会津・猪苗代から世界へ。

◆「会津・猪苗代から世界へ  世界を駆け抜けた医学者・・・野口英世の足跡」
 このポスターを帰宅途中の車内で発見。今年の4月から「野口英世記念館」(http://www.noguchihideyo.or.jp/)がリニューアルオープンする案内のポスターである。現在は新展示館1階が先行オープンとなり、生まれ変わりつつある記念館がみられるようだ。現在は、1階ホールにて野口英世の生涯をパネルにて紹介し、展示室では、野口英世が製作した作品を展示されている。また、ミュージアムショップでは野口英世の伝記や写真集、自筆の書や絵葉書他、野口英世のあらゆるものを揃えられ、販売されているようだ。
 ●野口 英世(のぐち ひでよ、1876年(明治9年)11月9日 - 1928年(昭和3年)5月21日)は、日本の細菌学者。福島県出身。猪苗代高等小学校卒業、済生学舎(現在の日本医科大学)修了後、ペンシルベニア大学医学部を経て、ロックフェラー医学研究所研究員。細菌学の研究に主に従事し、黄熱病や梅毒等の研究で知られる。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がったが、黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年5月21日、ガーナのアクラで51歳で死去。
 ・野口英世の言葉
   ・志を得ざれば再び此の地を踏まず。
   ・私は少しも恐れるところがない。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ。
   ・忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。
   ・人は、四十になるまでに、土台を作らねばならぬ。
   ・誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ。


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<今日のニュース>
東日本大震災 三陸のカキ…新たな「支援のカタチ」
 震災の翌年にオープンしたかき小屋では、三陸産のかきを優先的に仕入れている。今後も店舗を増やす方針で、少しでも復興支援に繋がればと考えている。かきの養殖をしている佐々木眞さんは、首都圏のカキ小屋に直接出荷しており、震災から5年かけて年間30万個のカキを収穫するまでになった。
◆英議会で震災追悼コンサート
 東日本大震災から4年となるのを前に、イギリス・ロンドンで追悼コンサートが行われた。会場には、福島の子どもたちが笑顔をモチーフにデザインした紙皿なども飾られた。
◆与党協議 本丸の「集団的自衛権
 政府は集団的自衛権行使を可能とする新3要件を新事態と位置づけ、日本が直接攻撃を受けていなくても自衛隊の防衛出動を可能とするよう法改正する方針。公明党は国民を守るために他の手段がないなどと盛り込むよう求め目的は他国の防衛ではないと強調している。

<3月6日生まれの先人>
●大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。
 ・欲望はそれに注意することによって増大する。
 ・特権ある者は常に堕落するのである。
●都留 重人(つる しげと、1912年(明治45年)3月6日 - 2006年(平成18年)2月5日)は日本の経済学者。一橋大学名誉教授。公害の政治経済学を提唱し、雑誌『公害研究』(現『環境と公害』)創刊。日本人として2人目のハーバード大名誉学位保持者。1977年から1980年まで国際経済学連合会長を務めた(日本人初)。国民経済計算における三面等価の原則の考案・命名などをおこなった。
 ・日本には経済学学者は多いが、経済学者は少ない。
●杉岡 華邨(すぎおか かそん(本名:杉岡 正美(まさみ))、1913年3月6日 - 2012年3月3日)は、書家。
●酒巻久(さかまき ひさし、1940年3月6日− )は、日本国の経営者。キヤノン電子代表取締役社長。1967年にキヤノンに入社。その後の実績により1999年にキヤノン電子の社長に就任する。経営改革でキヤノン電子の利益を5年で10倍にした経営者。
 ・記憶力や発想力の低下、時代に対する感性などは、放っておけば次第に低下していきます。40代以降のビジネスマンはそのことを自覚して、若手社員だったころの倍は勉強しなくてはなりません。
 ・判断力というのは、経験に比例するものです。ですから、それを高めるには、「不安を抱えながらも、スピーディに決断を下すこと」を日々意識して続けることが何よりも重要です。
 ・「自分の判断基準」に自信を持っていれば、いま起きている問題だけでなく、これから起こるであろう問題にも素早く対処することができます。