東日本太平洋側 あすにかけ 激しい雨のおそれ。再び「京都花街の経営学」と「野心のすすめ」

◆東日本太平洋側 あすにかけ 激しい雨のおそれ。高知・黒潮町などで記録的大雨を観測。四万十町窪川では24時間の雨量を528.5mmを記録した。雨雲は東へ移動し、三重・尾鷲では51.5mmの雨量を観測した。東海・甲信越や伊豆諸島など東日本の太平洋側 あすにかけ 激しい雨のおそれ。また、四国や近畿では局地的に雷雨になるとみられる。週末にかけては関東・東北南部で雨が降りやすい状態となる。今週までで、沖縄・奄美、九州、四国、中国地方、近畿、東海、関東、北陸、甲信越までが梅雨入りした。今回の梅雨はエルニーニョ現象により長引くとみられる。

◆分党を決めた日本維新の会は、所属議員に今日までに石原新党と橋下新党のどちらに所属するのか意思表示するよう求めていた。石原新党に参加する議員が23人、橋下新党に参加する議員が37人となることが決まった。

◆「京都花街の経営学」(西尾久美子著)
 京都で舞妓さんに出遭うと、そこにいる観光客の男性たちは、老いも若きも、外国人でも、皆デレ〜として、鼻の下が伸びる表情になっています。男を虜にする舞妓さんの魔力とは何なのでしょうか。考えてみれば、舞妓さんは、水商売なのに、憧憬と畏敬の念で見られています。その域にまで至った歴史的経過や仕組みがどうなっているのか、前から興味がありました。
・「花街」(はなまち/かがい)というのは、芸妓さんや舞妓さんが住んでいて、彼女たちと遊べる店がある街のことを指す。京都にはこのような「花街」が5つあって、「五花街」(ごかがい)と呼ばれている。そのうち4つの花街は徒歩20分以内、遠いところでも車で20分程度という狭い範囲にある。それぞれが独自の特徴を維持して、上手に共存している。この「五花街」には、昭和の初め頃、芸妓さん・舞妓さんが1800人ほどいた。しかし、戦後から急激に減少をし、2010年時点では、芸妓さんが200人程度、舞妓さんが90人程度といった規模になっている。ただし、90年代半ばくらいから芸妓さんの人数は横ばい、舞妓さんの人数は30年ほど前から増傾向になっているのが特徴。ここ10年ほどは、芸妓さんは200人前後、舞妓さんは約80人でほぼ横ばい。ここ数年、京都花街にデビューする芸舞妓さんの数は毎年20〜30人程度。
・昭和初期には、東京で7500人、大阪で5300人いたといわれる芸者さん(東京などではこの呼称が一般的)は、現在それぞれ3百人、20人程度に減少。しかもその傾向が上向く兆しは見えていない。それぞれの人口や経済規模を考えると、その存在感が著しく減退している。こうして見ると、京都の「五花街」が業界として上手に生き残っている。
・お座敷で芸舞妓さんたちと2時間遊んだとすると、その花代は、1人25000円〜30000円程度。
・彼女たちは、夕方6時から夜の12時ごろまで平均3〜4つのお座敷を務める。だいたい1人当たり1日10万円の売上。お昼の写真撮影会など長時間拘束される日もあるので、平均すると、1日当たりの売上は12万円程度になる。
・芸舞妓さんたちの花代は、置屋を出かけたときから帰宅するまでの移動時間にもかかる。つまり、(移動時間+お座敷での時間)×時間単価=花代という計算方法が原則。
・花代以外にも芸舞妓さんたちへのご祝儀も必要だが、お座敷の条件や呼ぶ芸舞妓さんによって異なる。
・芸舞妓さんたちは年間で300日程度はお座敷にでて、稼働率を80%程度とすると、芸舞妓さん1人当たりの年間総花代は、12万円×300日×0.8=2880万円という計算になる。京都花街の芸舞妓さんの人数は2007年現在273名なので、花代の総売上規模は80億円弱と推計できる。
お茶屋で消費される料理や飲み物代にお座敷のしつらえの経費、芸舞妓さんたちの着物、帯、履物、袋物、かんざしなどにかかる費用、髪結いさんや男衆さんたちへの支払い、芸舞妓さんたちの芸事のお稽古にかかる費用を含めると、花街全体で花代の数倍の金額が動いている。
・年季(一人前になる修業期間)の間は、舞妓さんの生活費の面倒もお稽古にかかる費用も、また高額な衣装も、すべて置屋が面倒を見てくれる。置屋のお母さんが愛情、専門的知識、金銭的な資本を注いで、数年かけて一人前の舞妓さんに育て上げる。
