都市直下地震 20年目の警告

◆『都市直下地震 20年目の警告』(2015年1月18日放送 21:00 - 21:50 NHK総合NHKスペシャル」より)
●発見映像を検証 震度7の瞬間 何が…
 地震発生当時の防犯カメラの映像を流した。ほとんどの映像が揺れ始めて数秒で途切れており、地震の強烈さを物語っている。10万棟以上が倒壊し、多くの人が下敷きになって死亡した。周期が1から2秒程度の揺れは木造の建物に大きな被害をもたらすためキラーパルスという。隣で寝ていた娘を亡くした女性は未だに悔しさをにじませている。
 キラーパルスを生み出した原因は活断層だった。日本で起きる地震には東日本大震災のようなプレートの動きで起きる地震阪神淡路大震災のような活断層の動きで起きるものがある。阪神淡路大震災では淡路島に断層のズレによって現れる痕跡が出現した。神戸に被害をもたらした活断層はどこにあるのかが大きな疑問とされていた。専門家は六甲断層帯が原因と仮説をたてたが被害が出たところから断層まで距離があった。専門家は地下の構造を解析した上で二つの波がぶつかって神戸で大きな被害が出たと予想した。
●地表の手がかりを探せ
 20年前に被災地に入った鈴木康弘教授は被害が集中した場所に原因となる活断層があるのではないかと考え調査を始めた。すると撓曲と呼ばれる現象がある道路を見つけここでも堆積層と呼ばれる構造が原因とみた。他にも同じような地形がないか調査を続けた。さらに鈴木さんは航空機から地上にレーザーを送って反射させる測量技術で調べている。それを元に鈴木さんは六甲断層の地震ではないかなどコメントをした。
 震災の半年後に国は大地震の危険性を調査しようと「地震調査研究推進本部」を作った。注目したのは淡路島の野島断層。こうして平成17年までに国は大地震の可能性がある活断層をおよそ100本も公表した。さらに今後30年間の地震の発生率は3%以上と話した。最大は首都圏の三浦半島断層群最大11%などと発表されていた。しかし平成16年に予測とは違う新潟県中越地震が起こった。犠牲者は68人となり全壊3千棟余りとなった。その後も平成19年には能登半島地震、平成20年には岩手・宮城内陸地震などが起きいずれも予測外の地震だった。遠田さんは現地を調査する中で地表に痕跡が残らないことが分かった。過去を調べ直すと震度7以上の地震が10回あるうち5回が痕跡が残らずに時間が経っていたことが明らかになった。
●想定される“特殊な揺れ” 超高層ビルに危険が
 林康裕教授は超高層ビルの危険性を指摘している。注目しているのは大阪の上町断層帯。国などが上町断層で行った調査で発生の可能性が明らかになった。3秒周期の揺れが発生するとみてシミュレーションCGを流してみると超高層ビルが倒壊する結果になることが分かった。民間の構造設計研究会では独自の厳しい耐震構造を作っている。参加企業が手がける高層マンションは上町断層の揺れを想定し耐震性を強化している。建築費は若干高いが完売した。

<今日のニュース>
◆年金制度改革案「物価下落でも年金抑制」方針。
 年金支給額は物価変動などに合わせて今まで改めていたが、年金の伸びを物価上昇より低く抑える「マクロ経済スライド」をデフレでも実施することを決定。つまり物価が下がった場合にはそれ以上に支給額が減少することになる。
◆日銀 物価上昇率見通し 1.7%→1.0%大幅下方修正
 日銀が金融政策決定会合を開き、来年度の物価見通しを1.7パーセントから1パーセントに大幅に下方修正した。日本銀行黒田東彦総裁は消費者物価指数が2%に達する時期は原油価格の動向で多少前後する可能性もあるとした。
直木賞作家 陳舜臣さん死去。
 作家の陳舜臣さんが、21日老衰のため亡くなった。1969年に「青玉獅子香炉」で直木賞を受賞している。

<今日の偉人資料館>
土屋文明記念文学館 http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121300322/
稲盛財団記念館 http://www.inamori-center.kyushu-u.ac.jp/
稲盛和夫
 名言・『人間の能力は未来進行形で発展します。たとえ今は実現できなくても、1年後、2年後に実現するつもりで努力を重ね、勉強をすれば必ず成長する。そのためにはまず、自分の能力が無限に発展すると信じることです。』
 ・『不運なら、運不運を忘れるほど仕事に熱中してみなさい。』
 ・『多くの日本人が自分に与えられた仕事に打ち込み、また、世のため、人のために役立とうとするなら、21世紀の日本は素晴らしいものになると信じています。』
 ・『創造的な仕事とは、高度な技術を開発するということばかりではない。今日よりは明日、明日よりは明後日と創意工夫をこらし、改良、改善を積み上げていくことである。一人ひとりが自分の持ち場で、もっと能率の上がる方法はないか、昨日の欠点をどうしたら直せるか、考える習慣をつけることだ。』
 ・『仕事の本当の喜びと醍醐味を味わうためには、渦の中心になって、周囲の人たちを巻き込むくらい、自発的に、積極的に仕事に取り組まなくてはならない。』
 ・『ひとつの仕事や分野を深く追求することにより、すべてを知ることができる。広くて浅い知識は、何も知らないことと同じだ。』

<1月21日生まれの偉人・先人の言葉>
◆永田 雅一(ながた まさいち、1906年1月21日 - 1985年10月24日)は、日本の実業家、映画プロデューサー、プロ野球オーナー、馬主。昭和初期から後期(1930年代後半 - 1980年代前半)にかけて活動していた。大言壮語な語り口から「永田ラッパ」の愛称で知られる。
 ●『「羅生門」のヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞に、同業者も大部分は拍手を送った。ところが日が経つにつれて、「あれはまぐれ当たりだ。フロック(まぐれ)だろう」という声が、外国人からでなく日本人から出た。そこでまた、私の闘志が湧いた。「みていろ、もういっぺんとってやる」。今度は明らかに映画祭出品を意識して「地獄門」をつくった。それが見事にカンヌで大賞を獲得したのである。』(他人からの心無い言葉を闘志に変える。)
 ●『当時、松竹、日活、東宝が一流会社だった。そこで第一映画の面目を捨てて一流会社にできないものをやろう。猫と狸、いわゆるゲテモノ映画をつくろうと決心した。この猫化けがヒットして儲けた。こうしている間に撮影所内も綺麗になり、能率もグングン上がってきた。一年か二年経つうちに、作品は別としても、京都における模範的な撮影所になった。』(一流会社にできないものをやる)
◆石川 忠雄(いしかわ ただお、1922年(大正11年)1月21日 - 2007年(平成19年)9月25日)は、日本の中国現代史家。慶應義塾長を戦後最長、鎌田栄吉以来歴代2番目の長さとなる4期16年務めた。1991年文化功労者。2000年文化勲章受章。
●名言
 ・「自分の人生にとって、何が良かったか悪かったかは、 死ぬときになってみないとわからない。何が幸せで、何が不幸かを見通して生きるといっても、そんなことはできっこない。ただ、自分にとっての真実、それは、その時その時を精一杯生きることだ。」(一度しかない人生、あれこれ気にせず、楽しんで生きたい。)

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<思考塾>
・江戸学 「将軍の一日>

<本の紹介>
・京セラフィロソフィhttp://d.hatena.ne.jp/asin/4763133713