大寒の日は甘酒の日。“移設反対”現職再選。『真似から初めて自分流にしていく』『やめない限り負けはない』

◆営業会議、資料整理。業務報告。なんとなくせわしない一日であった。今週も疲れそうな一週間かな?帰宅後、講演年原稿整理。今週中にはなんとなしなければなるまい。

◆今日は、大寒の日である。
 大寒は、1月20日頃(2014年は1月20日)。および立春までの期間。小寒から数えて15日目頃。冬の季節の最後の節気。寒さがさらに厳しくなり、1年中で最も寒い時季です。小寒から立春までの30日間を寒の内といい、大寒はそのまん中にあたります。寒稽古など、耐寒のためのいろいろな行事が行われ、寒気を利用した食べ物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込む時期です。 甘酒は疲れを癒やし体を温める飲み物として大寒の頃に最も飲まれていることから制定されていて、ここ数年で人気も上昇し売り上げは170%増加している。まさに、大寒の日である1月20日は「甘酒の日」であるかも。

◆名護市長“移設反対”現職再選。普天間基地の移設計画の是非が最大の争点となった名護市長選の投票が行われ、移設に反対している現職の稲嶺進氏が2回目の当選を果たした。今回の選挙結果について政府は、移設に向けた作業を進める方針に変わりはないとしている

◆『花畑牧場社長 田中義剛』(2014年1月19日放送 21:54 - 22:48 テレビ東京ソロモン流」より)
 2007年番組では花畑牧場田中義剛を取材し、生キャラメル完成までの道のりを取材。放送直後から大ブームとなり新千歳空港店には生キャラメルを求める大行列が出来た。しかし様々なバッシングや不満も噴出し、年商も非公開に。一体田中義剛はいまどうしているのか。北海道・十勝の花畑牧場を取材。牧場の施設は以前よりも充実したものとなっており、いまでも生キャラメルは販売。さらに生キャラメルブーム後に作った天地のスイーツ工房と名付けられた工場も検察され、そこでは「もちっぷす 生キャラメル」が製造されていた。さらにホエー豚の飼育など様々な分野に拡大していた。芽室町には花畑牧場の物流センターが建設され、業務用商品の配送管理などが行なわれていた。物流センターを作ったことで、経費も削減できたのだった。
 花畑牧場社長の田中義剛を密着取材。ブーム時のド素人経営から様々な事を学んだという田中義剛は、法律に合致した工場が建設され、チーズの熟成が見られるなど、あらたな観光施設にもなっていた。従業員数は最盛期の2000人に比べ300人と大幅に減少したが、社員との絆はより強いものとなっていた。その結果は、新千歳空港に自社ブランドのショップを展開している事などからも明らかだった。いまの段階で満足していない田中義剛は、自社のチーズを北海道土産ではなく、全国のスーパーで販売したいと考え、ふわとろモッツァレラをその候補とした。モッツァレラチーズを作っている音更町にある十勝工場を訪れた田中義剛は、量産のための新たな機械を導入。見事歩留まりを減らす事に成功した。
 田中義剛のプロフィール。1958年に八戸市に生まれ、牧場を持つ夢をかなえるため酪農学園大学に進学したこと、開業資金を稼ぐため歌手となったこと、花畑牧場の赤字はTVチャンピオンなどのテレビ出演で補填していた事などが紹介。
 恵比寿にある「九十九とんこつラーメン」を訪れたが、この店こそ花畑牧場のチーズを使った「元祖 (究)チーズラーメン」をメニューにのせた店だった。田中義剛はこのラーメンからヒットの法則を学んだと語った。愛媛県松山市いよてつ高島屋で開催されている北海道物産展の会場を訪れた田中義剛は堅焼きプリンの「十勝カタラーナ」という新商品をアピール。愛媛県松山市を訪れていた田中義剛は、街ブラを楽しんだ。地方を訪れた時には必ず商店街を訪問するという田中義剛は、この日「松山ロープウェー商店街」にある「港や本店」をおずれ、お餅スイーツ「たまごバターもち」を体験。さらに吸い込まれるように色々なお店に立ち寄り、商売人としての視点から「10FACTORY 松山本店」などのお店に立ち寄った。田中義剛はここのスイーツを食べながら『真似から初めて自分流にしていく』との哲学を語った。
 田中義剛はタイで新たなビジネスをはじめようとしていた。ラーチャブリー県という農村地帯を訪れ、牛をチェックした田中義剛は現地で商品を生産しようと目論んでいた。工場を訪れ、生キャラメルの試作品をチェックしたが、普通のキャラメルになってしまっているとのダメだし。自ら従業員の前で生キャラメルの作り方や正しい作業風景などの指導を行なった。
 田中義剛は、母校・酪農学園大学での特別授業にて後輩たちに「やめない限り負けはない」と教えた。
→飽くなき探求心、そして、「真似から初めて自分流にしていく」、「やめない限り負けはない」

<60年前の今日>
・1954年帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄)丸の内線・池袋〜御茶ノ水が開業。戦後初の地下鉄。丸ノ内線(まるのうちせん)は、東京地下鉄東京メトロ)が運営する鉄道路線。東京都豊島区の池袋駅 - 杉並区の荻窪駅間を結ぶ本線と、中野区の中野坂上駅 - 杉並区の方南町駅間を結ぶ分岐線(通称 方南町支線)から構成される。鉄道要覧における名称は4号線丸ノ内線および4号線丸ノ内線分岐線である。なお、新宿 - 荻窪間と中野坂上 - 方南町間は開業当時は荻窪線と呼ばれていた。路線名の由来は、東京駅付近の地名である丸の内より。1970年の町名変更により千代田区の「丸ノ内」は「丸の内」と表記されるようになったが、地下鉄線の表記はそれ以降も「丸ノ内線」のまま変更されていない。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「レッド」(赤)である。方南町支線の車両には誤乗車防止のため帯に「ブラック」(黒)が付加されている。

おとなり日記
・2014-01-20 諸岡誠治の仕舞奮戦記 http://d.hatena.ne.jp/morooka/20140120

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130120/p1