「江戸・東京の400年 家康の苦悩」。口永良部島 爆発的噴火で全島民避難。

◆「江戸・東京の400年 家康の苦悩」(2015年4月22日放送 22:00 - 22:45 NHK総合歴史秘話ヒストリア」)
 東京は400年前は湿地帯で徳川家康がやってきて土木工事を行ない基礎づくりを行なった。またCGで明治時代にあった幻の東京の開発計画についてがあったようだ。1590年に豊臣秀吉徳川家康を呼び出して、新たな領地として江戸に行けと言われた。ただ当時の江戸は海辺の湿地帯であり、この国替えは秀吉の策略であったと言われている。徳川家康が最初に街づくりを行なったのは東京駅の辺である。この辺りは当時地盤が緩い地域で地盤の改良から行なった。作業は家康の家臣たちが行なった。数ヶ月の作業で何とかすめるようになった。そしてその場所に移住希望者を募った。飲水の確保の問題が大きかった。海から近いので真水がなかなか手に入らなかった。そこで徳川家康は江戸で良質な水を探すように命令し、見つけたのが現在の井の頭公園だであり、江戸まで水道が引かれた。
 徳川家康は食糧問題については船の輸送を利用することにした。そこで家康は運河を掘って直接物資を江戸まで運ぶことを考え、家臣たちもこの頃には工事に慣れており、小名木川はこの時に作られた運河であった。
 徳川家康は魚が食べたいと考え、関西を旅していた時に漁師に助けられて、褒美を出したら、後日漁師たちから魚が献上されたことから、家康は漁師を江戸に呼ぼうと考えた。徳川家康の命令で家臣たちは漁師たちを説得して34人の漁師が江戸に移住することになった。移住した佃島の漁師たちのおかげで江戸の食糧事情は大幅に改善された。
 徳川家康が天下を取ると江戸は日本の中心地になった。そのシンボルになったのが江戸城皇居東御苑には江戸城天守閣跡があった。1600年の関ヶ原の戦い徳川家康は天下人になった。そこで大阪城を超える江戸城を作った。家康の跡を継いだ徳川秀忠は父があまりに偉大だったので比べられていた。そこで父を超えるために父よりも大きい天守を作ることにした。父よりも大きい天守を作ることによって偉大な父を超えられたのかもしれない。3代将軍の徳川家光天守を新築した。工事期間はわずか3ヶ月だった。1657年に明暦の大火が起こった。これによって天守は全焼してしまった。ただ街の再建のために天守を再建することはなかった。
 京都が1000年の都として栄えたのには理由がある。比叡山延暦寺の配置など陰陽道が利用されている。そこで江戸でもそれが用いられた。江戸の鬼門は上野公園なので、近くに東叡山寛永寺が建てられた。不忍池は琵琶湖に見立てられている。
 明治時代になるとヴィルヘルム・ベックマンに、東京に西洋にも負けない建築を作りたいという計画が伝えられた。ベックマンを招いたのは外務大臣井上馨だった。理由はペリーからの不平等条約を解消させるために、日本が欧米に並ぶ法治国家だとアピールするためである。そこでベックマンは日本の地形や気候など独自に調査を行なった。そこで地震が多いことがわかった。ベックマンが示したのは壮大な都市計画だ。そこでベックマンが提示した都市計画をCGで再現した。ただその後、井上馨が辞任して計画は頓挫した。1923年に関東大震災が起こり街は壊滅的な被害があった。ただベックマンが手がけた建物は無事に残っていた。震災後は防災を意識した街づくりが行われた。東京大空襲では多くの建物が焼けて焦土化した。それから経済成長して東京の街は発展した。しかし街開発で戦果を免れた建物は壊されるようになった。ただ現在はそういった建物の価値が見直されており、東京駅は開業当初に再現されている。

<今日のニュース>
口永良部島 爆発的噴火で全島民避難
 鹿児島・屋久島町口永良部島・新岳が噴火し、住民に全島避難指示が発令された。気象庁は火山警戒レベルを最高の5に引き上げ、今後も噴火がおこるおそれがあり、避難指示。口永良部島では住民全員の無事が確認されたが、やけどを負った男性ら3人がヘリコプターで搬送された。口永良部島では住民の多くがフェリーに乗って避難し、屋久島に到着した。
火砕流が火口周辺全方位に流れていることがわかった。火砕流は火口から2kmに収まっているものの、範囲は島全体の2割に達する。
◆岸田外務大臣の答弁に・・・野党反発 審議打ち切り。
 安保法制の審議が3日目を迎えた。平成10年に、政府は重要影響事態法について「経済危機だけを要因に後方支援はしない」としており、きのうの岸田外務大臣の答弁でもこの考え方は「現在も維持されている」とした。しかしきょうは“平成10年の政府答弁を維持するかどうか”について答えず、野党がこの答弁に反発して退室したため審議は打ち切りとなった。政府としては“石油が来なくなる事態”だけでも後方支援を行えるようにしたいという考えがあるためだと思われる。

<5月29日生まれの先人の言葉>
●野口雨情
 ・しゃぼんだま きえた とばずに きえた うまれてすぐに こわれてきえた。
堤義明
 ・私が、この身体を動かして、汗まみれになって働くから、みんなついてきてくれる。
 ・知識やアイデア、技術はカネで買うことができる。しかし人間の『誠意』はカネでは買えない。私が社員に求めるのは『誠意』だけだ。
大鵬幸喜(第48代横綱
 ・真剣勝負は 真剣な稽古からしか生まれない。
 ・天才というのは何もしなくてもそれなりの実績が残せる人のこと。私の場合はそうじゃない!努力、努力でやってきたんだから。
 ・稽古につぐ稽古から自然に生まれるのが私の相撲であった。