ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク生誕200周年。そして西尾久美子著、人材育成の極意「舞妓の言葉」からOJTを学ぶ。「1年間の貿易赤字、過去最大に。」

Googleロゴがウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクに!Googleは、2014年1月27日のロゴをフランスの建築家、ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク生誕200周年を記念したデザインに変更した。ヴィオレ・ル・デュクが修復を手がけ、ユネスコ世界遺産にも登録されている歴史的城塞都市カルカソンヌをモチーフにしていると思われる。ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクとはヴィオレ・ル・デュクは1814年、パリ生まれ。ヴィオレ・ル・デュクといえばゴシック建築を中心にさまざまな建築物の修復を手がけたことで有名だ。前述の歴史的城塞都市カルカソンヌをはじめノートルダム大聖堂サン・ドニ大聖堂、ピエールフォン城など。「中世建築辞典」「建築講話」などの著書も残している。1879年死去。

◆一流に学ぶOJTの作法(西尾 久美子:京都女子大学現代社会学部准教授)  http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131125/p1
・もう一度整理ししてみた。再び西尾久美子著である経営の指南書「花街の経営学」、そして人材育成の極意「舞妓の言葉」から
http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130719/p1
 ・「人を育てる」 そして「上杉 鷹山と山田方谷」(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130909/p1 )
Ⅰ マニュアルで教えられないことを教える方法
 OJTの失敗を、「若者に粘り強さが足りない」とか、「指導者である中高年が若い人の気持ちを理解できない」といった感覚的なもののせいにしていないだろうか。これでは、よりよいOJTの方法について特段の工夫がされないまま、せっかくの人材が埋もれてしまう。
 ①マニュアルでは教えられないこと
 京都花街は、高付加価値のおもてなし産業です。お座敷には、メニューも価格表もありません。10代の舞妓さんでも、親子以上に年齢の離れたお客様の気持ちを察し、その期待にかなったサービスを提供することを求められます。「若くて、かわいいから」あるいは「伝統文化だから」といった理由だけで、舞妓さんに人気があるのではありません。舞妓さんが「京都花街だからこそ」と期待されるようなおもてなしを提供しないと、お客様の足は遠のいてしまいます。ですから、企業と同様に、いかに現代の若い人たちの能力を育てるのかということは、京都花街にとって、生き残りをかけた大きな課題なのです。さらに、この課題には、マニュアル教育では対応することができません。
 京都花街では、年齢も性別も国籍も異なるお客様へ、臨機応変なサービスを提供することが求められます。国賓待遇の方々を一流料亭で、観光客をPRイベントの会場で、なじみのお客様の金婚式でと、毎日の現場はさまざまですから、その場面によってお客様の満足につながる要因も異なります。では、このような多様な場面でお客様の気持ちを察し、適切なサービスを提供できるようにするために、舞妓さんはどのようにOJTされているのでしょうか。マニュアルでは教えることができない能力を、いかにOJTで効果的に育成していくのか、考えてみたい。
・おいど(お尻)に、手を