・舞妓さんは、まず「日本舞踊」の習得が求められ、女紅場(技能訓練の学校)やお師匠さんの個人稽古など、徹底的に基礎訓練を受ける。
・お座敷芸での「日本舞踊」は、「踊り+楽器の演奏+唄+お座敷のしつらえ」=「もてなし」の芸事として成立する。舞妓さんたちは芸事の習得に励むだけでなく、お客をもてなす気配りも学び、「座持ち」に秀でないと一流になれない。
・舞妓さんを数年つとめ、年季期間を終えた後、芸妓さんとなり、22、23歳で置屋から独立することが多い。置屋さんから独立した芸妓さんを「自前さん」と呼ぶ。
・「体を売る」といったことは、現代では全く行われていない。芸舞妓さんたちに「水揚げ」のような間違ったイメージが、日本だけでなく世界中に流布していることは残念。
お茶屋とは、芸妓さんや舞妓さんを呼んで遊興する場を提供する店。お座敷をコーディネートする職業。
置屋とは、芸妓さんや舞妓さんをお茶屋さんへ送り出す芸能プロダクションのようなところ。置屋から見れば、芸舞妓さんたちは、抱えるタレントのような存在。
・一見さんお断りとは、現代の言葉で言えば、会員制ビジネス。
・一見さんお断りが生まれた背景には以下の3つのポイントをあげることができる
(1)債務不履行の防止(2)顧客情報にもとづくサービスの提供(3)生活者と顧客の安全性への配慮。これは、「京都の花街は敷居が高い、」というイメージにつながっているが、しかし、サービス提供の構造を理解すると、これは非常に合理的な仕組みだといえる。
具体的には「お茶屋さん」が、お客様に満足していただくお座敷をプロデュースするためには、そのお客様のことをよく知っている必要がある。しかし、「一見さん」に対しては、どういうお座敷を用意したら良いかが、まったくわからない。相手のニーズがわからないままにいい加減なサービスを提供したら、自分たちの評判が下がってしまう。そのリスクを回避するために、あらかじめ好みを把握できるお客様=一見ではないお客様、にサービスを限定している。
お茶屋のなじみ客となることは、取引関係における安全性はもちろん、氏素性、マナーもきちんとしていると認められたことになる。お茶屋遊びは信頼の証であり、一つのステータスとなる。
・一見さんお断りの京都花街のもう一つのルールは「宿坊」というルール。お客は一つの花街につき一軒だけのお茶屋を窓口として遊ぶという暗黙の了解のこと。顧客がよそのお茶屋のお座敷を希望したら、その希望を優先する。
・これらのルールがあるからこそ、「よそのお座敷」を顧客に紹介し、顧客の選択肢の多様性を確保し、お茶屋同士が競いながら営業機会を逃さないという花街全体のしくみが成り立っている。
・花街は遊びの世界であるが、顧客に対して、お座敷遊びの手ほどきだけでなく、大人としてのマナーや文化的教養を伝え、人付き合いの機微など、お金や地位だけでは尊敬されることがないビジネス世界で生きていくための教育もなされている。
・芸舞妓さんの一生、キャリアの流れ
(1)仕込みさん(舞妓さんとしてデビューするまでの約1年間の修業期間)
(2)見習いさん(デビューする日が決まって、約1カ月の実地研修期間)
(3)見世出しから1年間(デビュー後1年は長い花のかんざしや下唇に紅をさし、新人舞妓と一目でわかる)
(4)舞妓さんになって1年後(場に応じた受け答えなど求められる)
(5)舞妓さんになって2〜3年後(大人びた雰囲気の日本髪を結い、後輩の面倒も見る)
(6)「衿替え」して芸妓さんになる(かつらを使うようになり、お座敷での段取りが求められる)
(7)自前さん芸妓さん(5〜6年の年季期間を終え、一人暮らしを始め、日本舞踊の立方か三味線や唄の地方のどちらかを選択)
(8)廃業後のキャリア・パス(自分の意思でいつでも廃業でき、廃業後は花街の経営者になることが多い)
・新年の歌舞練場での始業式では、舞や邦楽も披露されるが、それだけが式の目的ではない。前年の売上成績のよいお茶屋、芸妓さん、舞妓さんを表彰する。ランキング上位の芸舞妓が金屏風の壇上で表彰状を受け取る。
・芸舞妓さんたちの花代の売上は「見番」を通して管理されている。芸舞妓さんの花代ランキングだけでなく、お茶屋の花代の売上も発表される
