江戸検定まであと2か月強余り。読み込みの強化を。

<6月22日生まれの先人の言葉>
佐久間象山(思想家、教育者)
 ・人々が何を言おうと、怖(お)じることなく、心中はいつもやすらかです。これも今までの修行の成果でありましょう。
 ・兵は国の大事、死生存亡のかかる所である。成算なくしてみだりに兵を動かす者は、国家と国民の生命をあまりに軽く考えている。
 ・政治とは人で決まるものなのです。その才を有するものが一人おりますれば、一国の政治は一気に好転いたしましょう。
 ・天下の大計を知らず、国の財用を費やし、以てこの無益の務をなすは、そもそも何ぞや。
 ・失敗するから成功がある。
 *佐久間象山宅跡・象山記念館、真田宝物館 http://www.sanadahoumotsukan.com/facilities/facility.php?n=12
  長野県、松代にある象山記念館を訪問。幕末の先覚者・佐久間象山の記念館である。地元では「しょうざん」ではなく「ぞうざん」と呼んでいる。 「東洋道徳 西洋芸術」と言った象山は偉大な存在であるが、象山の記念館としてはあまり、これが佐久間象山であるという印象が少ない。隣の象山 神社には9年の蟄居時代を過ごした「煙雨亭」もある。石碑には「余年二十以後乃ち匹夫も一国に繋るあるを知り三十以後乃ち天下に繋るを知り四十以 後は乃ち五世界に繋るあるを知る」とあった。

中山晋平(作曲家)
 ・らしく・・・というのはいい言葉だよ。誰でもその人らしく振舞えればいいのさ。
 *中山晋平記念館 http://www.city.nakano.nagano.jp/shinpei/index.htm
  静岡県熱海市内の熱海梅園を散策すると、緑の木々に囲まれた和風の木造の建物が現われる。これが「中山晋平記念館」である。長野県出身の作曲 家・中山晋平氏は、東京に居住して活動していたが、昭和10年に熱海の西山町に別荘を建てた。戦局の悪化に伴い昭和19年に別荘に疎開して、昭和27 年に亡くなるまでここで暮らした。この建物はその別荘をこの梅園内に移築したものである。
  記念館というより普通の家にお邪魔したという感じで、展示物も多くはなく、展示内容も十分ではない。一二階の部屋や廊下、壁などのスペースを 利用してパネルや写真、資料などが並べられている。玄関の小さな間には昭和初期の熱海で初というピアノが置かれ、中山晋平氏の年表などもあっ  た。部屋には楽譜やレコードなど中山氏が作曲した曲に関するものが一部展示され、その曲がテープから流れている。二階の座敷ではゆっくり座り、 中山氏の生涯を紹介するビデオが見られる。中山晋平氏が晩年住んでいた家で、彼の曲を聴きながら、ゆったりと懐かしむ空間である。
  島村抱月の書生となり、音楽の勉強をして、1914年に劇中歌「カチューシャの歌」を作曲した。その曲が作曲第一号であったが松井須磨子の歌で大 流行して一躍有名になった。その後は、野口雨情や西条八十北原白秋等と組んで名作曲家の道を歩んでいったのである。イルを作りあげた作曲家で あったとしている。民謡を愛し,その音階やメロディーの動きを研究し,三味線も弾いて、単純ながらメロディーを生かすピアノ伴奏も工夫しており、 彼の心はいつも日本の民衆の側にあったと評している。

草間彌生(写真家)
 ・一番新しい、誰も作ったことのないもののために、十代から一生懸命描いてきた。新しい道をみつけてきたんです。
 ・アイデアは描いているうちに、ジャンジャン出てくるの。 片っ端から描いていく。

<今日の雑感>
 江戸検定まであと2か月強あまり。今回のテーマの江戸の祭りと祭事の参考書を入手。テキスト3部作。今日から江戸の祭りと祭事の読み込み作業開始。萬案内と見聞録を3回読了。あつ最低4回以上の読み込みが必要。