 舞妓さんたちの装束で有名なのは、だらりの帯です。この長くて豪華な帯を結ぶと、後ろのたれは膝の裏くらいまでありますから、彼女たちが日本舞踊を披露すると、とても華やかです。舞妓さんの衣装。膝下まで伸びる長い「だらりの帯」が特徴的だ。このだらりの帯、仕込みさん(舞妓さんにデビューする前、約1年間の修行期間のこと)のときには、結ぶことはありません。7メートルを超える西陣織の豪華な帯、それに友禅染の振袖・裾引きの舞妓さんの着物。これら10kgを超える装束は舞妓さんらしさの象徴ですが、舞妓さんとしてデビューしてから、現場でその取り扱いに慣れていくことが必要になります。舞妓さんたちは、お座敷で日本舞踊を披露するだけでなく、ビールやお酒を運ぶなど、接客に伴うこまごまとしたこともします。さらに装束のままで、車や飛行機に乗って移動することもあるのですから、いつでもどこでも舞妓さんらしい立ち居振る舞いができるようになるまでは大変だろうと、容易に想像していただけると思います。「お兄さん、えらいすんまへんどした。○○ちゃん、立ったり座ったりするときは、おいどに手を添えな、あかんのえ」お座敷で談笑していたデビュー直後の舞妓さんが立ってビールを取りに行こうとしたとき、彼女のだらりの帯の先が揺れて、すぐそばのお客様の顔の近くをかすめました。そこでお客様が頭を少し後ろに傾けて、帯先を避けようとされたのです。すると、そばにいた先輩の芸妓さんが、その様子を素早く見とがめ、お客様にすぐさま謝り、そして舞妓さんに注意の言葉をかけました。注意された舞妓さんは、はっとしてすぐにお客様に謝り、さらに「お姉さん、おおきに」と、先輩の芸妓さんに注意してもらったことにお礼を言ってから、だらりの帯に手を添えてビールを取りに部屋を出て行きました。ほんの一瞬の出来事でしたが、おもてなしの流れが途切れて、お座敷に少し緊張感が漂いました。そんな気まずさを感じたのか、お客様が、「あとで言うても、ええのとちゃうか」と芸妓さんに言葉をかけると、「○○ちゃんは、舞妓さんにならはって間がないさかいに、毎日毎日覚えんなんことがたくさんあります。そやし、何か気をつけなあかんことがあったら、そのときに言うてあげへんと。あとで言うても、何のことを言われたのか、本人にはわからへんこともありますさかいに」と、笑顔でお客様の配慮に感謝しつつも、指導する側の気持ちを説明していました。
 ②OJTを円滑に運ぶ2つのポイント
 この具体例から、OJTを円滑に運ぶためには2つの大きなポイントがあることがわかります。ひとつは、教わる側の「指導されたら感謝して素直に学ぼうという姿勢」。もうひとつは教える側の「相手のレベルに応じてきめ細かい指導をしようとする姿勢」です。さらに、被育成者と育成者相互のキャリア形成に応じて、これらの姿勢が変化し、かみ合っていくことも重要です。まず、教わる若い人たちの側、自分の技能を高めるという便益を享受できる側から説明します。学校の場合、学ぶ側が費用を負担しているのですから、教える側は教えることが仕事で、学生たちの能力向上のための責任を負います。一方、学校を卒業し就職して現場に配属にされた後、OJTが始まると、教えられるという行為自体は学校教育と同じですが、教える側の立場に大きな違いがあります。教える側は自分の仕事を持っており、教えることは主な仕事ではありません(人事評価の対象外ということもあります)。さらに、教えることは自分のライバルを作ることにもつながります。ですから、現場で教える先輩の側に、指導育成することに対してインセンティブが働くことは、通常は多くはありません。「自分が若いときは、先輩の様子を必死に盗み見て覚えたものだ」と、中高年の方がよく言われるのは、まさに上記のような理由があるからです。自分の生産性を下げるだけでなく、将来の地位の低下を招くような後輩への指導育成を積極的に実施する、そんな奇特な先輩は、そもそも多くはなかったのだろうと言わざるをえません。
 ・OJTでは「教わる側」の工夫が重要
 <教わる側のポイント>
 つまり、教わるという受け身な立場の側に、教える側を教える方向へ誘導するような工夫がないと、OJTはそもそもうまく働かない仕組みなのです。だから、OJTでは教わる側の心構えと姿勢が非常に重要な要因になります。先輩から指導をしてもらうためには、まず後輩側がそれを積極的に受け取る姿勢を示すことです。たとえば、先輩に自分からあいさつをすること、教えてもらったことにお礼を言うこと、教えられた内容をメモにとり確認すること。そんな地道な行為を繰り返すことが、教える側の「積極的に教えよう」という気持ちを作ることになります。舞妓さんの例で言えば、注意されたことを「ありがとうございます」と素直に受け取り、感謝する。そして、すぐに指摘されたことを実行する。この姿勢を自然に身に付けていることがポイントなのです。そして、その舞妓さんの一生懸命に学ぼうとする様子を見て、先輩の芸妓さんは、またこの舞妓さんに教えてあげようという気持ちになるのです。