・見番を通さずにお茶屋置屋が取引することは花街では認められていない。見番を通すことで、取引の癒着を避け、ダンピングなど価格が崩れないようなシステムができている。花代からは一定の割合の金額が、組合や学校の運営費にもあてられ。この公正さが花街のコミュニティの維持運営に欠かすことのできない大切なポイント。
・芸舞妓さんたちの公式な技能育成の場は、祇園甲部の「八坂女紅場学園」、先斗町の「鴨川学園」、宮川町の「東山女子学園」の3つ。日本舞踊、長唄・小唄・常磐津などの邦楽の唄、三味線・鐘・太鼓・鼓・笛などの邦楽器の演奏が教えられ、さらに立ち居振る舞いの訓練になる「茶道」も必須科目
・同じ型を学んだ、花街の芸舞妓さんであれば、お座敷の場で、「型」が揃った美しい技能の発露ができ、集団としての芸の質向上にもつながっている
宝塚歌劇団の設立者である小林一三は、花街で遊興していたので、花街の芸舞妓育成の学校制度を参考にして、宝塚少女歌劇に学校制度を導入した。
お茶屋が接待の場になることが減り、お座敷の需要は減少しているが、お座敷以外の場所や観光分野で芸舞妓さんたちは活躍し、花街の売上に貢献している
・分業化による「品質維持」のメカニズム
 花街では、長い間、お客様の好みや、その時々のニーズに応じたものを柔軟に揃えられるように、独立した専門家たちが共同してサービスを提供するという形がとられてきた。このやり方は、江戸時代くらいまでは全国の花街で共通だったようである。しかし、東京では、時が経つにつれて、料亭が、場所の提供から料理、芸妓(芸者)まで、すべてを自前で抱えるようになった。大阪では、大規模な料亭が芸妓育成の学校を併設した。けれども、その流れに京都は乗らなかった。実はこのことが、現在の明暗を分けていると考えられる。京都は、明治維新までは文化の中心であった。しかし、維新で皇室が東京に移ってしまったため、経済・政治の中心でないだけでなく、文化の中心でもなくなった。つまり、放っておいてもお客さんが来てくれるという環境ではなくなった。そこで改めて「分業化」による品質の維持ということを強烈に意識したのではないか。すべてを内製化してしまうと、質の競争がなくなってしまうから。現在、京都の花街の構造は、サービスの提供側という括りでみると、四つのグループに分けて考えらえる。「お茶屋さん」「置屋さん」「料理屋」「しつらえ提供業者」です。これらを、ビジネス的な言葉で説明すると、
 ①「お茶屋さん」 → イベントコーディネート・プロデュース会社
 ②「置屋さん」 → 育成機能をもった「人事部」アウトソーシング会社、タレント・プロダクション。
 ③「料理屋」 →  ケータリング会社
 ④ 「しつらえ提供業者」  → インテリアコーディネイト会社
といったところ。それぞれは完全に独立して商売を営んでいる。その中で、プロデューサー・コーディネーターである「お茶屋さん」が、顧客のニーズや好みに合わせた組合せを考え、ひとつのお座敷をコーディネートしていく。「お茶屋さん」が繁盛するかどうかは、お客様が提供されたサービスにどれだけ満足したか、にかかってくる。「お茶屋さん」は、各専門家から提供されるサービスの品質にはとても敏感。「置屋さん」「料理屋」「しつらえ提供業者」は、常にそうした厳しいチェックの目に晒されているから、自分たちの専門分野で質の高いサービスを常に提供し続けるために、努力を怠ることはできない。
・まず、京都の花街の世界が、全体として相互評価の上に成り立っている。相互チェック・相互評価というのは非常にシビアな世界。その中で新人を育成していくためにうまく役立っているのが、「舞妓さん」という仕組み。
1. 仕込みさん
 舞妓さんとしてデビューするまでの約1年間の修業期間のこと。舞妓さん候補は、中学卒業後、身のまわりの簡単な手荷物だけで置屋さんでの住み込み生活を始める。この期間に舞妓さんとしての基本的な行動規範や伝統的な芸事のスキルを身につける。服装は普段着、お化粧もしない。
2. 見習いさん
