「逆境はこわくない。・・・人の話を聞くくらいで、学んだ気になってはいけない。己が実行して、苦悩や失敗を通じて、何かを掴みとる姿勢こそが大切である。」(瀬戸雄三)

<2月25日生まれの先人>
瀬戸雄三 (せとゆうぞう、1930年2月25日-2013年5月13日) は日本の実業家。アサヒビール株式会社の社長時代にアサヒビールを業界ナンバーワンに導いた。1992年9月1日付でアサヒビールの7代目社長に就任。21年ぶりのアサヒビール生え抜きの代表取締役社長となった。
 1993年3月、ビールの鮮度を追求する「フレッシュマネジメント」を経営の最重要課題とすることを社長方針として社内に伝達。樋口廣太郎前社長のフレッシュローテーション活動をさらに徹底させる形で「フレッシュマネジメント活動」を全社的に実施。フレッシュマネジメント委員会を発足し、委員長に就任した。また、フレッシュマネジメント活動を支える情報インフラの整備にも力をいれた。
<言葉>
・仕事の7か条
 1.「イエス」で聞け
 2.常にプラス思考で
 3.自ら考え、自ら実行せよ
 4.頼り心を捨てよ
 5.上司は部下に指針を示し、あとはジッと見てろ
 6.平社員は主任の、主任は課長の仕事を目指せ
 7.愚痴を言うな
・私が駆け出しのころ、営業の会議中に当社の初代社長だった山本為三郎さんがふらりと入ってきたことがありました。当時の山本さんも第一線の現場の声を直接聞きたかったのでしょう。
・現場から遠くなると、とかく人は評論家になりがちです。たとえば、政府の構造改革についてあれこれ議論はするが、自分の会社はちっとも改革が進まない。こんな経営者が増えているのではないでしょうか。いまの日本が中国や韓国に比べ元気がないのも、ビジネスの現場に評論家が多くなったことが一因のような気がします。
・現場にはバッドニュースもグッドニュースも、また様々な変化を示す情報も濁流のように渦巻いています。トップは率先して情報の濁流に身を投じなくては、変化に対し一歩先んじた経営はできません。
・人の苦労なんて、いくら聞かされたって成長しません。自分で苦労しなさい。

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◆<逆境が大きな成長の糧に>
 人は仕事をすることで、さまざまな経験をし、与えてもらい、成長している。さらにその経験をもって、他人をも成長させていくのです。企業の中でそのような経験が活発に行われ、多くの人が成長し、同時に企業も成長していく。 自分自身の考えをしっかりもち、周りと意見し合っていくことや、自分なりの考えで問題を発見し、解決する能力を身につけていくことは非常に大切なことである。業務を遂行していく過程では、必ず困難な課題や人が嫌がるような仕事に遭遇する。 そのとき、明確な人生目標をもち、自分の良心と信念に基づいていれば、人の嫌がることでもいい意義を見つけられるはず。それに挑戦して何度も失敗をしても、最後にやり遂げることが大きな成長につながる。
 瀬戸雄三氏(元アサヒビール社長 社長時代販売シェアでキリンを抜く)は順風満帆に出世して地位を築いたのではなく、この路線とは大きくかけ離れている人物である。社内でも相当の"問題児"で、失敗と左遷を繰り返してきた。 最初に左遷されたのは、入社して3年目のことだった。大阪支店から神戸出張所(後の神戸支店)に飛ばされたのである。ある時、当時の大阪支店長、つまり自分の上司が、キタのとあるバーに足繁く通っているという情報を入手した。この支店長は東京からの単身赴任で、自宅に帰っても仕方がないから、外で飲んでいたのだろう。 しかし私は、これを聞いて義憤に燃えた。ビールメーカーの営業マンは、飲むのも仕事のうちである。一夜に何軒もハシゴしながら、「アサヒをよろしくお願いします。」と言って頭を下げる。これが当たり前の姿だ。その模範となるべき支店長が、一軒の店に入り浸るとは何事か。 2年上の先輩とともに、その店に乗り込むことにした。 すでに夜の11時頃で、相当にお酒が入り、調子がよくなっていたことは認めざるを得ない。 店のドアを開け、ママに向かって開口一番。「アサヒの瀬戸です。うちの支店長がいつもお世話になっています。」 すると、ママの様子がおかしい。しきりに目配せをする。その方向を見ると、そこには何と我が支店長の姿。私は一瞬青ざめた。一緒に行った先輩は、かつて東京で勤務した経験があり、支店長とはなじみが深い。支店長は先輩の名を呼び、自分の席に招き入れた。だが、私の名は呼ばない。それでも先輩にしたがって恐る恐る席についたが、支店長は先輩と話すばかりで、私とはまったく口をきかない。「若造のくせに生意気な。」と思っていたのだろう。 その場が針のむしろだったことは言うまでもない。