 では、教えられる側のこのような姿勢を、誰が責任を持って若い人たちに教えているのでしょうか。そこまでOJTの現場に丸投げしてはいないでしょうか。舞妓さんは、仕込みさんの期間中に、「教えてもらえる準備」をすることの重要性を、一緒に生活する置屋の経営者や先輩たちから徹底的に教育されています。「教わる姿勢」を作る必要性を組織の管理者や運営側が考慮し、新規参入者に教育していくこと。それが、OJTを円滑にするための必要条件なのです。
<教える側のポイント>
 舞妓さんの事例からわかるように、OJTの現場に出ても、教わる準備が整っていないと、指導者側の教えをまっすぐに受け取ることができません。さらに、教わる準備ができているからといって、教える側は何もしなくてもいいわけではありません。教える側のポイントは、現場で積み重ねられてきたこと、自分が獲得してきた経験に基づく智恵の勘所を、相手のレベルに応じてわかりやく言語化することです。 間違いを注意することだけでは不十分です。また、改善方法は見ていればわかるといったあいまいな指導では、経験の乏しい新人の側に混乱を招き、ひいてはせっかく芽生えた「教わろう」という意欲の減退にもつながります。ですから、先ほどの事例で芸妓さんが言葉にしたように、「おいど(お尻)に手をあてる」といった、相手のレベルに応じたわかりやすい言い方で、どうすれば同じ失敗を2回しないように行動を改善できるのかを、その場で教えることが必要なのです。このため、教える側には、一緒に仕事をする人たちの様子を日頃から観察し、技能レベルに応じて簡単に実行できるような行動を明確に指摘する能力が必須です。
Ⅱ マネジメントの役割とは
 育成責任を現場に負わせる前に、教える側になったときにどのようなことが必要になるのかをマネジメントが明らかにするべきです。そのうえで、指導経験に応じて、教える側の姿勢を整えることが、組織の中でOJTの質を高めることにつながります。
 ①日本的サービスの伝承
 ご紹介した舞妓さんの事例は、現場のほんの一コマです。京都花街では、こうした日常の現場の積み重ねを通して、マニュアル化が困難なきめ細やかな日本的サービスを、10代の女の子たちに指導しているのです。教わる側の姿勢を作ってから現場に出す。現場では常に行動のチェックと具体的な言葉かけを実施する。さらに教える側の姿勢も、より経験の長い先輩や経営者側がチェックする。これらが密接に結び付くことで、教えてもらえるという安心感が未熟な若者の不安感を軽減し、職場で自分のポジションを認められる自信につながるだけでなく、後輩と先輩の良好な人間関係形成にも貢献します。中小事業者や個人自営業者の集まりである京都花街では、技能形成と質の高いサービスを提供するという共通の目的のために、誰もがOJTを必須のものと認識し、積極的にかかわっています。その結果、京都花街全体が有機的な組織のように機能し、新しく京都にやってきた現代っ子の若者を伝統文化の担い手、高付加価値のサービス提供者に育成していくことができるのです。
ⅢOJTの“限界を超える”花街の教え
 OJTの失敗を、「若者に粘り強さが足りない」とか、「指導者である中高年が若い人の気持ちを理解できない」といった感覚的なもののせいにしていないだろうか。これでは、よりよいOJTの方法について特段の工夫がされないまま、せっかくの人材が埋もれてしまう。
 ①OJTのデメリット