舞妓さんとしてデビューする日が決まると、研修をさせてくれる「見習い置屋」に毎日通い、お座敷を見学させてもらう。その期間約1カ月。髪は地毛で日本髪を結い、着物は舞妓さんとほぼ同じものを着るが、帯の長さなどで、はっきりと「見習いさん」であることがわかる。
3. 舞妓さん
見習い期間を終えると、正式に舞妓さんとしてデビューする。ここから約4,5年、OffJT(芸妓さん、舞妓さんのための学校があります)、OJTの組合せでスキルアップをしている。着物は振りそで、帯は「だらり」と呼ばれるもの、髪には花かんざしをつけ、履物は「おぼこ」。ただし、経験年数に合わせて、着物、かんざし、化粧などがだんだんと、大人びた雰囲気のものに変わっていく。
4. 衿替えをして芸妓さんに
舞妓さんになってから4、5年目、20歳前後で芸妓さんになります。芸妓さんになるとかつらを使うようになり、花かんざしもささない。また、着物も振袖から短い袂のものに、帯もお太鼓、履物も草履や下駄になり、大人としての美しさを表現する装束になる。
5. 自前さん芸妓さん
通算約5〜6年の年季期間があけると、「自前さん」と呼ばれる、言ってみればインディペンデントコントラクターの芸妓となる。置屋での住み込み生活を終え、自分で生計を立てていく。その後、立方と呼ばれる日本舞踊専門の芸妓になるのか、地方と言われる三味線や唄の専門の芸妓になるのかを選択することになる。もしくは、芸妓をしながら自分の店を兼業したり、置屋お茶屋になっていく人もいる。いずれにしても、自分の得意分野を知って、キャリア選択をすることになる。
 こうした舞妓−芸妓のステップアップがある中で、まず服装や身だしなみで、今彼女たちがどのような段階にいるのかが明確にわかるような仕組みになっている。例えば、下唇にしか紅を差していない舞妓さんの写真を見たことがありませんか?あれは、1年目の舞妓さん。誰にでもわかる「初心者マーク」が付いている。しかもそれは、15歳なら15歳なりの美しさやかわいさが引き立つように工夫されている。そこで、相互評価の時にも、その時点で求められるものに対してどうか、という評価がしてもらえるようになっている。

林真理子著『野心のすすめ』(講談社)。「有名になりたい」「作家になりたい」「結婚したい」「子どもが欲しい」というあらゆる願望を叶えてきた林が、昨今“野心が足りない”と揶揄される若者たちへ「“高望み”で人生は変わる」と訴える人生論だ。
 いじめられた中学時代に、四十数戦全敗に終わった就職活動。“お金もなければコネも資格も美貌もない”どん底人生を自らの手で切り拓いてきた彼女の「野心力」はハンパなものではないが、そんななかでも、とくに「野心家すぎる!」と唸ってしまうのが、80年代に松田聖子を使った“早すぎるステマ”エピソードだ。当時、松田聖子の著書『青色のタペストリー』(CBSソニー出版)の構成を担当したという林。この本のなかで彼女は、松田聖子がさも話したように、「最近出た、林真理子さんの『ルンルンを買っておうちに帰ろう』っていうエッセイは、お仕事で一冊いただいたんですが、現代の女の人の気持ちがあんまりストレートに出ているんで、びっくりしてしまいました」と書き、「自分の本を宣伝」したというのだ。なんでも出版社の人に「書いちゃいなよ」と言われて「ついつい調子に乗ってしまった」そうで、「せこいことしたよなぁと今では恥ずかしく思って」いるとのこと。しかし、本人も原稿チェックをしていたはずで、それでもスルーした聖子に対して「さすがスター聖子、太っ腹ですよね」と綴っている。これが現代であれば、全力で「ステマだろ!」とツッコミを受けてもおかしくはないが、そんなせせこましい関係でも時代でもなかったのだろう。ともかく、「面白そうだと思ったことは、恥をかいてでも、とりあえずやってみる」ことが大事なようだ。
 「とにかく有名になりたくて仕方がない女の子でした」と過去を振り返るように、林といえば前出の『ルンルン〜』が売れてからは積極的にテレビに出演し、いまは真木よう子が出演しているフジテレビのキャンペーンガールを務めたことがあるほど。当然、「野心家だからさー」「あそこまで売り込めないよねー」などと悪口を言う人も多かったそうだが、そんな人々に対しては「成功した人を貶めようと負け惜しみを言う人間は、自分がどんなに卑しい顔をしているのか知らないのでしょう」とバッサリ。田舎者を馬鹿にし「恥ずかしいから目立ちたくない」と言うような東京人にも「そんな言い訳をしているだけで何者にもなれないのは、才能と努力が足りないだけではないでしょうか」と切り返す。野心を隠さない、悪口や陰口もものともしない。この「空気を読むなんてもってのほか!」というべき姿勢こそ、いまこの本がウケている理由なのだろう。
