酔っ払い続出!予約殺到ツアー。

<今話題(?)の情報>
●酔っ払い続出!予約殺到ツアー。
 創業およそ150年の清龍酒造では毎週末に多数の見学者が訪れる。見学客の目当ては酒蔵見学の後の利き酒タイムで、7種類の地酒が心ゆくまで楽しめる。さらに料理、おつまみもついており、寿司なども振る舞われるということで、利き酒が始まっておよそ1時間半で生演奏に合わせて客がノリノリで踊るなど、すっかり宴会の雰囲気となった。酒蔵ツアーの予約は来月いっぱいまで埋まっている。
赤プリ跡地最高級ホテルが公開。
 東京ガーデンテラス紀尾井町で27日のグランドオープンを前に内覧会が行われた。かつて赤坂プリンスホテルがあった場所で現在の姿に生まれ変わった。30〜36階はホテルフロアでザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町がある。デラックスキングは1泊6万3千円。一番高い部屋のザ・プリンスギャラリースイートは1泊59万円。ホテルの最上階でバスク産骨付きキントア豚のローストなどの食事を楽しめる。朝食はブッフェスタイルが3900円から。発展させたいという理由で名前を紀尾井町に変えたという。
●夏の高級食材 ジュンサイ 京都の池に“びっしり” でも“食べちゃダメ” 意外な理由とは
 深泥池が緑色に変色している理由はジュンサイ北大路魯山人も愛したという食材で日本料理には欠かせない。深泥池に大量にジュンサイが発生しているが、懐石近又7代目店主・鵜飼治二さんは秋田や青森、北海道から取り寄せていた。
 京都にある深泥池は平安時代「名を聞けば 影だにみえじ みどろ池…」という和泉式部の句が残されており能「鉄輪」では丑の刻参りで池の畔を通り神社へ行く描写がある。ジュンサイの産地として知られ北大路魯山人が好物だった。ジュンサイはぬめりが多いほど価値が高く1キロ1万円の値がつく事もある。これまでは池の底まで太陽光が届き光合成できたが、ジュンサイが大発生した事で水中生物が減りぬめりで卵も産めず生態系の崩壊もありうる。ジュンサイは1927年、深泥池が天然記念物になり動植物の採取が禁止になった。調査での採取も文化庁長官の許可が必要で採取しても廃棄される。池の3分の1が浮島で死んだミズゴケの塊だという。なぜか腐らず島になって留まっていて解明されていない。氷河期から生えるミツガシワは寒冷地にしか生えないが何故かここでは生えている。さらに絶滅のおそれのある動植物100種類以上が生息している。

<今日の何の日>
●海の日(国民の祝日、2003年から7月第3月曜日に変更)
 土用(雑節のひとつ。立秋の前十八日。秋の土用)
天明の大飢饉(1783)
・6月2日以来、東北巡幸の旅に出ていた天皇は函館から海路で無事に到着。これを記念して1941年から「海の記念日」実施。祝日となるのは1996年から(1876)
・アポロ11号、月面に軟着陸(1969)
銀座三越内に日本マクドナルド第一号店開店(1971)
・バイキング1号火星に軟着陸(1976)

<今日の巨人>
 ◆阪神3タテで貯金2、今季甲子園では負けなし6勝1分。今季4度目の4連勝で貯金を2とした。

<明日の歴史番組>
●7月21日20時〜21時、NHKBSプレミアムで「英雄たちの選択 生きた証か 見果てぬ夢か〜近代文学の祖 正岡子規の選択〜」放送。多くの若者が立身出世を夢見た明治時代。天性の明るさで俳句の近代化に取り組んだのが正岡子規だ。しかし、28歳で当時の不治の病を宣告され絶望の底に突き落とされる。自分の余命を何に使うべきか。これまで進めてきた俳句の近代化を完成させ生きた証しを残すか?誰も成し遂げていない「新しい日本語」を作るという見果てぬ夢に挑むか。激痛と不安の中で下された究極の決断はどうなるのか。子規の生き方に迫る。
●7月21日21時〜22時、BS日テレで「片岡愛之助の解明!歴史捜査 街道歴史捜査シリーズ(1)真田家の強さの秘密を追え!」放送。信州・上田へ行き、真田の強さの秘密を探る。まずは北国街道沿いの、一番栄えた宿場町、長野県の上田から。上田は、真田家が北国街道一の宿場町に発展させたと言われている。戦上手の知将として有名な真田昌幸は、街づくりにも才能を発揮していた。真田の経済を発展させ、活気のある城下町へ。そして、東御市の海野宿へ。海野宿は、町並みの保存がなされ、当時の宿場町の様子を垣間見ることができる。
●7月21日22時〜同54分、BS朝日で「歴史ミステリー 日本の城見聞録 漆黒の戦う砦 岡山城 波瀾万丈!戦国武将の城」放送。城も城主も、まさに波瀾万丈の生涯。漆黒の天守で知られる岡山城。別名は烏城。岡山市を流れる旭川の畔に建つ姿は、まさに黒い羽を広げて飛び立とうとする鳥のようである。そんな黒い天守を彩るのは鮮やかな金色。鯱、鬼瓦、そして破風の周囲の軒瓦。黒と金の見事なコントラストは息を飲むほどの美しさ。秀吉の大坂城、そして信長の幻の城・安土城の流れを汲むとも言われている名城である。また、日本三名園の挙げられるのが岡山城の庭園である後楽園。ここから眺める岡山城天守もまた絶景。その一方、岡山城は徹頭徹尾、戦いのための砦。築城したのは豊臣秀吉が後見人となった歴戦の武将、宇喜多秀家。秀吉に目を掛けられただけあって、秀家の作った城には、用意周到な仕掛けが施されていた。敵対陣営に向かった西側は、堀と高い石垣に守られて敵の侵入を許しませんでしたが、反対側の東側には、天然の堀とした旭川以外にこれと言った防御システムが作られていない。ここにどんな秘密がかくされているのか。
 そして裏切りが続出した関ヶ原では、敗れた西軍で獅子奮迅の活躍を見せた宇喜多秀家。結局は領地も城も奪われて八丈島島流し、そのあと岡山城の城主におさまったのは、皮肉なことに、裏切り者の小早川秀秋でした。まさに、城も城主も、まさに波瀾万丈の生涯。