 OJTは、トレーニングを受けた専門家が人を育てるのではなく、現場の人が仕事経験を通じて得た知識を基に、人材育成に携わっていくことです。つまり、現場の経験や知恵を基に、人を育てていく仕組みです。そのため、現場の事情に応じた柔軟な人材育成が可能になります。一方で、教える人によって指導方法や指導の内容が異なると、育成途中の若者は混乱してしまいます。混乱するだけでなく、人間関係にひびが入ってしまうことすらありえます。また、教える側の人材の経験には、当然、偏りがあります。したがって、その人ならではの特性に応じたやり方を、普遍的な方法として教え込んでしまうといったことも生じます。OJTと対比して語られるマニュアルでの教育は、明確でわかりやすいというメリットがあります。「マニュアルがあれば、仕事ができます、マニュアルをください」といった若者からの問いかけに、近頃の若者は自分で考えないと、怒る方もおられるかもしれません。
 しかし、慣れない仕事をきちんとしたいという若者の不安に、OJTという教育方法が適しているとは、言い難いところがあるのは事実です。マニュアルでは対応できないところがたくさんあるとしても、それに頼りたくなる気持ちが育成される側に生じる理由は、考えるべきでしょう。そうした育成される側の気持ちに配慮することなく、人材育成の現場でOJTを伝家の宝刀のように振り回してしまっているとしたら、個人にとっても組織にとっても大きな損失です。
 ②経験のわな
 より効果的なOJTを実施するためには、個人の現場での経験を客観視し、行動と結果との因果関係について分析する姿勢を、教える側に身に付けてもらうことが重要になります。単なる経験則なのか、よく考えられた指導なのかの違いが、ここにあります。経験だけを振りかざした指導方法は、「経験のわな」に陥ったものになりがちです。経験はとても大切な資源ですが、それだけでは不十分です。個々の経験を統合し、よりよいものにしようという組織としての知恵の形成という視点をもって、積み重ねられる経験を的確な判断基準へ育てていくことが大切です。
 しかし、職場での経験年数が長くなると、自分の経験に頼りがちです。また、それでうまくいくことが実際に多いため、経験を検証することなしに、OJTを行ってしまうことも多くなります。その結果、人がうまく育たない理由について自分のやり方を検証せずに、被育成者の責任に帰してしまうということにもつながります。このやっかいな「経験のわな」を避けることが、よりよいOJTの実践のためには必須です。やる気のある若い人たちを、潰さずに育て、さらに将来のOJTの指導者にしていくために、京都花街では、現場での判断基準をあいまいにしないで実践を重ねていく工夫をしています。
③小さな失敗こそ、報告
 舞妓さんになってほぼ1年が経ち、だらりの帯の扱い(前回を参照してください)にも慣れ、お座敷での接客に自然な笑顔が出るようになってきた、そんな時期の舞妓さんが、少ししょんぼりしていました。お座敷で失敗したことを、置屋のお母さんに報告しなかったことについて、「しょうもないことやさかいに、言わへんのは、あかんのえ」と諭されたのでした。
失敗にすぐ気がついて対応したので、お客様は怒っていなかった、現場のお姉さん芸妓さんにも迷惑をかけていない、自分としては精いっぱいうまく処理できたのに、どうしてお母さんからそこまで言われるのかわからなくて、戸惑った様子でした。京ことばで「しょうもない」とは、ささいなこと、つまらないこと、といった意味です。ですから、このお母さんの言葉は、現場ですぐ対応できるような小さな失敗でも必ず報告しなさいということ、いわゆる報・連・相を促す言葉だろうと考えられます。
 でも、さらによく言葉の意味を考えてみると、「小さなことだからと自分で勝手に判断して責任者に報告しない、ということをしてはいけない」と、指導されていることがわかります。
④判断基準の共有
 経験が積み上がってくると、今までわからなかった自分の行動の不備がわかり、自分なりの対応もできてきます。この舞妓さんのキャリア形成は順調で、何の問題もないように思えます。しかし、このままの流れで、より高いレベルでのお座敷での技能発揮ができるか、また、後輩のOJTのよい指導者になれるかというと、そうではないのです。そのことを、お母さんは教えようとしています。今回の失敗を小さな失敗だと自分で決めたこと、その決定は本当に妥当なのでしょうか?業界標準に照らし合わせて、きちんと検証した結果の判断でしょうか?さらに、ささいなことのように見えているが、その背後に重大な問題点が隠されていないでしょうか?
