宝を生み出す“つながり力”。京都の裏側に迫る。(ブログ通算1000日・828日間継続中)

◆『地方から日本を変える(2)宝を生み出す“つながり力”』(2015年1月6日放送 19:30 - 19:56 NHK総合 「クローズアップ現代
地場産業の強みつなげ 躍進する中小企業
 金属加工が盛んな町として知られる新潟 三条で、5年で売上を倍増させたアウトドアメーカー「スノーピーク」がある。付加価値の高い製品が成長の秘けつとなった。山井社長は26歳で東京からUターンし実家の商店に入った。そこで目にしたのは外国製品との価格競争に巻き込まれ苦境にあえぐ姿だった。山井社長は高く買ってくれる人に良い商品を売っていくような考えを持ち、自分の好きなアウトドア関連の製品で、地元の金属加工の技術を生かし高級テントを作って売り出し大ヒットした。そして地元企業に声をかけ技術力を売りにした製品の開発に乗り出す。こうした高付加価値戦略に地元企業の意識も変わり、山井さんらと共に新たな開発に取り組み始めた。その結果、ダッチオーブンなど画期的な技術をものにした。そして直営店を主体に販売を行い社員が商品の機能やブランドの哲学を徹底的に説明する。高付加価値なブランドが地方の新たな可能性を開こうとしている。
・連携こそ力 地方発ブランドの挑戦(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131008/p1
 全国各地の企業が手を組んで新たなビジネスにつなげようとする挑戦も始まっている。東京 丸の内の商業ビルに各地の伝統工芸品が集まったセレクトショップがオープンした。経営するのは奈良の中川政七商店の社長、中川さんで元々は「奈良さらし」という伝統的な織物を扱う商店だった。中川さんは13年前にUターンし赤字続きの自社ブランドを立て直し全国展開を始めた。この評判を聞きつけ各地の中小企業から再建を手伝ってほしいと依頼されるようになった。
 中川さんが最初に手伝ったのは長崎県波佐見町の焼き物を扱う企業「マルヒロ」だった。中川さんはまず全ての商品のデーターを分析し、商品の数を絞り新たな自社ブランドの開発に乗り出す。任されたのは息子の馬場匡平さんで、中川さんと共に自分たちの強み弱みは何か徹底的に議論をした。浮かび上がった強みは地元の歴史。そして中川さんは匡平さんに繰り返し何をやりたいのか尋ねた。そして売ることばかりの発想から自分の好きなものへと変わり「HASAMI」というブランドを掲げたアメリカンテイストの日用食器が誕生した。中川さんの支援を受けてから5年、売上は3倍に増えた。
 石川県金沢にも中川さんの助けを借り下請けからの脱却を目指す企業もある。リーマン・ショック以降経営が苦しくなっていた「カジナイロン」の梶社長は自立化をとにかく目指した。この会社では薄く軽い生地を作る技術を持っており、中川さんはこの生地を世界的なブランドにできると考え、軽くて丈夫なトラベルグッズが開発された。中小企業同士がノウハウを共有し、お互いの強みを出しあうことが出来れば地方の企業にもチャンスがあると確信している。
経営共創基盤CEOの冨山和彦は、「日本の企業の99%は、中小企業。8割の人が働いている、そこに宝の山がたくさんある。しかし、いい技術やノウハウなどを持っているが、その価値に自分自身が気づいていない。あるいは、経営のベースの弱さがある」と話した。また、「メイドインジャパンは、日本人が思っている以上に世界に認められている。狭い世界だけどキラっと光るものは、本来中小企業の方が評価が高い。そのニッチで、優秀な経営人材が入ってきてくれれば世界を変えられる」と話した。さらに、「従来の延長線上でやっていると、世界中に物を売っていくなどの機能を持っていない。優秀な人材が入ってきて補わないと、自立した自分のブランドが出来ない。ガギとなるのは、地方にリーダー人材を。あまり物にお金を使うのではなく、使うなら人に投資をすべき。あるいは、そういった人材の流れを起こしていく」と話した。

