太宰治生誕の日。太宰治記念館「斜陽」。太宰治文学サロン。そして通算799日目。

◆桜桃忌,太宰治生誕祭。
 1948年のこの日、6月13日に自殺した作家・太宰治の遺体が発見された。6月13日、太宰治が戦争未亡人の愛人・山崎富栄と東京の玉川上水に入水心中し、6日後の19日に遺体が発見された。また、19日が太宰の誕生日でもあることから、6月19日は「桜桃忌」と呼ばれ、三鷹市禅林寺で供養が行われる。その名前は桜桃の時期であることと晩年の作品『桜桃』に因む。また、太宰治の出身地・青森県金木町では、生誕90周年となる1999年から「生誕祭」に名称を改めた。今年は生誕105周年を迎える。
太宰治記念館「斜陽館」http://www.city.goshogawara.lg.jp/16_kanko/dazai/syayoukan.html
 明治の大地主、津島源右衛門太宰治の父)の手で建設された入母屋作りのこの建物は、明治40年米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使い、当時のお金で工事費約4万円をかけて造られた。階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の豪邸である。太宰はこの家を「苦悩の年鑑」の中で「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いている。この豪邸も戦後になって津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として旧金木町の観光名所となり、全国から多くのファンが訪れていた。しかし、平成8年3月に旧金木町が買い取り、旅館「斜陽館」は46年の歴史に幕を降ろした。
太宰治文学サロンhttp://mitaka.jpn.org/dazai/
 作家・太宰治は、38歳という短い生涯の中で昭和14年9月より三鷹下連雀に家族とともに移り住み、疎開期間を除いて約7年半を過ごしている。三鷹はまさに、太宰治の創作活動の拠点となった地と言えるでしょう。太宰治文学サロンは平成20(2008)年の歿後60年と翌年の生誕100年を記念して、太宰が通い「十二月八日」に登場する、伊勢元酒店の跡地に平成20年3月に開設された。館内では定期的に企画展示を開催し、直筆原稿の複製や初版本、初出雑誌など様々な貴重な資料を公開している。

<本の紹介>
玉川上水情死行―太宰治の死につきそった女http://d.hatena.ne.jp/asin/4878934689
・斜陽 (新潮文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/4101006024

<今日のトラックバック>「来年の干支。暴れ馬の年。どう乗りこなすのか。」http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131129/p1

<昨年の今日>「今日は桃源忌。」http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130619/p1