 翌日、支店長に「咋晩は失礼いたしました。」私はこう述べて頭を下げた。 支店長は黙ったまま私をチラッと見ただけ。再び机上の書類に目を戻してしまった。とりつく島もないとはまさにこのことだった。 そして、約2カ月後転勤の辞令が下った。
・厳しい人ほど「誠意」は通じる
 当時、大阪支店の人員は約130名。しかも、大阪はアサヒビール発祥の地であり、60パーセント以上のシェアを占める金城湯池でもあった。それに対して神戸出張所は16名、シェアもとても大阪には及ばない。 この人事が左遷であることは明らかだった。この辞令が出てからも、大阪に愛着があるため、1カ月ほど後片付けをしていた。ある日、業を煮やした支店長が、私の席にツカツカと歩み寄って一喝、「1カ月も片づけをするヤツがあるか。今から俺の車に乗れ。」そう言うと、支店長車に私を乗せ、神戸まで文字どおり強制連行である。 支店長は以前、神戸に勤務していた。そこで車で神戸へ向かう途中、そのうちの何軒かに立ち寄って、「今度、神戸に赴任する瀬戸です。よろしく頼みます。」と自ら私を紹介してくれた。神戸が大阪に比べてはるかに厳しい戦場であることは、よく知っていたはずである。 「生意気な瀬戸を神戸で鍛え直そう。」と思ったのではないだろうか。 実際、着任早々、挨拶に伺ったある卸店で、いきなり窮地に立たされることになったのである。私が話をしている途中で、何が気に障ったのか、突然、社長が烈火のごとく怒り出した。 「お前のような生意気なヤツは来るな。帰れ。」事務所中に響きわたるような声だった。理由が何かわからないが、おそらく大阪というアサヒビールの強い市場で営業をしていたため、私には自然とやや傲慢な態度が身についていたのだろう。必死にとりなしてみたが、怒りは収まらない。「帰れと言ったら帰れ。」事務所の中がシーンと静まり返ってしまった。 仕方なく退散し、所長に顛末を話して善後策を伺った。「毎朝、社長の自宅へ行け。」と厳しい言葉がかえってきた。しかし、これは私にとって、大きな教訓の一つとなった。翌朝7時半に例の社長宅へ伺ってみると、相変わらず不機嫌なままである。 「お前、何しに来たんや。」の一言、「昨日のお詫びに伺いました。」と頭を下げても、「朝の忙しいときに家にまで来るな、帰れ。」これで終わりである。 だが懲りずに翌朝も、またその翌朝も伺うと、ようやく態度を軟化された。「もうわかった。3日も来たんやから、許したるわ。」以来、私はこの社長に大変お世話になる。どれほど厳しい相手でも、誠意を尽くせば通じるということ、やはり営業は"心 "で行うものであるということを、私はこの一件から学んだのである。
・厳しい環境だからこそ学べた
 私は神戸の地で名誉挽回を決意していた。大阪でも仕事はしてきたつもりだが、幕切れがあまりにも悪い。その分は仕事で取り返そうと燃えたのである。 それには、大阪と同様、お得意様を徹底的に訪問するしかない。 だが、神戸でまず驚いたのは、大阪との激しいギャップだった。ある程度は予測していたものの、現実に肌身で感じたのはそれ以上だった。たとえば大阪でお得意様を伺うと、新入社員の私に対してさえ座布団を用意し、お茶を出し、ゆっくりと話をしていただいた。 ところが神戸では、座布団やお茶はおろか、座ることさえままならない。「アサヒの瀬戸です。」と挨拶しても、無愛想な返事が返ってくるだけだった。 当時、私がある小売店で名刺を出すと、ご主人は無言のままそれをカウンターの上に置いた。 驚愕の事実に直面するのは、その1週間後にそのお店を再び訪問したときだった。