また週末、実家へ。

◆三月に入っても寒い日がつづきますね。まして、今日は天気が悪く、小雨模様。最高気温も一桁のようである。実に寒い。また週末実家へ。

◆山口 瞳(やまぐち ひとみ、1926年(大正15年)11月3日 - 1995年(平成7年)8月30日)の言葉
(プロフィール)
 東京市麻布区に生まれ育つ。父親はアイディアマンの実業家。母親は横須賀の柏木田遊郭の経営者の娘で(ただし、その事実は、終生子供には隠していた)、美人で社交的で粋な女性。非常に雰囲気が明るく、交友関係も広く、派手な家庭であった。長唄三味線家元の杵屋勝東治、その息子である、後の若山富三郎勝新太郎も出入りしていた。父親の事業が一時失敗し、落魄して川崎の尻手付近に「都落ち」したこともあり、山口の中ではその赤貧時代が原風景としていつまでも残り、派手好きでありながら、一方で非常に謹直であるという複雑な性格の元となった。家族の間では「冷血動物」とあだ名されたという。
 1958年、開高健の推薦で壽屋(現・サントリー)に入社。PR雑誌「洋酒天国」の編集や、コピーライターとして活躍する。ハワイ旅行が当たる懸賞のコピー「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」が代表作。「婦人画報」に連載した『江分利満氏の優雅な生活』で、1963年に第48回直木賞を受賞、同作品は映画化もされた。受賞後しばらくは二足の草鞋を履いたが、「週刊新潮」の伝説的編集者斉藤十一からコラムの連載依頼を受けたことから、文筆業に専念するためにサントリーを退社。
 代表作は、「週刊新潮」に1963年から31年間、延べ1614回、死去まで一度も穴を開けることなく連載を続けたコラム・日記の『男性自身』シリーズ、自らの両親の生い立ちを題材とした『血族』(第27回菊池寛賞受賞)、『家族』など。
・『勉強すれば偉くなる』とか『勉強すれば上達する』ということよりも『いくら勉強しても上手にならない人もいる』
 * この言葉は、遥かに勇気をあたえてくれるものである。

<今日のニュース>
◆首都高中央環状線今日全線開通。
 高速道路で日本一長いトンネルが誕生する。首都高速中央環状線が今日全線開通する。開通することで渋滞の解消や時間の短縮につながると言われている。

<3月7日生まれの先人の言葉>
西周(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130307/p1)
 ・凡そ人たるものは、おのおの己自身を保ちて生活する本とす
 ・三宝とは何やるやというに、第一に健康、第二に知識、第三に富の三つのものなり
<3月7日生まれの先人>
◆堤 康次郎(つつみ やすじろう、1889年(明治22年)3月7日 - 1964年(昭和39年)4月26日)は、日本の実業家もしくは財界人で、滋賀県選出の衆議院議員として政治家でもあった。西武グループ(旧コクド及び旧セゾングループ)の創業者。第44代衆議院議長滋賀県大津市名誉市民。「ピストル堤」の異名を持つ。五島慶太は東急対西武戦争(箱根山戦争・伊豆戦争)でライバルとも言われた。
 ・事業は生き物だ。いままで共に辛酸をなめてきた従業員を会社と一緒に人を譲るなどというのは人身売買に等しい。どんなことがあっても売らない。
 ・私は学校へ出ないかわり、ノートとか参考書の類は実によく読んだものである。ノートなどは5日間くらいはわずかの間に読めるので、毎日毎日学校に行って、先生の言うことをただ筆記して帰るよりは、この方法がはるかに時間が有効だ。これが私の主義だった。
・人のやらぬこと、やれぬことのみをやった。
◆安部 公房(あべ こうぼう、1924年大正13年)3月7日 - 1993年(平成5年)1月22日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。本名、安部 公房(あべ きみふさ)。東京府で生まれ、少年期を満州で過ごす。高校時代からリルケハイデッガーに傾倒していたが、戦後の復興期にさまざまな芸術運動に積極的に参加し、ルポルタージュの方法を身につけるなど作品の幅を広げ、三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。作品は海外でも高く評価され、30ヶ国以上で翻訳出版されている。主要作品は、小説に『壁 - S・カルマ氏の犯罪』(同名短編集の第一部。この短編で芥川賞を受賞)『砂の女』(読売文学賞受賞)『他人の顔』『燃えつきた地図』『箱男』『密会』など、戯曲に『友達』『榎本武揚』『棒になった男』『幽霊はここにいる』などがある。劇団「安部公房スタジオ」を立ちあげて俳優の養成にとりくみ、自身の演出による舞台でも国際的な評価を受けた。晩年はノーベル文学賞の候補と目された。