高騰を招くことになろう。安いことの競争の結果でもあり、警鐘を鳴らされているのかもしれない。国民が自ら反省することもあるが、それ以上に企業のコンプライアンスが問われており、経営者は知らなかったではすむ問題ではない。陳謝すれば済む問題ではない。組織的な偽装であると言わざる得ない。お客様第一とは何なのうだろうか。客にとって何が良いのか、もう一度目線を変えていく必要があろう。

<11月18日生まれの偉人>
◆山田 顕義(やまだ あきよし、天保15年10月9日(1844年11月18日) - 明治25年(1892年)11月11日)は、日本の江戸時代末期(幕末)の武士(長州藩士)、明治時代の政治家、陸軍軍人。陸軍中将。吉田松陰http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130920)門下のひとり。江戸幕府の長州征討では高杉晋作http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130927)の下で「丙寅丸」の砲隊長として幕艦を撃破,戊辰戦争では東征大総督参謀として,越後,東北,箱館と奮戦,小ナポレオンと称されるほどの用兵家。明治2(1869)年大村益次郎http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130530)の下で兵部大丞を務め,大村の死後は,遺志を継承して兵制確立に力を注いだ。4年に陸軍少将,岩倉遣外使節団の一員としてヨーロッパを視察。帰国後,清国駐在全権公使に任命されたことに不満で,赴任せず,折しも佐賀の乱(1874)が勃発し,その鎮圧に当たった。同じ長州出身の山県有朋http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130614)とは相容れず,山県の進める徴兵制に反対し,下士官養成を先にすべきという漸進論を主張,7年台湾出兵閣議決定にも反対を唱えた。西南戦争(1877)の際は,別働第2旅団司令長官として活躍。11年陸軍中将に進んだ。この間7〜12年司法大輔。12年参議に就任,内務,工部,司法卿を歴任。第1次伊藤博文http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131016)内閣から24年まで司法大臣を務めた。 22年大隈重信http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130311)外相の条約改正案に「大審院に外国人判事を任用する」という譲歩的事項が含まれていたことが「憲法違反」として世論の攻撃にさらされると,窮余の策として帰化法の制定を閣議に提案,外国人判事の採用を可能にしようとした。20年からは法律取調委員長を務め「法典伯」の異名をとるほどの熱意で法典整備に尽力。民法はフランス人ボアソナード,商法はドイツ人レースラーの原案起草を得てともに23年の公布にこぎつけた。しかし,フランスに範をとる民法が日本の国情に合わないとの議論がやがて起こり(法典論争),山田は早期施行を主張したが,結局両法とも施行されなかった。また神道の擁護と教育方面にも熱意を示し,22年皇典講究所所長に就任し,日本法律学校(日本大学の前身),国学院(後の國學院大學)を創設しており、とりわけ日本大学は彼を学祖としている。
◆古賀 政男(こが まさお、1904年11月18日 - 1978年7月25日)は、昭和期の代表的作曲家であり、ギタリスト。国民栄誉賞受賞者。明治大学卒。本名、古賀正夫。少年時代に弦楽器に目覚め、青年期はマンドリン・ギターのクラシック音楽を研鑽。大正琴を愛した。プレクトラム楽家・「古賀正男」から流行歌王・「古賀政男」になり、国民的な作曲家としての地位を確立。《酒は涙か溜息か》《影を慕いて》《人生劇場》《湯の町エレジー》《悲しい酒》など広く愛唱される〈古賀メロディ〉の数々を残した。中山晋平http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130322)に代表される大正期には,唱歌調,新民謡調を脱しきれなかった日本の大衆歌謡が,古賀メロディの時代を迎えて初めて歌謡曲として確立されたと言える。 多くの流行歌をヒットさせた。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)首席卒業のクラシックの正統派藤山一郎http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130408)から、歌謡界の女王・美空ひばりhttp://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130529)まで、その作品は5000曲とも言われている。
古賀政男音楽博物館 http://www.koga.or.jp/
古賀政男記念館 http://www.city.okawa.fukuoka.jp/kogakinen/

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121118