後藤新平記念館。そして何のために働くのか。

後藤新平記念館 http://www.city.oshu.iwate.jp/shinpei/
 後藤新平自治精神「顧みれば、世界の大戰は、實に文明の大地震でありました。さしも、榮華を誇りたる物質文明も、兵火に焼かれては一たまりもなく、土臺石からぐらぐらと搖り動かされたのであります。これは、各國の國民が、武装的文弱に耽つた必然の刑罰であつて、世界は、こゝにその弊害を目撃するとともに、文装的武備の必要を心から痛感したのであります。僅かの物質的発明に心驕りて、天を侮りたる結果は怖ろしいものである。我等は眞の文明を、築き上げなければならぬ。それは、自治の精神の上に、建てあげられた文明であるといふことが、明らかになつたのであります。
 自治の精神こそは、國家の土臺石であり、社會の柱である。土臺石と柱とがしつかりして始めて健全なる文明が建立されるのであります。
 人の御世話にならぬ樣。
 人の御世話をする樣に。
 そして酬いをもとめぬ樣。
これは、自治の三訣として、私が少年時代から、心掛けて来たモツトーであります。少年團の行くべき途も、このほかにはありません。」
後藤新平(1857--1929年)は岩手県の出身ということになっているが、伊達藩の支藩の出身である。台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、鉄道院総裁、東京市長、帝都復興院総裁、東京放送局総裁と仕事師としての切れ味を髣髴とさせる経歴である。台湾での優れた仕事ぶりがその後の栄達に影響を与えたが、台湾総督は児玉源太郎、民政長官は後藤新平、殖産局長は新渡戸稲造という豪華版だった。新渡戸稲造後藤新平の死去に当たって大阪毎日新聞に「伯は実に智・仁・勇の三徳を程よく兼備した人と思う」と評した。他の新聞記事を見ると「朗らかな政治家」「アイデアと実行の人」との評である。後藤が世に出た最大の要因は、安場保和という胆沢県の大参事(副知事)だった人物である。12歳の新平を見て「この子は将来、参議(大臣)にもなりうる人材だ。新平の性格をたわめることなく伸ばすように指導してもらいたい」と部下であった阿川光裕に命じた。悪童であったこの2人に何度も迷惑をかけて最後は、安場の次女と結婚ししている。また、児玉源太郎伊藤博文など常に大物の後ろ盾があった。重要なポストに就くには、引きが必要だであり、そういう人がいなければ才能を十分に発揮できないということを改めて感じる。後藤は明治の元勲のおおらかさの中で仕事師としての実力を十分に発揮した。後藤には「大風呂敷」という評価がついてまわるが、15年先が見えるので、世人の誤解、先輩の反対を受けると自分でも言っており、「遠眼鏡 一人で持てば 罪つくり」との歌も詠んでいる。
 何事も方針が明快であるのも新平の特徴である。
 ・鉄道院総裁時の執務要領三訣 敏速 精確 明快
 ・ボーイスカウト総裁時の自治三訣 人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう そしてむくいを求めぬよう
 板垣退助「あの男は医者にしておくのはもったいない」
 ビスマルク「見たところ君は、医者よりも政治に携わるべき人間である」
 処世訓 妄想するよりは活動せよ 疑惑するよりは活動せよ 説話するよりは活動せよ
 波乱万丈、豪華絢爛、天衣無縫と言われた後藤は「話のたね」が多かった政治家も珍しいと言われる。滑稽で、愉快で颯爽とした人物だったろうと感じられる。天真爛漫な新平の戒名が「天真院殿祥山棲霞大居士」というのも、なんとなくわかるような気がする。

<昨年の今日>「何のために働くのか」。http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130604/p1
◆寺島さんは語る。6月に新書「何のために働くのか」。アベノミクスの危険な構造。先週は外人は売らなかった。日本人が売り逃げ。危うい構造。プチナショナリズムと思考停止。来週の「世界」に「アベノミクスの本質と日本のイスラエル化」、「潮」にカンサンジュンとの対談。縁を大事に。私という存在を徹底的に吸収して乗り越えて。リベラル(相対的)に。いろいろなアソシエイションで知的ネットワークの必要性。自分に問う。何のために働くのか。自己実現なんてかっこの良いものではない。最近目標を失ってきている感がする。これからの自分のありようをどうするのか疑問を感じる。どうしようもない日々を過ごしている。