才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思いくずおれて、止ることなかれ。(本居宣長)

<6月21日生まれの先人の言葉>
本居宣長
 ・かぎりを行うのが人の道にして、そのことの成ると成らざるとは人の力に及ばざるところぞ。
 ・才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思いくずおれて、止ることなかれ。
 ・人の情の感ずること、恋にまさるはなし。

 *本居宣長記念館 http://www.norinagakinenkan.com/
  松阪市のほぼ中心部にある「本居宣長記念館」がある。松阪城跡がある小高い丘の公園の一画で市役所・市民病院などもすぐ近くにあり、市民の憩 いの場になっているようだ。また隣りには「本居宣長ノ宮」という神社や本居会館という結婚式場まである。いかに、本居宣長がこの松阪市では尊敬 されている人物かということが推察される。「本居宣長記念館」は1970年の開館なのでもう40年以上経過しており、立派ではあるが少々古く感じられ た。入口を入ると目の前に本居宣長の座像があり、一階はロビーになっている。二階が展示室である。広い展示室で、全体的に照明が暗い。四方の壁 側の展示にて、宣長の生涯の年代別に順に資料が展示され解説されていた。主なものとしては、13歳の頃から書いた日記、景山先生に生き方を学んだ 事、日本書記等の学んだ書物、賀茂真淵と会った「松阪の一夜」のこと、医師としての道具(薬箱や匙等)、61歳の時に描いた"自画自賛像"、晩年使用し た文机 など。。展示室中央のガラスケースにも文献や著作など多くの資料が展示されていたが、やはり目に着くのは代表作「古事記伝」の展示で  あった。記念館を見学したあと、裏に宣長の旧宅・鈴屋があるとのことで見学した。ここは宣長が生涯の大半を過ごした家で鈴が好きで書斎で36個の 鈴をつけた"柱掛鈴"を鳴らしていたことから「鈴屋」という名前がつけられたそうだ。
  宣長は学問において、最も重要なことは「継続」であると考えていた。そのためには生活の安定が大事だと考えていた。彼の生活スタイルは、昼は 町医者としての医術、夜は門人への講釈、そして深夜におよぶ書斎での学問だった。多忙な中で学問をするために、宣長は「時間管理」に傾注する。 近所や親戚との付き合いをそつなくこなし、支出を省く。そうやって時間を捻出し、金をつくり書物を買い、そして学問の道に励んだ。学問する環境 をいかに整えていったか、そして日常生活をいかに効率的に過ごすかというマニュアルが膨大に残っている。
  「されば才のともしきや、学ぶことの晩(おそ)きや、暇(いとま)のなきやによりて、思ひくづれて、止(や)むことなかれ。とてもかくても、 つとめだにすれば、出来るものと心得べし。すべて思ひくずるるは、学問に大にきらふ事ずかし」(自分には才能がない、学問を始めたのが遅い、勉 強する時間がないからといって、学ぶことを怠ってはいけない。如何なる場合も諦めず努力しさえすれば、目的は達し得るものであることを知るべき である。道半ばで挫折をしてしまうことが、学問の神様の最も嫌うところである)
  本居宣長は五百人の門弟を抱えていたが、彼の偉い点は、「学ぶことの喜びを多くの人に教えた」ことにある。養子の太平が描いた図が残ってい  る。「恩頼図」といって、自分の学問にあたって恩を受けた人々と、自分を通してその学問に連なる人々の名前が記録されている。宣長は、医師を開 業し、そのかたわら古事記に触れ,賀茂真淵の書に出会い国学の道に入っていった。そして「松阪の一夜」と言われる師・賀茂真淵との対面を機に本格 的な研究を決意したのである。当時,既に解読不能に陥っていた『古事記』の註釈の集大成『古事記伝』は約35年を費やして執筆され完成したのであ る。このとき宣長は既に68歳になっていた。

村岡花子(翻訳家・児童文学者)
 ・この世の中にこんなに好きなものがたくさんあるって、すてきじゃない。(「赤毛のアン}第二章)
 *赤毛のアン記念館・村岡花子文庫 http://club.pep.ne.jp/~r.miki/index_j.htm

<今日のニュース>
◆きょうは「父の日」 父さんパンダにもプレゼント
 和歌山県アドベンチャーワールドでは、パンダのお父さんに感謝の気持ちを込めて大量の竹が送られた。パンダの永明は、園内で生まれ育った14頭のパンダのうち13頭の父親。園内では現在赤ちゃんパンダ2頭も公開中。
◆あす 国交正常化50年 日韓外相会談
 日本と韓国が22日に国交正常化50年を迎える前に、ユン・ビョンセ外相が来日し岸田外相と会談。韓国が反対している、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録について話し合った。その結果、韓国推薦の「百済の歴史地区」と両方が登録されるよう協力していくことで一致した。日本政府は、朝鮮半島の人々が強制徴用されたことについて何らかの配慮をすることで理解を求めたものとみられる。また従軍慰安婦問題については実務者で協議を続けることで一致するにとどまった。日韓首脳会談については早期に開催するよう努力することで一致した。また記念式典には安倍総理朴槿恵大統領が出席することになった。両首脳は出席する予定ではなかったが、50年を機に、関係改善模索の機運が高まったため出席することとなった。

<本の紹介>
・日本人のこころの言葉 本居宣長http://d.hatena.ne.jp/asin/442280068X

<パソコン紹介>
https://www.microsoft.com/surface/ja-jp/products/surface-3?ocid=Oneconstab_D_standard_PI_S3KSPnoPO_JPN_S3STBLTE