”最強寒波”猛威ふるう 関東、西日本でも雪に。深谷市。オウム裁判。.今日の官兵衛「命の使い道」。「素質」×「考え方」×「行動」=「人財の質」

◆昨年と同様に雪がふる。違いは、今年は朝方で止んでしまった。昨年とは異なり、降りつづかなかった。それほどの積雪がなく、日かげの雪かきだけで安心。とはいえ、強い寒気の影響で、広い範囲で雪が降っており、日本海側だけでなく太平洋側にも猛威を奮った。埼玉・熊谷市、茨城・水戸市、千葉・銚子市では初雪を観測。東京でも未明に今季3度目の雪が降ったが混乱はなかった。今季初積雪となった三重・津市、岡山・津山市、そして大阪市の様子を紹介した。

◆赤城おろしが吹きつける埼玉県深谷市櫛挽(くしびき)。
 戦後開拓されたこの地は、森を切り開く際、防風林にする部分は木を切り残し耕地が作られた。夫婦でネギを収穫する家では、この時期、防風林の落ち葉を丁寧に集め、春に備えて苗床を作っている。開拓の労苦を知る人は、当時の道具を今に伝え、防風林を守るため竹を植える活動もしている。さらに、子どもたちと開拓者たちの温かな交流。戦後、開拓された櫛挽を「赤城おろし」から守ってきたのが防風林である。その多くは、かつて生えていた木を開墾の際に切らずに帯状に残したもので、今もナラ、松、カシ、クヌギなど30種類以上の木々が見られる。この防風林は、幅27メートル、長さは最大3キロにも及ぶ巨大なもので「赤城おろし」を遮るようにして8列が並んでいる。今、この防風林に守られ、ネギや大根、ブロッコリーなど冬野菜の収穫が最盛期を迎えていた。
 防風林は、かつては開拓農業組合の共有財産でしたが、現在は各戸が自分の家と畑の前の区画をそれぞれ管理している。防風林から出た落ち葉を掃き集めているのはネギ農家の近藤一敏さん(79)。この落ち葉は春に備え、苗床に使っている。底に敷きつめることで、地面からの冷気を防ぐ。さらに、敷きつめた落ち葉は腐葉土となり、翌年の苗床の床土にも使われる。入植からおよそ70年。防風林は人の手で守り継がれている。昭和21年に入植した最古参の開拓者・篠原徹也さん(84)は、防風林の木が枯れたあとに竹を植えてきた。竹は成長が早い上に、四季を通じて葉がよく茂るそうだ。さまざまな木を試した中でも竹の防風効果がいちばんだそう。防風林を次代に残したいという願いが込められている。

◆オウム裁判。
 オウム裁判が始まった。異例なのは死刑囚等が証言に立つ。事件をよくしらない若者が信者としてまた増えていることに驚きであり、事件について語り継ぐことが必要。地下鉄サリン事件はシリアの化学兵器の問題にも影響を与えており、ある意味、宗教裁判ではなく、サリンを作り、蒔いたまさにテロではないか。

◆今日の官兵衛「命の使い道
 婚礼の夜、おたつ(南沢奈央)は宿敵、赤松の軍勢に命を奪われる。怒りと絶望のあまり復しゅう心にかられる官兵衛(岡田准一)を、祖父・重隆(竜雷太)が「命の使い道を考えろ」と諭す。心の晴れぬ我が子を見かねた職隆(柴田恭兵)は、官兵衛を堺への旅に送り出す。官兵衛は道中、荒木村重田中哲司)という牢人(ろうにん)に命を救われる。まさか自分の人生を変える人物村重にあうとはこの時は夢にも思わなかったであろう。村重の案内で堺に向かう官兵衛は世界の広さを知り、生きていることの重みを痛感する。

◆今日の官兵衛紀行「大阪堺市」
 戦国時代、堺では周囲に堀をめぐらせ、会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる豪商たちが町を治めていました。あのフランシスコ・ザビエルも、布教の許可を得るため堺を拠点としたといいます。また、当時流行した茶の湯では、千利休など多くの茶人を輩出しています。織田信長も宿とした妙國寺で、千利休から茶のもてなしを受けたといわれています。高い技術力を用いて鉄砲の生産も行われ、名のある戦国武将たちが訪れた堺。ここは、文化そして技術の発信地として、官兵衛をはじめとする戦国の人々のあこがれの町だったのです。