 「人は自覚的に“上”を目指していないと、“たまたま”とか“のんびり”では、より充実感のある人生を生きていくことはできないのです」と断言する本書。どうすれば野心をもつことができるか、そして野心をもつとどんないいことがあるのか……人生に行き詰まりを感じている人は、ぜひここで野心の達人・林真理子に習ってみてはいかがだろうか。
若者よ、写真を見よ、高望みせよ。「“高望み”で人生は変わる」。そんな帯の惹句(じゃっく)を、写真のインパクトが上回っている。若かりし著者の、射るような目を見よ。今どき、こんなふてぶてしい顔の若者がいるだろうか。これから何かを成そうとする顔、と言ってもいい。「とりあえず食べていける」世の中で、低め安定志向の若者が増えていることに、著者は警鐘を鳴らす。小説『下流の宴』にも通底する危機感だが、本書は著者初の人生論として、夢や志をどう実現させるのか、自身の例をもって解き明かす。
 「四十数戦全敗に終わった就職試験」「お金、コネ、資格、美貌…ないない尽くし」からの出発。身の程を知るのが美徳とされる日本社会で、野心を持ち努力し続けることは簡単ではない。それでも著者は言う。「やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる」
 バブル崩壊後に社会に出た世代には、著者の欲望や価値観に正直、ズレを感じるかも。しかし野心こそが人生を、社会を活性化させる動力だと確信できる。著者も書いているように,野心というと,日本社会ではどこか悪いことのように言われています。しかし,そういうことを気にしていてはいけないということです。野心という言葉が悪ければ,「大志を抱け」と言い換えることもできます。勘違いしているのでは,と言われるくらいの大志をもって生きていけば,何とかなるという力強いメッセージは,ぜひ若者に届いてほしいところです。この本は,かなりの部分は女性に向けられています。安易に専業主婦になってしまって安定を得たと錯覚してしまっている人,あるいは仕事一筋に独身を通してやってきた女性などには辛辣な部分も含まれています。でも,著者は,そういう女性を軽蔑するというのではありません。他人はどうあれ,自分はそうなりたくはなく,どん欲に仕事の成功も恋も夫も子供も,そして良い暮らしもカネも名誉も得たいという「野心」をもち続けるのです。若いころどん底状態にいた林さんは、どんなことを考えていたのでしょうか。まずは、冒頭のこんな言葉から。<自分の身の程を知ることも大切ですが、ちょっとでもいいから、身の程よりも上を目指してみる。そうして初めて選択肢が増え、人生が上に広がっていくんです>一方で著者は、現在の日本人を憂いて、こんなことを言っています。<いま、「低め安定」の人々がいくらなんでも多すぎるのではないでしょうか>
もし、740円が惜しいと思うなら、著者のこんな言葉を。<せこい人にはせこい人生が待っている>時には思い切って自分に投資してみる、人生のどこかで思い切り努力してみる。
『野心のすすめ』という、いかにも林さんらしいタイトルがついていますが、中身も野心全開です。いじめられっ子だった山梨の中学時代、就職活動で四十数戦全敗の日々、売れっ子だった糸井重里さんを肴にクダを巻いていた三流コピーライター時代…。屈辱の履歴書と、そこから著者がどうやって這い上がったか、その軌跡を追った、じつに興味深い半生記です。
【ポイント】
1.自分を信じて挑戦を続ける