 小さな失敗だと自分で決めて対応して報告しなかった舞妓さんの一連の行動から、指導育成のプロフェッショナルである置屋のお母さんは、これらの点を危惧して、短いですが含蓄のある言葉をかけていたのです。何か失敗したことやその後のリカバーの行動といった現場経験は、個人固有のものです。では、それが業界標準と比較して妥当なものなのか、仕事経験が少なく個人の判断能力が未熟なうちは、妥当な判断を下せているとは限りません。少し慣れてきた舞妓さんだからこそ陥りがちな、自分の経験だけに頼った行動の問題点を指摘されたのでした。そして、このお母さんの言葉には、今後、より広い視野を持った対応ができるように、そして将来のOJTの指導者になってくれることへの期待も込められています。
⑤OJTの限界を超える
「失敗しました、それに対応しました、大丈夫でした、だから、問題ないと思います」この連続からは、失敗が生じた原因を分析し二度と同じことを起さない、高付加価値のサービスは生み出されません。舞妓さんの愛らしい笑顔、芸妓さんのあでやかさなど京都花街らしいサービスは、伝統的な衣装や立ち居振る舞いからだけ、醸し出されているのではありません。京都花街に学ぶこと彼女たちが、マニュアル対応では作り出せない心のこもったおもてなしが提供できるように、業界で共有された判断基準とその徹底した指導育成があるので、お座敷ごとに違う芸舞妓さんのプロジェクトチームが編成されても、高品質のサービスをチームで作り出せることにつながっています。舞妓さんたちは新人を卒業する時期になると、現場でのささいな失敗がなぜ生じたのか、それがほかの人たちに迷惑を及ぼしているかどうかなど、より深く考えていくことが求められるようになります。新人時代を乗り切れば、次のキャリア形成のステップがあり、それが個々人の経験だけに頼らず、業界で智恵を共有していく姿勢を作ることになります。
 京都花街の舞妓さんの育成の秘訣は、伝統文化があるからだ、とよく言われます。しかし、なぜ、舞妓さんたちはマニュアルがなくても、業界標準の判断基準が共有できるように育成されていくのかについて深く考えてみると、OJTに頼って人材育成を重ねてきた業界だからこそ、個人のカンや経験、やる気といった曖昧なものに頼りがちなOJTの限界を理解し、対応を重ねてきたことがわかります。伝統文化が育んだ智恵を現代に生かす視点を私たちが持てば、そこから、学ぶべきところが見えてきます。OJTのよさを生かしながら、その限界を超えるための標準化は大切です。しかし、基準を作るとそれに縛られ、臨機応変さを失うリスクもあります。

●◆『舞妓の言葉――京都花街、人育ての極意』(東洋経済新報社・西尾久美子著)
この本「舞妓の言葉」を通して、人育ての極意を学ぶ。京都花街のごく限られた世界での話ではなく、ビジネスにも通じる人材育成論。舞妓さんの美しい写真とともに綴られる京ことば。周囲に育てられ精進していく舞妓さんの言葉はなるほどと思うところ多数。『「が=我」を張ることは、私一人の頑張りだが、「気」を張るなら、自分の気持ちのアンテナをしっかり伸ばし、周囲との関係性を配慮しつつ努力しようということになる。』心に残った一文。意外にも人材教育に役立つ本でした。「いつの時代も若者は、未経験で、未熟で、自信もない。350年続く伝統産業である「京都花街」が、現代の10代半ばの少女たちを舞妓さんというプロフェッショナルに育成できる秘密は、伝統文化や人材育成の仕組みとともに、自分の経験や周囲の関係性を大切にしながら自律的なキャリア形成をうながす、「言葉の力」にあるのではないか。(著者「メッセージ」より)
1.ビールの飲み方から何を読み解くか
京都の舞妓は、お客さんの何気ないしぐさからお客さんの気持ちを読み取ることができる。たとえば、こぶしの握りようからお客さんの緊張のレベルを察することができるというように。また、コップに注がれたビールの減り方を注意深く見るだけでもかなりのことがわかるそうだ。ほとんどビールを飲んでおられないということは、なんらかの事情でお酒が飲めないのか、ビールが好みに合わないのかのいずれかである。その場合には、ほかの人に聞こえないような小さな声でおぶ(お茶)でも持ってこさせましょうかとたずねるようにするそうだ。
2.OJTで求められる2つの要素とは
