西尾久美子准教授が語る「舞妓さん育成に学ぶ 〜シビアな相互チェックと明快な評価制度の下での人材育成〜」について。

京都女子大学 現代社会学部 現代社会学科 西尾久美子(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E4%B9%85%E7%BE%8E%E5%AD%90)准教授は京都反街に関し経営学の観点から研究(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130719/p1)されている。西尾久美子准教授が語る「舞妓さん育成に学ぶ」人材育成論。(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130605/p1)「人を育てる」 http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130909/p1 「一流の育て方」(http://toyokeizai.net/articles/-/11786
① 京都の花街の現状について
 「花街」(はなまち/かがい)というのは、芸妓さんや舞妓さんが住んでいて、彼女たちと遊べる店がある街のことを指します。京都にはこのような「花街」が5つあって、「五花街」(ごかがい)と呼ばれています。そのうち4つの花街は徒歩20分以内、遠いところでも車で20分程度という狭い範囲にあります。それでも、それぞれが独自の特徴を維持して、上手に共存しています。この「五花街」には、昭和の初め頃、芸妓さん・舞妓さんが1800人ほどいたと言われています。しかし、戦後から急激に減少をし、2010年時点では、芸妓さんが200人程度、舞妓さんが90人程度といった規模になっています。ただし、90年代半ばくらいから芸妓さんの人数は横ばい、舞妓さんの人数は30年ほど前から増傾向になっているのが特徴です。この数字と傾向を、東京・大阪の花街と比較してみましょう。昭和初期には、東京で7500人、大阪で5300人いたといわれる芸者さん(東京などではこの呼称が一般的)は、現在それぞれ3百人、20人程度に減少。しかもその傾向が上向く兆しは見えていません。それぞれの人口や経済規模を考えると、その存在感が著しく減退していると言わざるをえないでしょう。こうして見ると、京都の「五花街」が業界として上手に生き残っているのがわかります。では、なぜ、経済の中心でも政治の中心でもない京都の花街が生き残ることができたのか。経営・人事という側面からお話したいと思います。
 ・分業化による「品質維持」のメカニズム
 花街では、長い間、お客様の好みや、その時々のニーズに応じたものを柔軟に揃えられるように、独立した専門家たちが共同してサービスを提供するという形がとられてきました。このやり方は、江戸時代くらいまでは全国の花街で共通だったようです。しかし、東京では、時が経つにつれて、料亭が、場所の提供から料理、芸妓(芸者)まで、すべてを自前で抱えるようになりました。大阪では、大規模な料亭が芸妓育成の学校を併設したりしました。けれども、その流れに京都は乗らなかった。実はこのことが、現在の明暗を分けていると考えています。
② なぜ京都は昔ながらのやり方を手放さなかったのか
 京都は、明治維新までは文化の中心でした。しかし維新で皇室が東京に移ってしまったため、経済・政治の中心でないだけでなく、文化の中心でもなくなってしまいました。つまり、放っておいてもお客さんが来てくれるという環境ではなくなったわけです。そこで改めて「分業化」による品質の維持ということを強烈に意識したのではないかと思っています。すべてを内製化してしまうと、質の競争がなくなってしまいますから。
 現在、京都の花街の構造は、サービスの提供側という括りでみると、四つのグループに分けて考えることができます。「お茶屋さん」「置屋さん」「料理屋」「しつらえ提供業者」です。これらを、ビジネス的な言葉で説明すると、
 「お茶屋さん」 → イベントコーディネート・プロデュース会社
 「置屋さん」 → 育成機能をもった「人事部」アウトソーシング会社、タレント・プロダクション。
 「料理屋」 →  ケータリング会社
 「しつらえ提供業者」  → インテリアコーディネイト会社
 といったところでしょうか。それぞれは完全に独立して商売を営んでいます。その中で、プロデューサー・コーディネーターである「お茶屋さん」が、顧客のニーズや好みに合わせた組合せを考え、ひとつのお座敷をコーディネートしていくのです。
