川端康成 恋人に宛てた手紙。『“逆転の発想”で客を呼ぶ!』

<今日のニュースから>
川端康成 恋人に宛てた手紙。手紙に込められた思い。
 ノーベル賞を受賞した作家である川端康成の学生時代の恋人とのやりとりが明らかになった。映画『伊豆の踊子』の原作は、川端康成が学生時代の思い出を元に書いたもの。川端文学に登場する女性像に大きな影響を与えた伊藤初代さんは、福島の貧しい家庭に生まれ幼いころに母を亡くしている。 川端康成は幼くして親を亡くした伊藤初代さんに自分を重ね、心を惹かれていった。そして二人は婚約を決めたが、その後初代さんから婚約を破棄された。今回二人が交わした11通の手紙が見つかった。森本穫さんは「貴重な発見だと思います」などと話した。
 11通の手紙の内10通は伊藤初代さんが川端へ宛てたもので、初代さんの純粋な気持ちが綴られている。住み込みで暮らしていたカフェが閉店し岐阜で暮らすことになった初代さんは東京の川端と手紙のやりとりをしていた。川端が岐阜を訪れ結婚を申し込んだときの様子が小説に書かれている。小説には「もらっていただけるのであれば私は幸福です」と綴られていた。川端の家に残された一通の手紙は初代さんから手紙が帰ってこないことを心配するという内容。しかしその後、婚約破棄する手紙が初代さんから送られると、当時の心境について川端はのちに「幾年も尾を引いた」などと記している。
川端の実らなかった恋の経験は、その後の川端文学の方向性を決定づけたと専門家の森本穫さんは指摘している。初代さんは川端と別れた後、結婚し子供にも恵まれた。初代さんの息子の桜井靖郎さんは今回の手紙について「川端康成は本当に誠実に母を愛してくださったと思う」と話した。今回の手紙の一部は岡山県で始まる川端康成ゆかりの美術品の展覧会で公開される。

◆『“逆転の発想”で客を呼ぶ!』(2014年7月8日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京ガイアの夜明け」より)
 東京・中野区鷺宮にあるはらだ電機の店長・原田さんは一日の売上の結果が良くないと話した。売れるのは小物ばかりで家電製品はたまにしか売れないという。店を出た原田さんは近所の団地で出張工事や修理の仕事で店を支える。はらだ電機は1963年に開業、80年代には年商1億円を超えることもあった。鷺宮周辺の電器店は3店だけ。町の人は店に入ったこともないと口にした。原田さんは生き残りをかけて新たなチャレンジを試みようとしていた。町の電器店でも量販店並みの価格で販売できる画期的なシステムがあるという。今までになかった発想で客を呼ぶその様々な挑戦を追う。
 愛知県西尾市幡豆地区にあるコスモスベリーズはず店には客が多く訪れる。店長の三田さんは店の奥は消耗品の倉庫にしていると説明した。店では店員と女性客がカタログを見ながら冷蔵庫を注文。かつては一般的な電器店だったが去年11月に今のスタイルに改装し売上を3割増やした。まず客を呼びこむために店ではパソコン教室を開いている。パソコン教室に通うため店を訪れる榊原さんは教室を終えて商品を買って帰ることもしばしばあるという。店から車で10分ほどのところにすむ榊原さんは様々な家電製品をあの店で買っている。榊原さんは店は以前は高かったが今はヤマダ電機と同じ値段で他所に行く意味が無いと語った。町の電器店が量販店並みの価格で売ることが出来るのか、その仕組を追いかける。店長は客から注文を受けるとヤマダ電機へ向かった。メーカーのカタログで2万円の商品の注文を受けると店長の三田泰久さんはすぐにヤマダ電機 テックランド蒲群店へ。レジで何かを提示すると商品を受け取り再び客のもとへ、ヤマダ電機で売られている価格と同じ1万円で販売した。三田さんのお店はコスモスベリーズという家電チェーンに加入している。三浦会長は町の電器店を束ねてヤマダ電機と組むというシステムで町の電器店を存続させようとしているのだという。コスモスベリーズは2005年にヤマダ電機との共同出資で設立、2008年に子会社となった。