こうしたタネを知らないと、たずねてきた依頼人の服装やしぐさだけから、依頼人の職業や、解決を依頼したい問題を言い当てるシャーロック・ホームズのようだ。しかし、タネを明かしてもらえばだれにでもできそうだ。天才ホームズのレベルにはなかなか達しえないとしても、このような推論能力をもとに臨機応変な対応ができるようになる。そのためには、かなりのトレーニングや指導が必要である。
顧客の気持ちをそのしぐさから読み取るための知恵のなかには、マニュアルでも伝えることができそうなものがありそうだ。上であげた例は、マニュアルにできそうだ。しかし、京都の花街では、マニュアルで伝えるという方法はとられていない。先輩による現場での指導、置き屋での教育・訓練という方法がとられている。ディズニーランドやマクドナルドのマニュアルによる知識伝承の方法とは明らかに異なっている。マニュアルによる教育と現場での指導による訓練のどちらが優れているかを一概に言うことは難しい。それぞれには長短がある。また、それぞれの短所を補う方法も工夫されている。それぞれの仕事にはどちらの育成方法が向いているかを考えて伝承の方法が選ばれるべきである。マニュアルという方法では、日本型のきめ細かく臨機応変なサービスの質を維持することが難しいのだろう。また、マニュアルでは、マニュアルを書いた人を超える知恵を得るのは難しい。
京都の花街では、マニュアルではなく、職場での指導・教育という方法が採用されている。まさにオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)である。この形での知恵の伝承には、次の2つのものがとりわけ重要である。
 1つは、仕事場での明確な先輩・後輩序列をもとにした、先輩によるきめ細かい指導である。仕事が終わってから、今日の座敷での立ち居振る舞いのなかでどこがよかったか、なぜよかったか、どこがよくなかったか、なぜよくないのかについての、先輩からの説明は有益である。先輩が示すよい手本から学べることは多いが、先輩がなぜそうしたかの説明をしてやれば、学びの質をさらに高めることができる。現場での訓練では失敗は避けられない。顧客の気持ちが十分に読めないと見当違いの対応をしてしまうこともある。そうした失敗が起こったときには、先輩による臨機応変な取り繕いが必要になる。このように職場での学びは、職場の人間関係のなかで行われるのである。現場で先輩たちに好かれるようにすることも大切である。
 もう1つは、学ぶ側の心構え、姿勢である。学ぶ側に、先輩から虚心に学ぼうとする心構えや、先輩を尊敬する態度がなければいくらよい指導をしても、指導の効果は発揮されない。そもそも、先輩の側に指導してやろうという気持ちが湧かない。先輩をうまく動かせるのは、後輩の姿勢や心構えである。学ぶ側の姿勢や心構えを形成するうえで重要な役割を演じているのは、職場で伝承されている「言葉」だと西尾さんは言い、京都の花街には意味深長な「言葉」が伝えられていると西尾さんは書いている。
最近の若い人々は、マニュアルがないと育てられないと思い込んでいる先輩が多い。そうなるのは、若い人々に日本的育成法が通じないからではなく、学ぼうとする姿勢がうまく涵養されていないためである。祇園の舞妓さんの育成は、中学卒業後の15歳から始められることが多い。それから2年もたたないうちに、お父さんの年代をはるかに超え、おじいさんの年代に近い人々の宴会でも臨機応変な対応ができるようになる。普通に進学していたら高校生の年代だ。これほど若い世代の人々でも、日本式で育て、日本式の臨機応変なサービスができるようになるのだ。先輩から学ぼうとする姿勢が涵養されているからだ。それは花街で伝えられている言葉を通じて伝承されるそうだ。
「○○さん姉さん、おおきに。」「すんまへん。」「おたのもうします。」政府主催の国際会議のレセプションなどでも優美な舞を披露する京都の舞妓たちは、15歳から17歳程度で全国各地からこの世界に飛び込み、約1年間の修業を経て1人前としてお座敶に出ていきます。しかし、この世界で生きていくためには、「京ことば」をマスターし、長唄や三味線、茶道や華道等をたしなみ、顧客の嗜好や要望を見極め、満足度の高いサービスを提供する「おもてなしのプロ」として育つことが必要となります。中学出立ての少女たちは、どのようにしてノウハウを身につけるのでしょうか。
