もう一つの大震災。

◆長野県栄村も震災から5年を迎える。
 当時の状況は、2011年(平成23年)3月12日、長野県北部地震震度6強、その後も2度の余震で震度6弱を観測。住宅33棟が全壊、169棟が半壊し、村の足であるJR飯山線や国道117号などが不通になるなど壊滅的な被害を受けた。総人口の90%にあたる住民2000人以上が避難し、地震発生から5か月後、避難生活中に死亡した高齢者3人がこの地震による災害関連死と認定された。その後も同年9月21日の台風15号で大雨となり、翌2012年2月には平成24年豪雪により地震で通行止めとなっていた橋が積雪で崩落する等被害が発生したようだ。
 東日本大震災が発生した翌日、長野県栄村で震度6強地震が起きてから今日で5年となり、復興を祈る催しが開かれた。会場には雪山が作られ子供達が火を灯したろうそくを並べると3.12栄村の文字が浮かび上がった。
◆”被災者支援を拡充”独自法案提出へ。
 民主党と維新の党は東日本大震災の被災者への支援を拡充するため震災で全半壊した住宅を再建するための支援金を現在の300万から500万までに引き上げることを盛りこんだ独自法案を、今の国会に提出する方針。
太宰府天満宮の延寿王院は
 薩摩藩会津藩公武合体派によるクーデター「八月十八日の政変」により、公武合体派により長州藩とともに朝廷を追われた尊王攘夷派公卿の三条実美岩倉具視らが、京都から追放され、(七卿落ち)この太宰府天満宮の延寿王院で約3年間の幽閉生活を送った。慶応元年から3年間滞在。ここで倒幕派の志士(西郷隆盛桂小五郎高杉晋作中岡慎太郎伊藤博文ら)と倒幕へ向けて計画を話し合い、倒幕運動の策源地となった。
・延寿王院(えんじゅおういん)は、太宰府天満宮安楽寺天満宮と呼ばれていたときの宿坊。現在は太宰府天満宮の西高辻家の邸宅となっている。1754年(宝暦4年)桃園天皇より安楽寺延寿王院留守別当大鳥居に院号を下賜されてこの名称になった。邸の前には大きな門構えがあるが、1834年天保5年)に棟上げされたものである。邸の周囲の塀は築地塀と呼ばれる五本線の横筋が入った土塀であり、これは高位の人物が住まう場所をあらわす。
 1865年(慶応元年)2月には三条実美三条西季知東久世通禧四条隆謌壬生基修の五卿が3年に及んで滞在した。三条実美の滞在時には、西郷隆盛高杉晋作中岡慎太郎田中光顕、土方久元、佐々木高行大山巌村田新八伊藤博文木戸孝允、僧月照江藤新平らが訪ねてきている。また、福岡の女流歌人であり勤王家でもある野村望東尼も実美公に面会を求め許されているが、邸前の案内看板には坂本龍馬も訪ねたと記されている。
 この延寿王院は同じく菅原道真を祀る筑後水田天満宮にもあり、久留米水天宮宮司であった真木保臣の弟である大鳥居理兵衛が水田天満宮に養子にいった先でもある。このことから久留米藩の藩政改革で蟄居を命じられた真木は水田天満宮で謹慎生活を送っているが、ここには筑前福岡藩平野国臣や、浪士隊を結成した清河八郎も真木を訪ねてきている。