 ちなみに、京都の花街というと、「一見さんお断り」が有名ですよね。このことが京都の花街は敷居が高い、というイメージにつながっているのではないでしょうか。しかし、サービス提供の構造を理解すると、これは非常に合理的な仕組みだということがわかります。「お茶屋さん」が、お客様に満足していただくお座敷をプロデュースするためには、そのお客様のことをよく知っている必要があります。しかし、「一見さん」に対しては、どういうお座敷を用意したら良いかが、まったくわからない。相手のニーズがわからないままにいい加減なサービスを提供したら、自分たちの評判が下がってしまいます。そのリスクを回避するために、あらかじめ好みを把握できるお客様=一見ではないお客様、にサービスを限定しているわけです。
 さて、「お茶屋さん」が繁盛するかどうかは、お客様が提供されたサービスにどれだけ満足したか、にかかってきます。ですから、「お茶屋さん」は、各専門家から提供されるサービスの品質にはとても敏感です。「置屋さん」「料理屋」「しつらえ提供業者」は、常にそうした厳しいチェックの目に晒されていますから、自分たちの専門分野で質の高いサービスを常に提供し続けるために、努力を怠るこはできません。
― その中で、価格競争、というものもあるか ―
 「お茶屋さん」の要求に、「単なる安さ」という要素は入りません。要求されるのは、「いつものもんを、いつものように持ってきてほしい」ということです。ただこの「いつものもん」というのは、いつも同じように規格通りのものを持ってこい、ということではありません。季節に合わせて味を変えるなど工夫をして、「いつもお客さんが喜んでくれはるように」という意味なのです。それをきちっと考えて実行する、専門家としての高度な質を求めているのです。
 ただし、一方的に「お茶屋さん」が強いというわけではありあません。逆に、あるお茶屋さんのお座敷のコディネートの質が下がっていると関連事業者が感じたら、皆、そこからくる仕事の依頼を、第一優先として自分たちの経営資源を振り向けなくなります。このように、いい意味での相互チェック、相互評価が機能し、花街全体のサービスの質が保たれていきます。それぞれの専門家が独立していることの価値はここにあると思っています。厳しい相互チェックの中でいかに若手を育てていくのか。
 では、こうした世界の中で、「置屋さん」=人事部機能がどのように機能しているのか、お話していきましょう。
 まず、京都の花街の世界が、全体として相互評価の上に成り立っているということはご理解いただけたと思います。先ほど申し上げたように、相互チェック・相互評価というのは非常にシビアな世界。その中で新人を育成していくためにうまく役立っているのが、「舞妓さん」という仕組みなのです。
 まずは、舞妓さんから芸妓さんになるまでのステップは、
 1. 仕込みさん
 舞妓さんとしてデビューするまでの約1年間の修業期間のこと。舞妓さん候補は、中学卒業後、身のまわりの簡単な手荷物だけで置屋さんでの住み込み生活を始めます。この期間に舞妓さんとしての基本的な行動規範や伝統的な芸事のスキルを身につけます。服装は普段着、お化粧もしません。
 2. 見習いさん
 舞妓さんとしてデビューする日が決まると、研修をさせてくれる「見習い置屋」に毎日通い、お座敷を見学させてもらいます。その期間約1カ月。髪は地毛で日本髪を結い、着物は舞妓さんとほぼ同じものを着ますが、帯の長さなどで、はっきりと「見習いさん」であることがわかるようになっています。
 3. 舞妓さん
 見習い期間を終えると、正式に舞妓さんとしてデビューします。ここから約4,5年、OffJT(芸妓さん、舞妓さんのための学校があります)、OJTの組合せでスキルアップをしていきます。着物は振りそで、帯は「だらり」と呼ばれるもの、髪には花かんざしをつけ、履物は「おぼこ」。ただし、経験年数に合わせて、着物、かんざし、化粧などがだんだんと、大人びた雰囲気のものに変わっていきます。
 4. 衿替えをして芸妓さんに
 舞妓さんになってから4、5年目、20歳前後で芸妓さんになります。芸妓さんになるとかつらを使うようになり、花かんざしもさしません。また、着物も振袖から短い袂のものに、帯もお太鼓、履物も草履や下駄になり、大人としての美しさを表現する装束になります。
 5. 自前さん芸妓さん