 私にはかつて、40社以上の会社から就職試験ですべて落とされ、アルバイトで食いつないだ貧乏時代がありました。お金はないし、男もいない、定職に就ける見込みも何もなかったけれど、常に自分の将来を見据えながら、自分を信じて挑戦を続けてきました。ですから私は、若い人たちが次のステップに進もうとして、一生懸命努力している姿を見るのが大好きです。駅のホームで、見るからに新入社員といったぎこちないスーツ姿の若者が、慣れない敬語を使いながら携帯電話の相手に一人でお辞儀していたり、必死で頑張っているのを見ると、思わず涙が出てきそうになる。「がんばれ、がんばれ」と声をかけたくなります。いまの自分はまずいなぁという状況なら、思い切って「河岸を変えてみる」こと。自分を信じるということは、他人が自分を褒めてくれた言葉を信じるということでもある。どんな仕事であれ立場であれ、何よりもの充足感を得られるのは、「自分の代わりがいない」という確信を、社会の中で得られる時ではないでしょうか。人生に手を抜いている人は、他人に嫉妬することさえできない。野心を持って努力をし続けるのは、本を読むことにも似ています。本を読み始めると、自分はどれほど無知なんだろうとか、この分野を知らないのはまずいなぁとか、この先また別の本を読んでみたいなと思う。努力をする人にはいろいろなページが開いてくるんです。どん底時代をどういう心持ちで耐え抜いたかというと、「いまに見てろよ」っていうような不屈の精神ではないんです。「おかしいなぁ・・・・・・私、こんなんじゃないはずなんだけど」という「???」の思いでした。たとえ根拠が薄い自信でも、自分を信じる気持ちが、辛い局面にいる人を救ってくれるということはあると思います。(p88)
2.屈辱感は野心の入り口
 健全な野心を持つための第一歩は「現状認識」だと思います。いまの自分は果たして楽しい人生を送っているのか、楽しくないのか。自分に満足しているのか、満足していないのか。それを自覚するのはとても重要なことです。たとえば、冴えない大学だから就職で差別されたとか、有名な会社に入れなかったから合コンでモテなかったとか。第二、第三志望の大学にしか入れなかったとき、あるいは思うような仕事に就けなかったとき。そこで世の中のヒエラルキーの存在に身をもって気づく――。その屈辱感こそ野心の入りロなのです。二流や三流の人々というのは、自分たちだけで固まりがちなことです。私が三流コピーライターだった頃の話です。三流の仲間と新宿に呑みに行っては、当時から大スター的存在のコピーライターだった糸井重里さん(その後たいへんお世話になるのですが)を肴に、「糸井はさー」なんて呼び捨てにして、すっかり業界人ぶってクダを巻いていた時代がありました。ああ、分不相応なところに来てしまったんだな、と少し後悔したのと同時に、いつか絶対に帝国ホテルで一人前に扱われる人間になりたいと思う心が強く芽生えました。私は思います。「若いうちの惨めな思いは、買ってでも味わいなさい」と。こうして一流の面白い人たちに出会うと良いことは、自分もその一流の仲間に入りたい、この面白い人たちと一緒のところにずっといたい、と強く思うようになることです。(p53)
3.「やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる」
 やってみる価値がある、面白そうだと思ったことは、恥をかいてでも、とりあえずやってみる――正確にいうと、恥うんぬんを考える前に行動してしまっているわけですが。
 取り返しがつかない、という意昧では、やったこともやらなかったことも同じです。やってしまった過去を悔やむ心からはちゃんと血が出て、かさぶたができて治っていくけれど、やらなかった取り返しのつかなさを悔やむ心には、切り傷とはまた違う、内出血のような痛みが続きます。内側に留まったままの後悔はいかんともしがたいものです。
4.野心は「前輪」、努力は「後輪」
 一流の、業界で力を持つ人に食い込んで行くことも実力のうちですが、まずは食い込むための実力を自分がどんな形であれ発揮しなければなりません。
「今のままじゃだめだ。もっと成功したい」と願う野心は、自分が成長していくための原動力となりますが、一方で、その野心に見合った努力が必要になります。
 野心が車の「前輪」だとすると、努力は「後輪」です。
 前輪と後輪のどちらかだけでは車は進んで行けません。野心と努力、両方のバランスがうまく取れて進んでいるときこそ、健全な野心といえるのです。(p31)
5.自分に与えられた時間を思い描く