◆『1200年もの繁栄を続けることができた京都の裏側に迫る。』(2015年1月6日放送 20:00 - 20:43 NHK総合 「ブラタモリ」より)
京都の三大プロジェクト
南禅寺に巨大プロジェクト・・・琵琶湖疏水
 一行が最初に訪れたのは京都・東山にある「南禅寺」。寺内には水を通す橋“水路閣”があり、登った先に琵琶湖疏水記念館の学芸員・寺嶋一根さんが待っていた。明治23年発行の「琵琶湖疏水地図」にもあるように、明治18年から5年がかりで行われた琵琶湖疏水工事は一大プロジェクトだった。当時明治2年、東京遷都により京都の人口は3分の2にまで減る危機に陥っていた。そこで復興のため行われたのが琵琶湖疏水。水運を開くことで物資が安定して届くようになり人口が増加。また日本初の蹴上発電所が誕生し、京都で日本初の電車が走った。琵琶湖疏水の驚きのシカケである「インクライン」を見学。このインクラインも疎水が生み出した電気で動いていた。インクラインの線路上を歩いて移動していると“犬くぎ”を発見。琵琶湖疏水大プロジェクトには、明治時代外国から最先端の技術を取り入れ、京都の近代化を一気に推し進めた。
②明治に生まれた京都復活の切り札の商店街の巨大プロジェクト・・・新京極通
 明治時代、東京遷都によりすっかり元気をなくしていた京都の町ではもう一つの巨大プロジェクトが行われていた。京都市中京区桜之町に訪れた一行は、大阪歴史博物館学芸員・船越幹央さんに商店街を案内してもらった。新京極通は迷子の碑が作られた明治初期に作られた。タモリら一行は当時の痕跡を見つけるため、周辺をぶらぶらすることになった。
 明治にできた繁華街で当時の痕跡を探すタモリ一行。新京極通は明治5年、お寺や神社の境内を貫くように通されたため本堂と通りが極端に近くなっており、かつての参道が路地として残っている。一行は、錦天満宮宮司・大和政夫さんから詳しい話しを伺った。そもそも江戸時代はお寺や神社の境内は縁日などが立ち並ぶ盛り場だったため、その賑わいをうまく利用して繁華街を作った巨大プロジェクトだった。新京極には芝居小屋などが立ち並び、明治30年代になると日本三大盛場と呼ばれるほど発展。さらに昭和6年ごろには歓楽街へと進化した。新京極周辺をぶらぶらしていた一行は、両側の店を突き破るようにたつ鳥居を発見。店の中には鳥居の先が貫いていた。これは新京極ができた時、鳥居の先を計算せずに道路の区画整理をしたためだという。
応仁の乱で荒廃した都を救うべく豊臣秀吉が立ち上げた大プロジェクト・・・「御土居
 次に訪れたのは京都市北区玄琢北町にある閑静な住宅街。京都高低差崖会崖長・梅林秀行さん案内のもと、およそ400年前に豊臣秀吉が作らせた巨大な土の壁「御土居」を見学。当時はこの御土居が京都をぐるっと囲っており、今ではJR京都駅の0番線ホームが御土居の上にある。
 当時、応仁の乱により京都の町は小さくなり、天下統一した秀吉が京都を首都にしようとぐるっと囲む規模の城壁を作ったのが「御土居」だった。

 *元日からNHKを見る機会が多い。今日の「クローズアップ現代」にしても、「ブラタモリ」にしてもやはりNHKの企画力は素晴らしい。地方活性化をシリーズで取り上げる「クローズアップ現代」。平安の昔から1200年も繁栄を続ける秘密に、タモリさんならではの視点で迫る「ブラタモリ」。

<1月6日生まれの先人の言葉>
今西錦司(登山家、生態学者)
 ・生まれつき才能がある人間は、どこに置いても伸びるんやな。
 ・個体はすなわち種であり、種はすなわち個体である。
 ・われわれはある一例からすぐに全部を割り切ろうとしがちやけども、そこのところの誘惑は、いつでもチェックしとらんといかんのやないか。
 ・自然科学的自然だけが、唯一の自然ではないのである。そのほかに、もっと大きな全体としての自然、もろもろの生物の共存できる広い場としての自然をも同時に認めてゆこうというのが、私の考えである。

<今日のニュース>
◆東京都が和風迎賓館建設へ。
 2020年の東京五輪パラリンピックに向けて東京都は浜離宮恩賜庭園内に明治時代の「延遼館」を復元し和風の迎賓館として整備することを発表した。延遼館は外国要人をもてなすために使用されたが老朽化で取り壊されていた。都は当時の図面を元に復元、新年度の予算に1億円を計上し調査や設計を進める。
◆株500円超下落 市場混乱 産油国発の”負の連鎖”。
 日経平均株価が4日連続で下落し935円の下げ幅となった。下落の原因はギリシャSの不安定な政治情勢と原油価格が5年8か月ぶりに1バレル=50ドルを下回た事。ダウは300以上も下げて取引を終えた。リスクのある株式や原油などから国債に資金を移そうという動きも見られ金利が低下。原油の下落は原材料のコストが低下し商品の価格低下につながることが多い。