 通算約5〜6年の年季期間があけると、「自前さん」と呼ばれる、言ってみればインディペンデントコントラクターの芸妓となります。置屋での住み込み生活を終え、自分で生計を立てていくのです。その後、立方と呼ばれる日本舞踊専門の芸妓になるのか、地方と言われる三味線や唄の専門の芸妓になるのかを選択することになります。もしくは、芸妓をしながら自分の店を兼業したり、置屋お茶屋になっていく人もいます。いずれにしても、自分の得意分野を知って、キャリア選択をすることになります。
 こうした舞妓−芸妓のステップアップがある中で、まず服装や身だしなみで、今彼女たちがどのような段階にいるのかが明確にわかるような仕組みになっているのです。例えば、下唇にしか紅を差していない舞妓さんの写真を見たことがありませんか?あれは、1年目の舞妓さん。誰にでもわかる「初心者マーク」が付いているのです。しかもそれは、15歳なら15歳なりの美しさやかわいさが引き立つように工夫されています。そこで、相互評価の時にも、その時点で求められるものに対してどうか、という評価がしてもらえるようになっているわけです。
③芸妓さん、舞妓さんの教育とは ―景気や個別の事情に左右されない教育システム
 京都の5つの花街すべてが、それぞれに芸舞妓の教育機関を持っています。5つのうち2つは学校法人です。これらの学校は、組合費や、花街全体で行ったイベントの収益を使って運営されています。つまり、景気変動などの要素で教育費が削られないように、また、個別の事情で一部の芸舞妓が教育を受けられないということがないように、常に一定の財源を確保できる仕組みができているのです。人材の質を高く保つための仕組みですね。こうした仕組みは、明治時代の初期からあって、講義の内容は変化しながらも、今も綿々と続いています。
 また、舞妓さんは置屋さんで暮らすことになっています。これは、まだまだ未熟な時代に、売り上げが上がらなければ明日のご飯に困る、といったひっ迫した状況に追い込まれることがないように考慮された仕組みです。若いときには、じっくりと稽古に励んで、いろいろなことを学ぶことができる環境を整えていると言えるでしょう。
 学校では、まず、日本舞踊を教えます。また、日本舞踊のリズムを体得させるために邦楽の楽器や唄も教えるようになったと聞いています。昔は普通の生活の中に邦楽のリズムがあったので、舞踊だけを教えても上達が早かったそうです。しかし、今は洋楽のリズムが溢れているため、感覚として邦楽リズムが身についていない。そこで、楽器や唄を一緒に教えるのだそうです。すると踊りの上達が早くなるとか。そうした時代の変化には敏感に対応しているのがわかりますね。
 そして、立ち居振る舞いの基礎として茶道も学びます。
 このように説明すると、学校は舞妓さんが基礎を学ぶところ、と思われてしまうかもしれませんが、花街で芸舞妓として仕事をする限り、全員がこの学校に通います。花街を去るまでずっと、です。芸の世界には終わりがなく、常に芸を磨く必要がある、という信念のあらわれでしょう。
 学校は、日本舞踊や邦楽、茶道などの具体的な技術を身につけるところではあるのですが、同時に一般的な作法なども自然に学ぶ場にもなっています。新人の舞妓さんたちは、始業前に学校に行って、座布団を並べたり、お茶を用意したり、先輩が来る前にいろいろな準備をしておかなければなりません。その中で、日常のお作法を学んでいくのです。例えば、座布団の裏表の見分け方はご存知ですか?そういった些細だけれど、おもてなしに大切なことをひとつひとつ実践で学んでいくわけです。また、稽古の順番は経験年数順。つまり、若い舞妓さんが稽古をつけてもらえるのは最後の方です。ですから、自分よりも技術が上の先輩の稽古を沢山見ることになる。これも、非常に勉強になるといいます。
 まさに、一生教育の姿があり、最近の企業では、なかなか見られない教育方法、という感じがします。確かに、席がブースで囲まれたりしていて、先輩たちがどうやって顧客と接したり、トラブルに対応しているのか「見る」環境が少なくなっていることに危機感を感じている企業もあるのではないでしょうか。これらの学校での、「習うより、慣れろ」「見て覚える」ことが自然にできるの実践は、参考になるかもしれませんね。
 こうした学校があり、若手だけでなく、全員が通っているというのは意外であり、まさに、一生教育の実践です。花街毎に学校があり、芸舞妓全員が通っているメリットは、「共通言語」ができることです。それぞれの花街で教える流派は異なります。しかし、逆にいえば、同じ花街に属する芸舞妓さんは、学校を通じてすべて同じ流派を学んでいるということになります。すると、最初に言ったように、お茶屋さんがお客さんに一番よいサービスを提供するために、複数の置屋さんから芸舞妓さんを呼んだとしても、皆同じ学校で学んでいますから、短時間で打ち合わせをして踊りなどの出し物を決定できるわけです。