 ヤマダ電機の山田寿部長はコスモスベリーズと組む決断をしたことについて「街の電器店を利用する人はヤマダ電機を利用しないのでネットワークを強化することが大事」と話した。コスモスベリーズ本社ではこの日加盟店の代表者会議が行われ、三浦会長は今後3年で加盟店を倍以上の2万店にすることを発表した。加盟店を増やしてきた伊藤忍さんはオープンしたばかりの美容院「シュリンプ1丁目店」へ。コスモスベリーズは異業種も加盟店として取り込んでいるという。井上寛店長との話し合いの結果、この店は6月中旬に加盟することが決定した。コスモスベリーズの伊藤忍さんはこの日福井・大野市へ。伊藤さんはこの街の燃料店「モリナガ」を2年前コスモスベリーズに加盟させた。2代目社長の森永泰充さんは加盟した理由について「ガスや灯油に偏っているとお客さんが離れていってしまう」と話した。森永さんは各家庭のガスの健診を毎月行っており、そのついでにチラシを見せ家電販売をPRしている。この日は体の不自由な猪島行尾さんのお宅で家電の相談を受けると、一緒にヤマダ電機テックランド大野店へ。実際に商品を見て選んでもらい新しい家電を購入した。
 松坂屋 名古屋店ではTシャツブランド「OJICO」の期間限定ショップがオープンしている。子どもと親が着て並ぶことで一つの絵柄となるシャツが人気で、メイドインジャパン製で値段も少し高めだがリピーター客は多い。面谷勇介さん一家は「OJICO」の商品を愛用していて、これまでに十七着の洋服を購入している。石川・金沢市にあるチャンネルアッシュはTシャツブランド「OJICO」を展開していて、社員の平均年齢29歳で社員数は31人。百貨店の催事など年間200ヶ所に展開していて、常設店は都内に数店舗のみ。設立メンバーの1人である井上真規子さんはデザインを担当していて、他ブランドにはない独自のデザインを目指している。さらに井上さんは沖縄三越の期間限定ショップの店頭に立ち、商品をアピールした。過去に百貨店の一角で常設店をオープンしたが売れないことを痛感し、様々な百貨店を渡り歩くことで自社ブランドの商品を見つめることができるようになったという。島根・松江市にある一畑百貨店から期間限定のTシャツフェアが開催するという依頼があり、チャンネルアッシュの井上真規子さんは百貨店の社員と会議を行った。百貨店の来店客の約6割は60代以上で、近くにあるイオンやユニクロに若年層の客を奪われていた。島根・松江市にある一畑百貨店では若いファミリー層の集客に苦戦し、Tシャツブランド「オジコ」の期間限定フェアで状況を打開しようとしていた。デザイン担当の井上真規子さんは1928年から2009年まで走っていた一畑電車の写真を撮り、それをTシャツのデザインにしようとしていた。だがファミリー層にどう購入してもらうかの方法が思いつかず、同僚から祖父母が若いファミリー層にプレゼントしたくなるTシャツではどうかというアドバイスを貰った。そして「オジコ」の商品の製造を請け負うハマモト工縫ではお年寄りも手により安い色合いで、一畑電車をデザインとしたTシャツが完成。島根・松江市にある一畑百貨店では若いファミリー層の集客に苦戦し、Tシャツブランド「オジコ」の期間限定フェアで状況を打開しようとしていた。目玉は高齢者も手に取りやすいシックな色合いにローカル電車の一畑電車がデザインされたTシャツ。デザインを担当した井上真規子さんは孫に買いたくなるTシャツを目指し、若年層の集客を期待していた百貨店側も違った売り方の発想に面白さを感じていた。井上さんは今後も様々な百貨店で、「オジコ」のTシャツを販売する。
 ⇒⇒少子高齢社会を迎え、また、高齢者、働く女性が増えるなど消費者の構造は変化し、今までの常識とは逆転の発想で販売・集客を目指す動きは今後も更に現れ、常に変化して行くのではないだろうか。Tシャツブランド「OJICO」の期間限定ショップなどは面白いかも。