早朝より雷雨。

◆早朝より落雷、そして激しい雨。午前中ぐらいだろうか。
 江戸検定の勉強も本格化。ただ、夏検の結果を気になっているのも事実。

◆「高尾稲荷」
 「江戸神仏願懸重宝記」といういわゆる江戸時代のパワースポットガイドをまとめていきたい。その第一弾が「高尾稲荷」である。東京メトロ茅場町駅」から徒歩7分の永代橋の西側にあります。
 「高尾稲荷」は、新吉原の名妓2代目高尾大夫をお祀りした神社である。高尾大夫という遊技は、新吉原の三浦屋四郎右衛門の見世で代を重ねた名跡だそうである。そのうちの2代目高尾大夫は「万治高尾」などと呼ばれて諸芸に通じた名妓であったようだ。
 なぜ、どうして2代目高尾大夫が祀られたかについて、次のような言い伝えがある。「2代目高尾大夫は仙台藩伊達綱宗に寵愛され大金とつんで見請けされた。しかし、高尾大夫は綱宗の意に従わなかったため、ついに怒りを買って身請けされる途中に、隅田川の三又(みつまた:現在の中洲)あたりの船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられてしまった。その遺体が隅田川西岸の北新堀河岸に流れ着き、高尾大夫を憐れんだ人たちによって祀られた」のが高尾稲荷だと言い伝えられている。「江戸神仏願懸重宝記」で、高尾稲荷は『頭痛平癒』の願懸けに霊験あるとされている。頭痛平癒を願う人は、高尾稲荷から小さな櫛を1枚借り受けて朝夕「高尾大明神」と祈って髪を撫でつけ、病気が平癒したら、新しい櫛を一枚添えて高尾稲荷に奉納する。
 高尾大夫とは異なるが、吉原の三大景容には、「仲の町の桜」「玉菊灯籠」そして「俄」の三つがある。「仲の町の桜」は桜の季節になると仲の町に本物の桜を移植して桜の通りにするというイベントです。「玉菊灯籠」の「玉菊」とは遊女の名前です。玉菊は、角町の中万字屋勘兵衛の抱えの諸芸に通じた才色兼備の太夫でした。そして、特に河東節の名手でした。この玉菊、享保11年に25歳の若さで亡くなったそうだ。人柄がよく多くの人に好かれたことから、お盆に灯籠を飾って霊を弔いました。これが、三大景容の一つである玉菊燈籠の始まりである。
 東都歳事記には、六月晦日と七月十五日にそれぞれ書かれています。
 「六月晦日 今夜より吉原仲の町両側の茶屋にて家毎に揃の灯篭を出す。(中略)
 廓中灯籠の始りは、角町中万字屋の名妓玉菊といへるが3回忌の追善にとて、享保13年七月に、島の切子とうろう出しける。(後略)」
 「七月十五日 吉原仲の町、燈籠を飾りあらたむ。但し、当月晦日に至る後の灯篭をなづけて、家々好みの灯籠を出し、一際(ひときわ)見事に飾る なり。」



<9月10日生まれの先人の言葉>
●五代富文(宇宙科学者)
 ・「月に行こうか、火星に行くか」。身近になる宇宙旅行 日本人が知らない高度な日本の宇宙開発技術力で宇宙旅行は徐々に身近になってきているんです。
内館牧子(脚本家)
 ・どうせ社会ってとこは、人をボコボコにするんです。
 ・夢を叶えるって言うけど、『夢』という言葉は違うわね。揺れるにせよ、揺れないにせよ、『なりたい自分になる』というのはそんなに淡くて甘いものじゃない。『夢』という言葉は淡すぎます。