 野心を持つことができる人とは、どのような人なのでしょうか。それは、自分に与えられた時間はこれだけしかない、という考えが常に身に染み付いている人だと思います。私が最近の若い人を見ていてとても心配なのは、自分の将来を具体的に思い描く想像力が致命的に欠けているのではないかということです。時間の流れを見通すことができないので、永遠に自分が20代のままだと思っている。フリーターのまま、たとえば居酒屋の店員をずっとやって、結婚もできず、40代、50代になったときのことを全く想像していないのではないか、と。より具体的に言えば、「このまま一生ユニクロを着て、松屋で食べてればオッケーじゃん」という考え方です。せこい人にはせこい人生が待っている。
6. 野心をもつには妄想力がバネになる
 最近は欲のない人が増えているそうです。林さんは健全な野心をもつことをすすめています。野心をもつには妄想力がバネになるのだと言います。妄想力とは、想像力よりもさらに自分勝手で、自由な力。現実からは途轍もなく飛躍した夢物語を、脳内で展開させてみるのです。秘密の花園でこっそり花を育てるように。妄想は自分を引き上げてくれる力になります。作家であれば物語を書けるし、作家でなくたって、自分の人生のストーリーを紡ぎだせるようになる。(P176)
 妄想力を鍛えるためには読書がいいのだそうです。それに、読書って、ひとりでやっていて惨めに見えない、数少ない趣味でもあります。本を読む楽しみを知っているのと知らないのとでは、ひとりで過ごす時間の充実度が違ってくる。人が電車の中で携帯メールを打っている姿と、文庫本を読んでいる姿では、圧倒的に後者のほうが素敵ではありませんか。(P179)
7.自分に投資する
 もちろん、半径5メートルの中で暮らしていて、そこで職人的にひとつのものを極めていく生き方もあります。しかし、いろいろなところに出かけて行って、何かを観るために費やしてきたチケット代であるとか、さまざまな国や地方に行った旅行代金は、人としての魅力や人気を高めてくれるお金であると私は思います。
 最近は、若い人がみんな貯蓄に走っているらしいですね。先の見えにくい世の中だから気持ちはわかります。この浪費家の私だってようやく老後に備えて貯金をするようになったんですから。でも、たまには気前良く、観たいものを観に行ったり、自分に投資することは必要ではないでしょうか。せこい人にはせこい人生が待っているのです。
8.悔しい気持ちをパワーに変える
 人に否定されたら、悔しい気持ちをパワーに変えてしまいましょう。凹んでいるだけでは、悪口を言った憎たらしい相手の思うツボではありませんか。「今に見てろよ、」と思う打たれ強さを意識的にでも持ちたいものです。
 当時の私も、こうなったら、林真理子の悪口を言うのはもう嫉妬にしかならないからみっともないよ、というところまで自分は上っていかなければならないと覚悟を決めました。その具体的な第一目標はやはり直木賞を取ること。実際に、直木賞候補になってから、「才能なんてこれっぽっちもない女」という悪口は少しずつ消えていったんです。ここで注意したいのは、やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる。想いがかなえられずもがき続けている不幸は本人には辛いですが、林さんからみると明るい爽快感があるのだそうです。それは「走っている不幸」だからだそうです。本当に恐ろしいのは何を欲しているか分からない「止まっている不幸」だといいます。それに比べると、何が欲しいかはハッキリとわかっている「走っている不幸」にはいつか出口が見えてくる。走ることを知っている人たちは、諦めるということも知っています。実際に、運が悪い人とは見切りが悪い人でもある。いまが楽しくないなら、何かを切り捨てることだって必要です。「新規まき直し」をして、生き方を変えることは運の強さにつながっていきます。(P181)

<昨年の今日>「今日のテーマは、西尾久美子さんにみる『舞妓の言葉――京都花街、人育ての極意』」http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130605/p1