 また、そうした混合チームでお座敷を組んだとき、誰がリーダーになるかは非常に明確で、花街に入って一番経験の長い人が、どういう立場であってもそのお座敷でのリーダーになります。その下も、すべて経験年数で序列が決まる。ですから、もめることもなく、自分の役割が非常に明確にわかるようになっています。
 また、そのグループに新人がいたとしたら、彼女の面倒を誰がみるかも明確にルールが決まっています。まずは、「名前を分けたお姉さん」。もしその立場の人がいなければ、同じ置屋の人。そうした人がいない場合には、見習いに行っていたお茶屋さんが同じ人。責任の所在が非常に明確になっているわけです。
 京都の花街を調査してきて、東京や大阪の花街と一番違うと感じるのは、若い人を継続的に育てる仕組みが機能している点です。京都では、花街の将来を考えたら、質の高い若い人をボリュームゾーンとして持っておくことが重要で、それがなくなったら衰退するばかりだ、という、強烈な危機感を持っていると思います。ですから、そのためにはどうしたらいいかを、ものすごく考えているのです。
 一方、東京などでは、長年に渡って、馴染みの芸達者な芸妓(芸者)さんを呼んで、塀で仕切られた料亭の中で楽しめばいい、という一定層のお金持ちが、潤沢にいたのだと思います。ですから、若い人を育てて確保するという、先行投資にはあまり関心が払われなかったのかもしれません。しかし、バブルが崩壊して、そうした人たちが財布の紐を締めたら一気に打撃を受けてしまった。東京のほとんどの料亭は、すべてを自前で抱えるビジネスモデルを採用していましたから、設備投資の”つけ”が重くのし掛かってきたでしょう。また、若手の育成に力を入れてこなかったために、新しい顧客層を取り込むことにも苦労しているのだと思います。
 それに対して、分業制を守り、若手育成を地道に続けてきた京都の花街では、2年前のリーマン・ショックによる打撃も、あまりなかったと聞いています。
④芸舞妓さんの評価は。
 もし、自分が置屋さんの経営者、言ってみれば、人事部株式会社兼プロダクションの社長だとしたら、学校で習ってきたことを復習させて、しっかり身につけさせようと思いますよね。では、お茶屋さんのお母さんだったらどうか。自分のお座敷にきている舞妓さんがちゃんと仕事をしているかチェックしようと思いますよね。そして、お客さん。継続的にいらっしゃる方が多いですから、ちゃんと芸を磨いているか、手を抜いていないか、すぐにわかります。こうして、お座敷にかかわるすべてのプレーヤーが常に評価をする仕組みができているのです。そうした評価は、お茶屋さんから声がかかる、お客さんが呼んでくれる、従って売り上げが上がる、という明快な結果として表れます。実は、芸舞妓さんの「花代」は、同一労働同一賃金。デビューして1日目の舞妓さんも、芸歴50年の芸妓さんも、お座敷に呼ぶ時間当たりの単価は一緒なのです。こうして同一労働同一賃金が実現しているメリットのひとつは、評価基準が統一されるということでしょう。花代に見合った仕事をしたかどうか。お茶屋毎に異なった評価が行われるということがありませんから、評価する側にとっても、される側にとっても明確でわかりやすいですね。そして、一人ひとりの芸舞妓さんが貰った花代については、置屋さん、お茶屋さんそれぞれが、花街毎にある「見番」(花街の管理事務所のような機関)に届ける仕組みになっています。そこでつき合わせが行われて、一人一人の一年間の実績の順位が集計されます。その順位は、お正月に行われる、各花街の学校の始業式で発表になります。その花街にいる芸舞妓さん全員が、花代というひとつの基準で、ランク付けされています。この順位は一般には公表されることはないので、関係者の方から聞いた話ですが、長年経験を積んだ地方(じかた)の芸妓さんが上位に顔を出すことも多いとか。舞妓から芸妓になると、芸に対する周囲の目が非常に厳しくなります。しかも、インディペンデントコントラクターとして生き抜いていくためには、みんな必死に芸を磨いているはずです。 このように、明確なルールの下での評価システムが成立していることが、京都の芸舞妓さんたちの質を保っていると言えるでしょう。
インターンシップ制度とは。