(人物資料館の紹介)
◆①黒田官兵衛資料館」
 本日19日中津城公園内に、本日19日に黒田官兵衛資料館が開館したようである。休憩施設を改築し、1階部分140平方メートルを「大河ドラマ軍師官兵衛」推進協議会」http://www.nakatsu-kanbee.com/が借りて設営。来年3月まで期間限定で営業する。改築費用約2800万円は県、市、千雅(城の保有者)で折半した。観光客は例年の4倍に増えている。
 「室内を囲む5面の壁いっぱいに、パネルを設置。官兵衛が豊前6郡の領主となった経緯をはじめ、宇都宮一族との戦い、中津城の築城、現在の別府市で展開された「石垣原の戦い」などを写真や図、詳しい説明をつけて紹介している。また、官兵衛が愛用した「合子形兜(ごうすなりかぶと)」を模した赤色のかぶとやドラマで使われた「圧切(へしきり)の名刀」、台本なども見ることが出来る。さらに、新しく制作したDVD(18分)を65型モニターで上映している。」(朝日新聞)「展示品として、「如水の赤合子」で有名な官兵衛の兜のレプリカや大河ドラマ軍師官兵衛」で実際に使われた小道具、ドラマを紹介するパネルなどが展示されています。さらには、ドラマ仕立ての映像も放映するコーナーもあり、豊前国での官兵衛を存分に堪能できそうである。「NHK大河ドラマ軍師官兵衛」の主人公で、初代中津城主の黒田官兵衛について紹介する「黒田官兵衛資料館」が19日、中津市中津城公園内にオープンした。豊前国統治時を中心にした官兵衛の活躍を紹介するパネル、ドラマ関連品などを展示。中津市では昨年秋以降、中津城周辺を中心に観光客が急増しており、観光振興の拠点施設として期待されている。パネルでは、官兵衛と地元豪族宇都宮氏との戦い、中津の城下町づくり、石垣原の合戦などについて解説。ドラマ関連品は撮影で使用した名刀(レプリカ)、ビードロなどがあり、3カ月後をメドに入れ替える。官兵衛が愛用した合子形兜(ごうすなりかぶと)のレプリカ、映像シアター、観光案内所もある。入場無料。開館は午前9時〜午後5時。年内は無休で、来年3月末まで黒田官兵衛資料館として使う予定。問い合わせは同資料館(TEL0979−64−7122)。」(大分合同新聞

◆②「中津城(奥平家歴史資料館)」(URL http://www.nakatsujyo.jp/
 黒田、細川、小笠原、奥平氏とつづく居城跡。中津城は、豊臣秀吉より豊前6郡を拝領した黒田孝高(如水)が山国川(当時高瀬川)河口の地に築城したのが始まりです。城郭の形が扇の形をしていたことから「扇城」とも呼ばれていました。現在の天守閣は、昭和39年に建設されたものです。天守閣内には、衣装、刀剣、陣道具、古絵図、古文書など奥平家に関する歴史資料が展示されています。また、近年、一般社団法人中津城が、奥平家に由縁のある催事「たにし祭り」やお城をモデルにした「写生大会」、「薪能」なども開催されています。天守閣では、徳川家康公より拝領した奥平家重代の家宝「白鳥鞘の鑓(やり)」や長篠の戦いで実際に使用された武具など貴重な家宝を展示し、一般公開しています。
川沿いの黒田時代の石垣には神籠石が多量に使用されています。
①住所 〒871-0050 大分県中津市二ノ丁1273 TEL 0979-22-3651
②開館時間 9:00〜17:00
③休館日 年中無休

◆「素質」×「考え方」×「行動」=「人財の質」であり、人材育成の方法であり、素質は変えることができないが、考え方と行動はいかようにも変えることができる。そこで自らがどうなるかによって人財になるか人罪になるかの分岐点である。まさに考えうことの重要性がかかせず、それでどう行動するかにより左右されるのであろう。

<今日のトラックバック
・「仕事のなかで自分を磨け - 中国古典の名言に学ぶ。守屋 洋 (中国文学者)」より http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130924/p1
殿村美樹さんは語る。「お金をかけずにメディアが飛びつくPR戦略」 http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130207/p1
・箱根仙石原。石岡市。官兵衛。ジャパンブランド。 http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20140112/p1

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130119/p1