今の政治から・・・再び田中角栄期待論

◆あるブログで「政治というものは多少理に反するところがあっても、まず民を悦ばせてやらなければなりません。そうでないと民は信じません。信じないと従いません。とにかく民を従わすためには、ちょっと機嫌をとってやることが必要である」という「春秋時代の鄭(てい)の名宰相子産(しさん)」の言葉を耳にした。今、最近の特定秘密法案に見られ、消費税増税を実施する安倍政権をみると、田中角栄を思い出す。近代日本における政治家を考えてみるに、ある意味、最も人心を上手く得て圧倒的人気を持った代表的な政治家は、没後20年を迎えた田中角栄ではないかと感じる。今から40年程前に『日本列島改造論』をぶち上げて、日本全体に明るさを齎した角栄氏については、『田中角栄待望論』という記事をかいたじぶんからみると、重厚感や胆識といったものを感じさせ、中長期的な国家ビジョンを構想し得る日本に稀有の政治家であった。議員立法も多く、現在も財政手法としての活王され、問題となっているが、国債を発行したのが当時大蔵大臣であった田中さんである。官僚機構に対し挑戦しようとする人は皆その世界から抹殺されて行くような現実があるようだが、エネルギー政策の大転換を試みようとした角栄氏につき、米国にべったりの当時の官僚組織が米国の意向に背くとしてそれを抑止し、結局は米国の逆鱗に触れ「ロッキード事件」で葬り去られたということらしい。日本の長期ビジョンに立って、絶大な世界的プレゼンスを誇っていた米国を向こうに回し、そして欧米メジャーに依存しない形での独自のエネルギー戦略を実践に移そうとしたという意味でも、彼は日本では珍しいスケールの大きな政治家であったといえよう。そして、やはり角栄氏の功の最たるものは米国に6年半も先んじて中国との国交正常化を実現したことであり、上手く「民を悦ばせ」信じさせた近代日本でNo.1の政治家は田中角栄という人ではないかと感じる。(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131218/p1
 (http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130415/p1 http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120122/p1

(今日のニュース)
・東京都心で初雪観測、平年より14日早く。気象庁は20日、東京都心で初雪を観測したと発表した。東京・大手町で午後3時10分頃、雨がみぞれに変わった。都心での初雪は平年より14日、昨冬より25日早かった。同庁によると、20日は西日本から東日本にかけて上空約5000メートルに強い寒気が流れ込み、津市や神戸市、佐賀市などでも初雪となった。
・きょうオープンに行列7000人!日本最大級のショッピングモール 。今日、イオンモール幕張新都心がオープンした。東京ドーム2.7個分の広さを誇り、家族であこがれの職業を体験するブースが用意され航空機の機長や店員、ファッションショーなどが体験できる。親子で楽しめる家族向け施設の他、大人向けモールも用意されている。
・2013年度版消防白書 公共施設の耐震化率8割超に。学校など、防災拠点となる公共施設の耐震化率が今年3月末時点ではじめて8割を超えた事が分かった。都道府県別では、最も高いのが東京都、次いで愛知県、また、最も低いのが広島県

<今日の情報ブログ>
・小沢氏、政経フォーラムで捲土重来を期して、熱く語る。このままでは日本の将来は危険。「かっちn言い分」http://31634308.at.webry.info/201312/article_17.html
小沢一郎氏が語った安倍晋三政権の怖さ危うさ http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/  http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/63170ff4fd6145625299ebc1e3a63e17
小沢一郎特定秘密保護法」批判で会場から拍手 早稲田大学講演会http://blog.goo.ne.jp/root41_1942/e/d0ce9f1c9ef938141e6dc398354b4ac9 