 最近の舞妓さんの「採用」では、「インターンシップ」を取り入れています。夏休みに1週間とか2週間、実際の生活を体験してもらうのです。いったん置屋さんが決まってしまったら、後から「向こうの置屋さんの方が合うから変わりたい」ということは許されません。また、最近は個人主義的価値観が強いですから、昔ながらの人間関係にどうしても馴染めない若者も少なくありません。途中で辞められたときの置屋さんへのダメージは大きいですし、本人の人生を左右することでもあります。花街の生活を、イメージではなく実体験を通じて理解してからこの世界に入ってきてもらうための仕組みとして、活用されています。また、京都にくる修学旅行生たちが泊っている旅館に舞妓さんたちを派遣して、踊りの鑑賞の後、質疑応答を受けて、記念写真を撮るといったサービスも行われています。最初は抵抗もあったようですが、将来のお客様や舞妓さん希望者の裾野を広げることにもなるということでスタートしました。今では、修学旅行は観光のオフシーズンにやってくるので、ビジネスとしてのバランスもいい、ということで定着しているようです。伝統を守ると同時に、こうした新しい挑戦を続けているのも、京都花街の強みではないかと思っています。芸舞妓さんのキャリアも選択肢が広がっています。通常は、一生花街で芸妓として暮らすことを前提に、「自前さん芸妓さん」になって数年経ったところで、立方と呼ばれる日本舞踊専門になるのか、地方と言われる三味線や唄を専門にするのかを選択します。ただ、最近では、一生芸妓で通す以外の選択をする人も増えているようです。花街に残ってお茶屋置屋の経営者を目指す人もいますし、地元に帰って京風割烹を開いているような人もいます。いずれにしても、彼女たちはおもてなしの基礎がしっかりとできているから、応用力があるのです。「京都ブランド」ですね。それを支えているのが、教育制度であり、明快な評価制度であると言えるでしょう。
 *こうしてみると、外国に学ぶだけではなく、日本の伝統からも学ぶことができる。350年間伝統を守り続けることができている理由がいくつもあります。われわれが身を置いているビジネスの世界とは、一見まったく異なるようみえるが、実は経営や人材マネジメントへのヒントがたくさんあるようだ。身近にある日本の伝統からも学んでみることの重要性もある。

(今日の出来事)
・初の地方視察 被災地を訪問。アメリカのキャロライン・ケネディ駐日大使は始めての地方視察として先ず仙台市に訪れた。宮城県庁では村井知事と会談しアメリカ政府として引き続き被災地の支援に取り組んでいく考えを示した。ケネディ駐日大使は震災で最も多くの死者が出た石巻市を訪問。高台から被災地を一望できる公園で市長から当時の状況などについて説明を受けた。続いて、ケネディ大使は近くの小学校を訪れ小学校を訪れ子供たちと交流した。ケネディ大統領は書道の授業を見学、自らも筆を取り友という字をしたためた。この小学校は津波でなくなった英語指導助手のアメリカ人女性が教えていた学校。ケネディ大使は女性の両親が娘が好きだった本などを集めて寄贈した文庫の前で持参したアメリカの絵本を子供たちに読んで聞かせた。
・中国「防空識別圏」設定 岸田外相がケネディ大使と電話協議
・江戸っ子一号が偉業 世界初3D撮影。杉野行雄さんを中心とした、町工場などのグループが開発した深海探査機「江戸っ子一号」が3Dカメラを搭載した潜水実験を行い、深海魚などの撮影に成功した。
・猪瀬都知事“5000万円”提供問題 仲介人が証言“交渉の内幕”。徳洲会から猪瀬都知事が5000万円を借り入れた問題で、猪瀬都知事は「個人の借り入れで選挙資金ではない」と公言。資金提供を受けたのは去年11月中旬、猪瀬氏が徳田虎雄前理事長と面会し都知事選出馬の挨拶。この面会を仲介した人物が「選挙やその後の生活費などいろいろあるので1億円は必要」と言い徳田毅衆院議員が徳田虎雄前理事長に相談。徳田虎雄前理事長がお金を手渡すよう指示し資金は次女に用意させた。

(11月25日生まれの偉人)
◆米川 正夫(よねかわ まさお、1891年11月25日 - 1965年12月29日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。少年時代からロシア文学に親しみ、東京外国語学校ロシア語学科に在学中の1910(M43)に、級友の中村白葉らと雑誌「露西亜文学」を刊行し、ロシア文学を日本に紹介するための翻訳を本格的に始めた。 '12首席で卒業。鉄道省の採用試験に失敗し、しばらくフリーランスの翻訳家として活動後、三菱に入り長崎支店に勤務。 次いで旭川第七師団のロシア語教師として赴任し、'16(T5)第七師団を辞め帰京し、新潮社の依頼を受けて『カラマーゾフの兄弟』を翻訳。 '17大蔵省の嘱託としてペトログラードレニングラード)に駐在するも'18ロシア国内戦の十月革命に遭遇し帰国。 大蔵省退職後、横浜のロシア領事館の通訳を経て、シベリア購買組合の神戸支店に2年間勤務した。'22東京に戻り、陸軍大学でロシア語の教官を務める。
