北茨城市歴史民俗資料館(野口雨情記念館)。野口雨情記念湯本温泉童謡館。そして東京目黒美空ひばり記念館。

北茨城市歴史民俗資料館(野口雨情記念館)http://www.city-kitaibaraki.jp/modules/sight/index.php?content_id=30
 童謡作家の野口雨情は、明治15年、現在の北茨城市の磯原に生また。記念館には、歴史民俗資料館も併設されており、野口雨情のコーナーには雨情の作品や書、著作などが展示されている。雨情交友録として、中山晋平本居長世西条八十北原白秋などに並んで石川啄木が紹介されている。「啄木は……北海道に移住し流浪と貧困の生活を送るが、雨情とは、小樽日報の創業に参加し、同僚として働いて親交を深めた。……」
◆野口雨情記念湯本温泉童謡館http://www.douyoukan.com/oitati.html
 野口雨情(本名:英吉)は、明治15年(1882年)5月29日茨城県多賀郡磯原村(現在の北茨城市磯原町)に長男として生まれました。家は代々水戸藩薪炭奉行を勤め、廻船問屋を営める、世にいう名門でした。 雨情は、磯原尋常高等小学校を卒業すると、15歳で上京し、当事衆院議員として活動していた伯父勝一の家から、東京教学院中学、順天中学、東京専門学校高等科文学科(早稲田大学文学部)に通学しますが、明治35年5月17日の20歳のときに東京専門学校高等科文学科を中退します。雨情が詩を雑誌に投稿しだしたのは、この中退した頃からのようです。 詩人仲間と東京の第一線で華々しくスタートを切った雨情に、父の死去という不幸が訪れました。雨情は磯原に呼び戻され、父死亡に因り、明治37年1月29日より野口家の戸主となりました。22歳のときでした。磯原に帰り家督を継承すると、父が生きている頃から話題に上がっていた花嫁の候補者高塩ヒロと22歳の秋、11月29日の吉日に式を挙げました。ヒロは翌々年の明治39年3月9日に長男雅夫を生みました。雨情は、明治39年6月末に、ついに磯原での生活に耐え切れずに樺太へ渡ります。
 明治44年の秋に、母が死去し、帰郷の潮時がやってきたことを感じるとともに、故郷に帰って実質的な戸主として、先祖からの全遺産を継いでやって行く決心がついたようです。そして、植林事業に精励、大正3年には磯原漁業組合理事となります。この頃、痔疾を癒すため湯本温泉に通い、芸者小すみを知ります。家業傾き入山採炭株式会社の事務員となり、いわき市錦町の祖母の実家滝川家から湯本にある入山礦業所へ通っていました。 芸者小すみは、芸子置屋「柏屋」の女将(本名:明村まち)となり、雨情は「柏屋」で3年半生活します。
大正4年の5月10日に、妻ヒロと協議離婚。6月に2児をひきとり、父と子で生活します。この湯本時代は、雨情の生涯にわたって、子供たちとの唯一の楽しい生活でした。「よいよい横町」「土撞唄」は湯本時代の作品といわれています。
大正7年9月、明村まちと別れ、水戸の中里つるのもとへ走ります。昭和初期から民謡へも情熱を傾け、全国各地の民謡を数多く残しました。昭和20年宇都宮で永眠。63歳でした。
◆東京目黒美空ひばり記念館http://www.misorahibari.com/?p=846
 生前の美空ひばりさんの自宅を公開した「東京目黒美空ひばり記念館」が、一昨日5月28日のオープンし、マスコミ関係者の内覧会が25日、東京・目黒区の同所で行われた。ひばりさんが1989年に亡くなるまで住んでいた場所で、外観も中も当時のまま。使いかけの化粧品、鉛筆も同じ場所に。庭には東京ドームコンサート(88年)の往復にも使われたリムジン仕様のキャデラックもあり、記念撮影も可能だ。住宅地のため完全予約制。最大6人1組で、1日16組まで入場可。ひばりさんが愛用した食卓で甘味に舌鼓を打つこともできる。
 ここに11年前まで住んでいた、ひばりさんの息子で記念館社長の加藤和也氏(42)は「公開する構想は以前からあっても、なかなか実現できなかった。ここは母が『美空ひばり』から『加藤和枝』に戻れた空間」と話す。記念館は94年に京都・嵐山でオープンし、2008年に改装したが昨年5月に閉館。その後ファンから惜しむ声が相次ぎ、自宅公開が決まった。4000人を超える予約が入っているという。

<今日の出来事>
北朝鮮 拉致問題などで全面的調査を約束。安部首相は記者団に対し「ストックホルムで行われた日朝協議の結果、北朝鮮側は拉致被害者および拉致の疑いが排除されない行方不明の方々を含めすべての日本人の包括的全面調査を行うことを日本側に約束した。その約束に従って特別調査委員会が設置され拉致被害者の調査がスタートすることになる。全面解決に向けて第一歩となることを期待している」と述べ、全面的調査を行うことを明らかにした。
このあと菅官房長官が記者会見し、北朝鮮側が特別委員会を設置し調査を開始時点で、日本が独自に行っている制裁措置の一部を解除する方針を示した。一方朝鮮中央通信は「行方不明のすべての日本人に対する包括的な調査を全面的に行うことにした」と伝えた。


<今日のトラックバック>『時給800円のフリーターが3年で年収1000万円に変わる仕事術』(松田 元著)からhttp://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130208/p1
            島耕作流プロフェッショナルサラリーマンとは。そして.「アフリカの成長をとりこめ“チームジャパン”の新戦略」とは
http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130530/p1                            
「自分を磨くとは、自分の心を耕し、成長をさせること。自分の理想に近づけるように少しずつ努力すること。」http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130524/p1
            連続600日達成。今日はサトウハチロー生誕の日。そしてサトウハチロー記念館。http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20140523/p1

                                     

<昨年の今日>今日は長い一日になるかな?http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130529/p1