私の名刺はまだそのままカウンターの上にそっくり同じ場所にあったのである。いかにアサヒビールに関心がないか、イヤというほど思い知らされた。 この現状に、私は奮い立った。「この小売店から、絶対に椅子とコーヒーを出させてみせる。」と決意した。若いうちはこういうことが発奮材料になるのである。その日から、私はこの店に3日とあげずに通いつめた。そして半年後、念願かなってコーヒーが出てきたときには、思わず快哉を叫んだものだった。 その後、この小売店ではアサヒビールもきちんと扱ってくれるようになり、最終的にはアサヒの主力販売店になっていただいた。若いうちに天国と地獄のマーケットを体験できたことは、非常にラッキーだった。厳しい環境しか知らなければ、目標が見えてこないし、元気が萎縮したかもしれない。逆に恵まれた環境だけで過ごしたら、傲慢になってしまい、悪くなったときの対処法が見えなくなっていたかもしれない。この後のサラリーマン人生で、両方を知っているからこそ助かったことは数限りない。 逆境が人生のいい糧になったことは言うまでもないだろう。最後に、瀬戸氏は「人の話を聞くくらいで、学んだ気になってはいけない。己が実行して、苦悩や失敗を通じて、何かを掴みとる姿勢こそが大切である。逆境に飛び込んで行動することが、仕事と人生にどれほど大きな成果をもたらすか、経験の重みを教えてくれる。」と感慨深い言葉を述べている。(参考文献:「逆境はこわくない」 著者 瀬戸雄三(元アサヒビール社長)徳間文庫)

<今日のニュース>
◆東京都 東京五輪にむけてロボット産業など支援へ。
 2020年の東京オリンピックへ向けて、東京都は今日の定例議会で介護や観光などの分野で成長が見込まれるロボット産業の中小企業の技術開発を大学などと連携して支援していく方針を示した。
◆外国人観光客 なぜ地方に?
 最近は、地方都市でも外国人観光客が目立つようになった。外国人観光客が過去最多を更新し続けている熊本県を訪れた。外国人の間で話題の観光ウェブサイトには紹介のほか、実際に地方を訪れた人が情報を寄せている。格安航空で国内を移動できるようになったことも、外国人の地方観光を後押ししている。安く泊まれる宿が地方でも増え、外国人観光客が訪れやすくなっている。
◆国を相手に裁判始まる “壊れない”スーパー堤防めぐり住民は…
 200年に一度の洪水に備えるため国が進めるスーパー堤防事業だが、総延長873m、予算12兆円という壮大な計画として民主党政権時代、無駄遣いだと指摘され廃止された。自民党政権で事業を縮小して復活し総延長120kmを作る事になった。立退きの対象となった高橋さんら住民は国と江戸川区を相手に裁判を起こした。今日、東京地裁で行われた第1回口頭弁論で、住民らは「地域コミュニティーが崩壊し住民の平穏な生活が失われた」と訴え事業の取り消しと慰謝料の支払いを求めた。国側はスーパー堤防についてまちづくり構想や都市計画との調整を図りつつ整備を進めるとしている。
◆村山元総理が「安倍カラー」に警鐘。
 村山元総理の村山談話を、戦後60年談話で小泉総理が踏襲。このあと、安倍総理の談話に関する有識者会議が開かれる。総理談話とは、極めて重要な案件について総理の見解を示したもの。村山談話は侵略を名言したもので、小泉談話は村山談話を踏襲したもの。安倍談話の方向性は、歴代内閣の立場を全体として引き継ぎ、村山・小泉談話の文言にこだわらず、日本の国際貢献をアピールするものという。なお、国連安保理討論会合では王毅外相が「歴史から目を背け罪を認めない一部の人がいる」などと発言した。村山富市元総理は自・社・さ連立政権時代、村山談話の決定も容易ではなかったという。現在、村山富市元総理は国際社会の反発を懸念している。
◆猛暑?それとも?気象庁が今夏の見通し発表。
 気象庁が6〜8月にかけての「暖候期予報」を発表した。夏の平均気温は、北日本・西日本・沖縄奄美は平年並みだが、東日本は平年並みから高いとなる見込み。梅雨から夏の降水量は全国的に平年並みより多い予想となっている。

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