 教官時代にたまたま神田の神保町の古本屋でドストエフスキーの原書を手に入れると、その魅力に取りつかれてしまい、出版のことなど考える暇もなく、すぐに翻訳に着手した。 こうして、『白痴』『悪霊』などを翻訳し、'29(S4)中村白葉と『トルストイ全集』を共訳して刊行。 その後、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』やチェーホフの四大戯曲など、19世紀ロシア文学の主要作品から現代文学まで、膨大な量の翻訳を手がけた。 この間、'41ショーロホフ『静かなドン』の翻訳発表の可否について内務省検閲課に相談した事が問題視され、陸軍大学教授を「依願免官」という形で事実上の解雇とされた。 その一ヵ月後、以前自宅に下宿させていたミハエル・コーガン(後に貿易商・タイトー創業者、ロシア系ユダヤ人の実業家)が麻雀賭博罪で逮捕されたことで、巻き添えを食い米川も同罪で逮捕された。 その上、ソ連のスパイ容疑者として原宿署で取り調べを受け、11日間拘留に処せられる。
 全31巻の『ドストエーフスキイ全集』を刊行し始めるが、第4巻を持って紙不足のため中止となる。'44善隣外事専門学校にロシア語主任教員として勤務。 一時、北軽井沢の別荘に疎開をし、終戦後、東京に戻り、'46早稲田大学教授、明治大学でもロシア語を教える。 教壇に立つ傍ら、日本ロシア文学会長を務め、日ソの文化交流にも力を注ぎまがら、個人の訳で『トルストイ創作全集』などを翻訳し、'53『ドストエーフスキイ全集』の翻訳で読売文学賞受賞。訳書は多く、『チェホフ戯曲全集』、トルストイゴーリキー、レオーノフの作品など多数。 訳書以外に、『ロシア文学史』(1934)、『ソヴェト旅行記』(1953)、『ドストエフスキー研究』(1956)の著書もある。
◆石本他家男(いしもとたけお、1909(明治42)年11月25日から1988(昭和63)年5月27日)は 昭和時代の実業家。昭和10年大阪で石本商店を創業。戦後,グラブやミットの製造販売をはじめ,のちスポーツウエアに進出。36年社名をデサントとあらため,社長。外国メーカーと提携し,同社はゴルフ,テニスなどの大衆化の波にのって急成長した。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121125

<本の紹介>
・「大学のウソ 偏差値60以上の大学はいらない」(山内大地著・角川ONEテーマ21)http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%BD-%E5%81%8F%E5%B7%AE%E5%80%A460%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84-%E8%A7%92%E5%B7%9Done%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E21-%E5%B1%B1%E5%86%85-%E5%A4%AA%E5%9C%B0/dp/4041106222
 http://www.kadokawa.co.jp/product/321307000257/
 https://cakes.mu/series/3020
 内容紹介 世界中が競う大競争社会のなかで、日本の大学教育はその期待にまったく答えていない。このままでは、欧米はおろかアジアの国々にも教育水準で大きく劣ってしまう! 日本の大学教育の現状と対策を考える警告の書。
・京都花街の経営学 (西尾 久美子著・東洋経済新報社http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E8%8A%B1%E8%A1%97%E3%81%AE%E7%B5%8C%E5%96%B6%E5%AD%A6-%E8%A5%BF%E5%B0%BE-%E4%B9%85%E7%BE%8E%E5%AD%90/dp/4492501762
 出版社からのコメント 350年以上の歴史をもち、いまだに人々を惹きつける京都花街----。なぜ350年も続き、なぜいまだに人々を惹きつけ続けるのか?
