今日は節分。明日は立春。今日は雪池忌、光悦忌でもある。

◆節分とは現在では豆まきをして鬼を払い福を呼ぶ行事そのものを指すが、季節の区切りとされ、それを「季節を分ける」という意味で「節分」と呼んでいる。節分は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春立夏立秋立冬)の前日のこと。ました。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。大寒の最後の日であるため、寒さはこの日がピークであると暦ではいわれている。節分とは、春を迎え新しい一年の始まりの前に邪気を払うための行事である。
 立春には春という字が含まれますから、一見すると寒かった冬は終わり花が咲き、気温の穏やかな日々をイメージしてしまいがち。しかし立春は正確には春が立つ、という意味で、立春を迎えた頃から気温の底はピークを過ぎ、徐々に春めいた気温や天気に変わっていく、という事であり、本格的な春がやってくるための始まりだから、寒くて当然でしょう。

◆今日は雪池忌(ゆきちき)。福澤諭吉の1901(明治34)年の忌日。墓のある港区元麻布の善福寺で、慶應義塾の関係者による法要が毎年行われている。
福沢諭吉について http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130110/p2
福澤諭吉旧居・福澤記念館 http://www2.ocn.ne.jp/~fukuzawa/  http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20140110/p1 
福沢諭吉の名言
 ● 自由とわがままの違いは、 他人を妨げるかどうかである。
 ● 学問の本質は、「学問を自分がどう活用できるか」にかかっている。
 ● あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。
 ● 人に貴賎はないが、勉強したかしないかの差は大きい。
 ● 他人の迷惑にならない「欲望」は、すべて善である。
 ● 努力は、「天命」さえも変える。
 ● やってもみないで、「事の成否」を疑うな。
 ● 自分の力を発揮できるところに、運命は開ける。
◆光悦忌である。家・工芸家本阿弥光悦の忌日でもある。漆芸・書・陶芸などどの分野でも「光悦風」と呼ばれたほどの斬新で華麗な作品を創作した人物。日本のダ・ヴィンチと呼ばれている。

<2月3日生まれの偉人>
◆石本 美由起(いしもと みゆき、男性、1924年2月3日 - 2009年5月27日 )は、広島県大竹市出身の作詞家。本名は美幸。戦後、作詞を始め、高橋掬太郎が主宰する歌謡同人誌、「歌謡文芸」に投稿を始める。夢中になった白秋の詩『思い出』の中の一篇「ザボンのかげ」からインスピィレーションを得て「長崎のザボン売り」という詩を書き、同人誌に投稿すると、作曲家江口夜詩の目にとまり、1948年に小畑実の歌でレコード発売され大ヒットした。1950年暮れ、東京に住まいを移し、キングレコードの専属となって作詞家としてのスタートを切る。
 翌1951年、作曲家上原げんとに見込まれ共にコロムビアレコードに移ったことで、上原をはじめ古賀政男船村徹市川昭介らの作曲家とコンビを組み、美空ひばり島倉千代子都はるみらの楽曲を手がける。特に美空ひばりには、大ヒットとなる「ひばりのマドロスさん」、「港町十三番地」、「哀愁波止場」、「悲しい酒」、「人生一路」などの詞を提供し、ひばり伝説の一翼を担った。美空ひばりには約200作を提供。他に遠藤実らとこまどり姉妹のデビュー「浅草姉妹」等も手がけている。総作詞作品は3500曲以上にも及び、作詞界の大御所的存在で、他の代表曲には、故郷の窓から遠い空を想い続けた少年の日を思い出して書いたという「憧れのハワイ航路」や「薔薇を召しませ」、「陽気なハーモニカ娘」、「こんなアベック見たことない」、「渡り鳥いつ帰る」、「逢いたかったぜ」、「東京の人さようなら」、「逢いたいなァあの人に」、「浅草姉妹」、「ソーラン渡り鳥」、「十国峠の白い花」、「おんなの海峡」、「大ちゃん数え歌」(アニメ「いなかっぺ大将」主題歌)、「長良川艶歌」(日本レコード大賞)、「矢切の渡し」(日本レコード大賞)、「河内おとこ節」などがある。「長良川艶歌」、「矢切の渡し」は2年連続の日本レコード大賞受賞だった。
 この他、玖波小学校校歌、瀬野川中学校校歌、八本松中学校校歌、「四谷大塚進学教室の歌」、広島東洋カープ応援歌「燃える赤ヘル僕らのカープ」、株式会社第一興商社歌「明日をつくる」等も手がけている。
檀一雄名言
 ●「思い出というものは人間が時間に贈与できる唯一の形式であって、過ぎていった時間というものは、それを偲ぶ思慕者の心の幅によって拡大されていってとどまらない」
田辺元名言
 ●懺悔とは、私の為せる所の過てるを悔い、その償ひ難き罪を身に負ひて悩み、自らの無力不能を慚ぢ、絶望的に自らを抛ち棄てることを意味する。