 舞妓たちのキャリア形成などを研究する経営学者の西尾久美子氏によれば、彼女たちは、高度技能専門職として、どのようなメンバーでお座敶に上がっても、一定レベル以上の高付加価値サービスを提供することが求められます。このため、舞妓は、先輩芸舞妓、お茶屋などたくさんの人々からフォローしてもらい、技能を磨くのに役立つ言葉がけを多数受けます。舞妓は、これらの言葉を母親代わりである置屋の責任者に必ず報告し、またアドバイスをもらいます。こうした舞妓が仕事を進めるために、最初に覚えなければならないのが冒頭の3つの言葉だそうです。この言葉は、舞妓に、「この世界で生きるためには、先輩のアドバイスを真剣に聞くことが大事なのだ。」ということを意識させ、常に謙虚さを持たせる意味があります。また、一方で、舞妓の質を維持し、この世界のビジネスや文化を将来に引き継いでいくため、あらゆる芸舞妓たちが積極的に若手育成に関わっていくという育てる側の決意を示すものでもあります。舞妓を一人前にするために、早くからお座敶に出すなどし、若さゆえに失敗すれば、お茶屋さん、先輩芸舞妓が全員で対応し、大きな問題になる前に解決していくのです。今、10代の若者は、自らの将来の姿を見つけ出すことが難しい時代になっている。いや、かつてもそうだったのかもしれないが、経済が成長しているときは、なんとか就職口を探すことはできたが、今は厳しい状況にある。そうした経済環境の中で、コンビニやチェーン居酒屋がアルバイトの吸収先になっている。しかし、その中から本当のサービスとは何かを知り、自らを高めるプロフェッショナルを目指すことは難しい。
 舞妓・芸妓の世界は特殊だが、その世界には長い年月を通じて築き上げられた人材育成の仕組みがある。著者は、この世界で受け継がれている言葉の数々から、プロフェッショナル養成のシステムを探っている。次のような京言葉が紹介されている。
(1)「電信棒見ても、おたのもうします」
 はっきりお顔を知らない方でも、この街の関係者と思う人にお目にかかることがあったら、頭をきちんと下げて挨拶しなさい。技術のレベルが未熟で他の判断基準がない時期だからこそ挨拶は重要である。愛想が良い子と思ってもらうのは、単に気に入られるためでなく、自分の将来を作っていくためである。
(2)「教(お)せてもらう用意」
 教えることは、教えられるほうに、それを受け取る感受性があってはじめて成り立つ。一つひとつは小さなことだが、自分勝手なことをしたら厳しく叱られ、相手を気遣うことができれば、少しずつ「教(お)せてもらう用意」は培われていく。まず、仕事経験を通じて先輩や上司やお客様からいろいろなことを「教えてもらえる」能力、つまり、OJTを受け取ることができる能力、「教(お)せてもらう用意」を伸ばすことで大事である。
(3)「頭で考える前に、おいど動かさんと」
 頭で考える前に、お尻を上げて行動に移さないといけない。どうしたらよいかと自分の頭で考える10分より、周囲の人に聞いて3分で動いた方が早い。
(4)「座ってるのも、お稽古」
 自分が直接教えてもらうことだけが学びではなく、他の人の学習機会に同席できるときもアンテナを伸ばし、自分の得た経験すべてを活用することが大切だ。稽古場に限らず、お座敷の現場で、接客をしつつ、他の芸舞妓さんの様子を見せてもらって、自分の技能を磨きなさい。
(5)「そのままほっとくのが恥ずかしいことや」
 間違うことが恥ずかしいことない、そのままほっとくことが恥ずかしいことや。「うちかて、舞妓はんのときは、すんまへんと、日に何べん言うたのか数えられへんほどどした」と、すっきりした横顔に女らしさが漂う芸妓さんが、後輩の舞妓さんに話しています。
 芸妓さんが「毎日朝から晩まで、何十回も何百回も失敗を繰り返す自分のことが嫌になり、自分は舞妓さんにむいていないと悩んだこともあった」と言うと、うつむき加減の舞妓さんが、はっと顔をあげました。
 この芸妓さんは舞妓さん時代に、「間違うことは恥ずかしいことやない、そのままほっとくのが恥ずかしいことや」と、置屋のお母さんから教わったそうです。「ほっとく」というのは京言葉で「放置する」ということ。つまり「間違うことや失敗することが恥ずかしいことではなく、失敗したことを認め反省せず、そのままでいいと放置することこそが恥ずかしいことだ」と言われたのです。