(12月20日生まれの偉人)
◆竹内 栖鳳(たけうち せいほう、1864年12月20日(元治元年11月22日) - 1942年(昭和17年)8月23日)は、戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。第1回文化勲章受章者。日本画家。〈東の大観,西の栖鳳〉と並び称され,京都画壇の総帥として文展,帝展に君臨した。本名恒吉,はじめ棲鳳と号した。京都市中京区の料理屋に生まれ,14歳で土田英林の手ほどきを受けるが,17歳より円山四条派の幸野楳嶺(こうのばいれい)(1844‐95)の門に入って画才を認められ,つねに師と行動を共にする。新古美術会,日本青年絵画共進会,日本絵画協会などに出品して名声をあげ,1889年京都府画学校出仕,99年には京都市立美術工芸学校の教諭に推された。
 ・霞中庵 竹内栖鳳記念館 http://homepage1.nifty.com/kyotosanpo/takeuti.html
◆山川 均(やまかわ ひとし、明治13年1880年)12月20日 - 昭和33年(1958年)3月23日)は、在野の経済学者で、社会主義者社会運動家・思想家・評論家。労農派マルクス主義の指導的理論家であった。現在の倉敷市に生まれる。同志社中学を退学後上京。明治34(1901)年に,前年に友人と発行した雑誌の記事で不敬罪に問われ,37年まで入獄。帰郷中の39年に日本社会党の結成を知り入党。同年幸徳秋水の誘いで上京して日刊『平民新聞』の編集に当たる。当時の山川はアナルコ・サンジカリズムの立場をとり,幸徳派として活動した。41年の赤旗事件で懲役2年の刑を受けて入獄し,大逆事件への連座を免れる。出獄・帰郷後大正5(1916)年に上京し,堺利彦の売文社で『新社会』の編集に参加。売文社分裂後は堺と『社会主義研究』を発刊(1919),ロシア革命の紹介などを行う。社会主義同盟結成(1920),日本共産党結成(1922)に参加。第1次日共事件(1923)後は共同戦線党論を主張して共産党再建路線と対立,福本イズム全盛の日共から解党主義との非難を浴びた。昭和2(1927)年『労農』を創刊,労農派を形成して共産党と対抗。以後は中間派無産政党との合同路線をとり,全国労農大衆党,社会大衆党の党内左派を指導したが,自身は6年に「第一線より引退」の声明を発表し,以後は評論活動に終始した。12年人民戦線事件で検挙。疎開先で敗戦を迎えた。戦後ただちに民主人民戦線を提唱。21年民主人民連盟委員長となる。22年から『前進』によって向坂逸郎らと社会党左派を指導。26年社会主義協会を結成して大内兵衛と共に代表に就任し,左派社会党を支援した。
 <著作>『山川均全集』,山川菊栄向坂逸郎編『山川均自伝』

<本の紹介>
・高度成長は世界都市東京から――反・日本列島改造論 http://d.hatena.ne.jp/asin/4584134979
・海を渡り世紀を超えた竹内栖鳳とその弟子たち http://www.amazon.co.jp/%E6%B5%B7%E3%82%92%E6%B8%A1%E3%82%8A%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%82%92%E8%B6%85%E3%81%88%E3%81%9F%E7%AB%B9%E5%86%85%E6%A0%96%E9%B3%B3%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BC%9F%E5%AD%90%E3%81%9F%E3%81%A1-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E6%97%A5%E4%BD%90%E5%A4%AB/dp/4784211063
日本列島改造論 (1972年)http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B6%E6%94%B9%E9%80%A0%E8%AB%96-1972%E5%B9%B4-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E8%A7%92%E6%A0%84/dp/B000J9V9F2
・俺たちの新・日本列島改造論http://d.hatena.ne.jp/asin/4062154366
田中角栄と国土建設―「列島改造論」を越えて http://d.hatena.ne.jp/asin/4120034739 

<今日のトラックバック
・来年の干支。暴れ馬の年。どう乗りこなすのか http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131129/p1
東京都知事選挙ーマスコミは操作。宇都宮氏はずし。理由は何? 踊らされずに自ら選択しようー  
      http://blog.goo.ne.jp/ichimurasan2006/e/b5dc3229d7390b99f40d2c862d8c7160

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121220/p1