明日から仕事。“核廃絶・反戦に共鳴する若い力 信じる” 。『風をよむ・外交官の証言』

◆小雨の中、草取りと母親の介護に追われる。庭先に芝桜を植える。多年草らしい。明日は天気がよさそうだが、火曜日以降は天気も逆戻り。寒く、雨模様のようである。
 明日から、人事異動も終わり、仕事も本稼働。頑張って昨年度を上回る営業成績をあげられるよう頑張っていきたい。
<今日のニュース>
◆“核廃絶反戦に共鳴する若い力 信じる”
 原爆ドームの、元の建物が作られてから今日でちょうど100年となる。原爆ドームは老朽化が進み保存が課題となっている。一方アメリカでは、世界初の核実験が行われた場所が一般公開され、原爆投下を正当化する声も聞かれた。6年前の今日、オバマ大統領はプラハ演説核廃絶の決意を語ったが、その後の取り組みは進んでいない。こうした中、広島県では、被爆者が大高生約230人を前に核廃絶を訴えた。原爆の悲惨さを後世にどう伝え続けていくのかが課題となっている。
◆37年ぶり 桜と皆既月食に歓声。
 太陽、地球、月が一直線に並び月が地球の影に隠れる皆既月食、昨夜北日本を中心に観測され、夜桜との共演が見られた所(沖縄県沖縄市、埼玉県熊谷市奈良県宇陀市、栃木県宇都宮市ほか)各地で歓声があがった。

◆『風をよむ・外交官の証言』(2015年4月5日放送 8:00 - 9:54 TBS「サンデーモーニング」より)
 昨日、沖縄県読谷村では太平洋戦争で亡くなった人の慰霊祭が執り行われた。70年前の4月1日、沖縄県読谷村の海岸に押し寄せたアメリカ軍は沖縄本島に上陸、日本軍や住民を追い詰めていった。80日あまりにわたり日本で唯一地上戦が繰り広げられた沖縄、犠牲者の数は日米合わせておよそ20万人に上り、そのうち10万人近くは民間人だった。看護要員として戦場に駆り出された女子学生らのひめゆり学徒隊、生存者たちは戦後、戦争の悲惨さを語り継ぐ講話活動を続けてきたが、その証言者もいまやわずか9人、証言者による講話の実施が難しくなり、先月新たな予約受付を終了した。
 戦後70年の歩みの中で、大きな節目となったのが沖縄返還だった。その沖縄の返還に深く関わった吉野文六さんが先週日曜日亡くなった。1972年の沖縄返還の際、アメリカが負担するとされていた沖縄の原状回復などに必要な費用を日本が肩代わりしていた密約が浮上した。当時、毎日新聞西山太吉記者がこの密約の存在を示す機密文書を入手、文書が公表されたことで密約が表面化した。しかし、政府は密約を否定、西山記者は文書の入手過程に違法性があるとして逮捕され、最高裁で有罪が確定した。
 2000年、アメリカ側の情報公開で沖縄返還に関する機密文書が見つかった。その後、吉野さん自身も密約を認めた。さらに、外務省の有識者委員会も2010年、広義の密約があったと認定した。月曜日、特定秘密保護法の監視役とされる情報監視審査会の初会合が開かれた。不適切と判断された特定秘密に指定解除などの勧告ができるとされているが、この審査会には強制力はなく、実効性のある監視ができるかどうか疑問が持たれている。
 岸井成格は「政権とか権力っていうのはいざとなると徹底的に嘘を貫き通す。絶対国民に本当のことを言わない。いざとなれば、それを報道した記者を逮捕・起訴してしまう、こういうことがあるってこと」、佐高信は「いろんなことがあっても、はねのけていくような記者とか知識人が出てくることを信じたい」などと話した。安田菜津紀は「沖縄密約を吉野さんが証言した時のように、人の意思が動く時がくるかもしれない。だからこそ、何かを知りたいという働きかけをまず私たち側があきらめないことだというふうに改めて思います」、西崎文子は「くれぐれも歴史とか歴史資料は国家のものではないということだけは申し上げたい」、田中秀征は「記録を残したり、記事録を残すっていうことをまず、そこから始めてもらいたい」などと話した。

<4月5日生まれの先人の言葉>
武藤山治
 ・実業の精神として、第一にわれわれが尊ばねばならぬものは、個人の自尊心である。自尊心とは空威張りすることではない。自ら正しくすることである。自らを重んじ、自分一箇の力を信じることである。
 ・幸福はわが心にあり。
ファイティング原田
 ・全然、相手のパンチ力が違ったね。それだけじゃなく身長から体格まで違った。背が高いからパンチが届かないんだ。でも、そんなに人間変わらないと思って闘うしかない。