 「すんまへん」と自分の失敗をその都度認めていると、いつまでたっても上達しない自分にイライラすると同時に、そんな自分を恥ずかしいと思ってしまいます。すると、失敗に気がつきながらも、それを繰り返す自分が情けなくて辛くて、失敗をなかったものとして見逃してしまう気持ちが浮かびます。また、失敗の原因を他人のせいにして自分を納得させてしまえば、それはそれで済んでしまいます。お姉さんやお母さんから指摘されたら、「すんまへん」としおらしく謝ってしまえば事足りる、という思いにもつながります。
 自分が傷つかないようにという思いから「失敗をスルーする」ことは、自分で自分を貶めてしまうだけでなく、これからの歩みに大きな落とし穴を掘ることにもなることを、この芸妓さんは置屋のお母さんから学び、それを新人の舞妓さんに伝えたのです。
「すんまへん」と新人の舞妓さんが言えるのは、自分がした間違いがわかるようになったからです。仕事を遂行する上で自分の力の足りないところが少しずつ理解できるようになり、新人の舞妓さんの能力がアップしている証拠なのです。
 周囲から指摘される前に失敗に気がつけば、当然謝る回数は増えます。辛い気持に流されずに、そこで同じ失敗を繰り返さないように気張れば、技能の向上に弾みがつきます。本人にとっては停滞しているように思える何百回の「すんまへん」は、新人舞妓さんの種が花街という土の中で根を張りだしたサインなのです。
 ここでぐっと踏ん張れば、そう遠くない将来、しっかりした双葉が地面から顔を出すはずです。それがわかっているから、お姉さんやお母さんは、舞妓さんの様子を見守りつつ、根腐れしないように言葉をかけているのです。
(6)「だれの手もかりてしまへん、みたいに思うたらあかんのえ」
 初心忘れるべからず。
(7)「一歩上がると、見えへんことがわかるようなるんどす。
 チームの中でせなあかんことを、ちゃんとわかるように後輩に説明せんとあかんのどす」
(8)「一生、一人前になれへんのどす」
 ずっと一人前になれないと自覚するからこそ、厳しい言葉や視線を投げかける先輩たちの叱咤激励を活かして、自らの技能を磨く道を歩み続ける。
(9)「だれの手も借りてしまへん、みたいに思うたらあかんのえ」
 慢心を諌めるために、天狗になってきた舞妓さんに対して置屋のお母さんが言う言葉だそうです。芸の世界は厳しいのです。中学を卒業した女の子が「舞妓さんになりたい」と京都へやってきて、まずお世話になるのは「置屋のお母さん」。お座敷で助け舟を出してくれるのは「茶屋のお母さん」。現場の失敗をフォローしてくれたり、アドバイスをしてくれるのは先輩の舞妓さんや芸舞妓さんたち。たくさんの人達のおかげであるということを忘れないよう、ということです。鼻高々になっているとき、こうやって注意してくれる人がいるのは幸せですね。そういう人がいなければ、周りの人達から相手にされなくなってようやく気づくということになります。年齢があがってくると注意してくれる人はほとんどいなくなるので自分でよっぽど気をつけなくてはいけませんね。
 こうした言葉の数々からプロフェッショナルが生まれていく。さまざまな分野でこの教育の伝統を再認識していかないと、この国は立ちいかなくなる。文この本からそう伝わってくる。まさに文化や精神のデフレ化は何とか食い止めないといけない。

◆1年間の貿易赤字、過去最大に。
 財務省が発表した去年1年間の日本の貿易赤字は11兆4745億円で過去最大となり3年連続の赤字とななった。輸出はアメリカ向けの自動車などが伸び増加したが、輸入が原油などを中心に過去最大額になったことなどから貿易赤字が膨らんだ。


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◆今日は午前中打合せ。午後から会議で挨拶。その後夕方までデスクワーク。帰宅後今週末に迫った講演原稿の読みこなす。来週には、原稿を出版会社へ持ち込む予定。

<本の紹介>
山田方谷に学ぶ改革成功の鍵http://d.hatena.ne.jp/asin/4896191943

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130127/p1