『1995年』とは。阪神大震災とオウム事件。そして、Windows1995発売、新世紀エヴァンゲリオン放送開始、戦後50年。

◆昨日(平成26年1月22日)の日経「春秋」より
『▼なぜその時、その場で自らの行いを判断できなかったのかと改めて思う。1995年のオウム真理教事件は、専門知識を学んだ高学歴の若者が入信し、幹部として犯罪に手を染めた点でも驚きを呼んだ。いま51歳の中川死刑囚は「教祖の主治医」だったという。80年代も末、バブルの世に背を向け出家し、道を踏み外した。
 ▼95年という年の意味を考える本を、若い研究者らが相次ぎ出版している。その1冊「1995年」(ちくま新書)で速水健朗氏は、今後の社会がこれまで通りには続かないという予感を共有した年だったと振り返る。数年来の地価株価の変調、冷戦終結自民党下野。そんなところに阪神大震災とオウムが重なったからだ。
 ▼グローバル化はその後も速度を増し、期待と不安を運んできた。関西の地震で皆が感じた、世の中が土台から揺らぐような心もとなさは、19年を経てぬぐい去れたと言えるか。ネットの普及は、信じたいものだけを信じる姿勢を助長しないか。「いまの時代でもオウム事件的なものは十分起こり得る」。速水氏はそうみる。』

◆キーワードは『1995年』。早速、書店で購入し、「1995年 (ちくま新書速水健朗 )」を読んでみる。
 この本は時代の転換点としてよくとりあげられる1995年を、「政治」「経済」「国際情勢」「テクノロジー」「消費・文化」「事件・メディア」という6つの区分にわけて振り返っていくという試み。社会学者の書籍を読んでいると、よくこの年がとり上げられている。一番有名なのは、宮台真司の『終わりなき日常を生きろ』だろう。また、大澤真幸が戦後25年を  「理想の時代」とし、その次の25年に区分した「虚構の時代」の終わりも95年である。著者は「時代の意味」を見いだすことに懐疑的なのか、6つの分野に統一した解釈は挟み込まれない。あくまで当時何があったかを資料を元に淡々と解説していく試みだ。
 大きな携帯電話に太眉の女性、万札を掲げてタクシー待ちをする人々。いまバブル時代の人間の姿を見れば、それは異国の風景のように見えるだろう。しかし、どこかで異国は「いまの日本」に姿を変えたはずだ。それはどこか。「『1995年』は、バブルの時期からたった5、6年あとの世界でしかない。一方、2013年の現在からは、18年も前である。とはいえ、『1995年』はバブルの時期よりも現在に近い時代であるように思う。そして、現在の日本はその95年の延長線上に置かれている未来であるのは間違いない」
 1995年は阪神淡路大震災オウム真理教事件という、戦後社会を大きく揺るがす災害・事件があった年だ。しかし、それだけでこの年を語っていいのか。むしろ、その影に隠れているものの、この年に起こった興味深いできごとを俯瞰(ふかん)的に見ることでこの年が一つの分水(ぶんすい)嶺(れい)になっていることが明らかになるのではないか。住専問題、終身雇用・年功序列の見直しと雇用の柔軟化を提言した日経連の「新時代の『日本的経営』」、インターネット時代を印象づけたWindows95の発売、プリクラやエヴァンゲリオンのヒット。著者が1995年を多様な角度から描く中に、読者は「いま」のはじまりを見出(みいだ)すことになる。焼酎文化の急速な普及やアップル社復活への道のはじまりも見えてくる。「歴史の分断線」をある年やある事件に軽々に見出すことは避けなければならない。歴史を過剰に単純な物語に回収しすぎてしまいかねないからだ。しかし、適切な分断線は私たちの認識をダイナミックに書き換える補助線ともなる。本書が示すそのダイナミズムは、私たちが冷戦や55年体制の後の歴史をいかに描くかの一つのひな型を示しているのかもしれない。かねがね「1995年」こそが「終わりの始まり」の年、あるいは「終わりであり、始まり」の年だとわたしは考えてきました。その理由は、阪神大震災オウム事件です。「2011年」も時代のエポックメーキングな転機の年でしたが、より大きな流れは1995年以降に一貫しているのではないか、と。
 しかし、本書に事実関係として淡々と列挙されている「1995年」のもろもろを、最初のページから「政治」、「経済」、「国際情勢」、「テクノロジー」、「消費文化」と読んでいくと、そのほとんどを覚えていない(汗...)ということに気がつかされます。言われて初めて思い出す、というやつですね。小室哲哉のTMレボリューション、Windows1995発売、新世紀エヴァンゲリオン放送開始、戦後50年、オリックス優勝、マルコポーロ廃刊・・・ 
 「テクノロジー」の章では、当時「事件」と騒がれたWindows95発売を、間近に体験した筆者が事件でもなんでもなかったと述懐している。単体ではほとんど何もできない同機に殺到する群衆というのは、今からすれば微笑ましい。まるで、街頭テレビに群がる群衆に対する感情と似ている。本書で引用される「ものすごく速い汽車に乗っているんだけど、一体どこに行くんだろうという感じですね」(p.100)という松葉一清の言葉は的確だ。いまもiPhoneのニューモデルが発売されるたびに行列はできるだろうが、そこに並ぶ人たちはある種の利便性への確信があるからこそ並ぶのであって、当時の彼らのような汽車の速度のにみ魅せられ相乗りしているわけではないのだろう。
 「消費・文化」の章では、この年初頭にビートたけしが前年の交通事故で休養しており、ダウンタウンに「政権委譲」があったと指摘されている。当時10歳で地方に住んでいたぼくからすれば、文化の入り口はまだテレビで、本書でも紹介される「渋谷系」やら「小沢健治」などは縁遠く、アイドルはやはり彼らだった。当時2人は32歳、まだ芸歴13年目だったが、すでにゴールデンにいくつもレギュラーをもち、自分たちが一番面白いという自覚と、ふてぶてしさを持っていた。今のお笑い界の同年齢に、そんな人間が居るだろうか?
 そして、この本で振り返ってもやはり強く印象に残るのはオウム真理教だろう。この年の3月、地下鉄で神経ガスによるテロが起こり、その10日後には警察長官が銃撃されたのである(こちらは時効が成立)。当時「誰もがオウムに夢中になった」とあるが、それも大げさではない。一つのテロ組織に国家があれほどまでに翻弄されるなんて、少なくとも戦後はこの年しかないのではないか。まさに、最終章の第6章「事件・メディア」を読みはじめると、阪神大震災オウム事件については細かいところまで記憶のなかにあることが確認されます。それほどインパクトのある事件だったのだ、と。「1995年」の最初の3か月のあいだに起ったこの2つの事件は、当時の日本人にとっては不意打ちに近い大事件だったのです

 ◆この年。自分は何をしていただろう。ふりかえってみると、朝なぜか感じた地震で目を覚ます。確かニュースも混乱していて京都で地震の様であった。会社に行き、炎に包まれる神戸市の様子をみた。また、オウム事件もあの日サリンがまかれた地下鉄にのっていたことを思い出す。手前の駅で下車したため、被害に遭わなかったようだ。この二つははっきりと記憶に残っている。


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◆今日は定時に退社。帰宅後講演原稿を作成。明日には完成見込み。明日以降読み込みを。

都知事選告示。2月9日投票。16人立候補。

おとなり日記
・2014-01-22 Sokraton日記 http://d.hatena.ne.jp/morningstar/20140122

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