そんな疑問をもとに、気鋭の経営学者が5年におよぶフィールドワークを敢行、その成果が本書に結実しました。本書が他の京都花街に関する書籍と一線を画しているのは、著者が「経営学者」である点です。「舞妓はんはかわいいなぁ」「芸妓はんはきれいやなぁ」という感嘆に終わることなく、京都花街を350年以上続く「ビジネス」としてとらえ、その強さの秘密を分析しています。350年間も続き、今なお多くの人を惹きつけ、その売上規模を拡大させている経営の秘訣は、現代の日本企業の経営にも多くの示唆を与えてくれるはずです。
 そういった経営学的分析がある一方、他ではあまり知られていない「京都花街・豆知識」も充実しています。舞妓さんの修業内容と日常生活、花街のIT化、「旦那さん」になれる条件、舞妓さんと芸妓さんの見分け方、舞妓さんに会える場所などなど......本書を読めば、京都花街通になれることも請け合いです。
・舞妓の言葉――京都花街、人育ての極意(西尾 久美子著・東洋経済新報社http://www.amazon.co.jp/%E8%88%9E%E5%A6%93%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89%E2%80%95%E2%80%95%E4%BA%AC%E9%83%BD%E8%8A%B1%E8%A1%97%E3%80%81%E4%BA%BA%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%A5%B5%E6%84%8F-%E8%A5%BF%E5%B0%BE-%E4%B9%85%E7%BE%8E%E5%AD%90/dp/product-description/4492044795
 内容紹介 少女が舞妓(プロ)になる瞬間、彼女たちはどんな言葉を発し、どんな言葉をかけられるのか――
 折れることなく自分を勇気づけ、舞い上がることなく自分を見つめ、周囲との関係性に配慮できる、しなやかな「心の芯」を作るための珠玉の教えを、
350年の伝統が育んだ言葉に込めて紹介する。
 著者からのメッセージ いつの時代も若者は、未経験で、未熟で、自信もない。でも、ひたむきさを持って取り組んでいることを認めてほしいと願っています。350年続く伝統産業である「京都花街」が、現代の10代半ばの少女たちを舞妓さんというプロフェッショナルに育成できる秘密は、伝統文化や人材育成の仕組みとともに、自分の経験や周囲の関係性を大切にしながら自律的なキャリア形成をうながす、「言葉の力」にもあるのではないかと思います。
・トップ一人の責任―松下幸之助に学んだリーダーの条件 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E2%80%95%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E5%B9%B8%E4%B9%8B%E5%8A%A9%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%82%93%E3%81%A0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%9D%A1%E4%BB%B6-%E6%B1%9F%E5%8F%A3-%E5%85%8B%E5%BD%A6/dp/4827205698

<情報>
ひこにゃん・うどん県・佐世保バーガー仕掛人殿村美樹 ソロモン流出演  http://news-oops.info/archives/946
殿村美樹さんと「ひこにゃんhttp://blogs.yahoo.co.jp/xxxxxxxhirokixxxxxxx/45791493.html